第21話「スタンピードの予兆」

丘の上から見下ろす平原は、黒く塗り潰されようとしていた。  地平線の彼方から押し寄せる、魔物の大群。  オーク、ゴブリン、ウルフ、その他名前も知らないような雑多な魔物たちが、一つの巨大な生物のようにうねりながら、アルディアの街へ向かって行進している。


 ズズズズズ……。


 遠雷のような地響きが、ここまで伝わってくる。


「ひどい……。あんな数、街の戦力だけで防げるわけがありません」


 リーナが顔を蒼白にして震えている。  彼女の【千里眼】には、俺たち以上に詳細な絶望が見えているのだろう。


「数千……いや、万に近いかもしれないわね。街の防壁なんて、紙切れみたいに破られるわよ」


 サラも険しい顔をしている。彼女は好戦的だが、無謀ではない。これだけの数を相手にする暴力的な質量差を理解している。


「マスター、どうする? 逃げるか?」


 ミオが俺の顔色を窺う。  俺は眼下の黒い波を見つめ、静かに答えた。


「逃げる? なぜだ」

「え?」

「見ろよ、あれを」


 俺は指差す。


「あれは魔物の群れじゃない。宝の山が歩いてきているんだ」


 俺の言葉に、三人がポカンとした顔をする。  俺の思考は正常だ。  通常、スタンピードは災害だ。だが、ドロップ率100%の俺にとっては、素材とアイテムの宅配便でしかない。  いちいち森やダンジョンを探索しなくても、向こうから勝手に集まってきてくれるのだ。これほど効率的な狩り場はない。


「行くぞ。他の連中に取られる前に、一番美味しいところを確保する」


 俺は街への坂道を駆け下りた。


 街の中はパニックに陥っていた。  荷物をまとめて逃げ惑う住民、怒号を飛ばす衛兵、店のシャッターを下ろす商人たち。  俺たちはその喧騒を切り裂くように、冒険者ギルドへと直行した。


 ギルドホールは、異様な熱気と悲壮感に包まれていた。  武装した冒険者たちが集められているが、その表情は暗い。  中央の台座には、ギルドマスターが立っていた。顔に深い傷跡のある、歴戦の元冒険者だ。


「聞いてくれ! 先ほど、偵察隊から報告が入った! 魔物の数は推定一万! 指揮官クラスの個体も確認されている!」


 どよめきが広がる。


「一万だと!? 俺たち冒険者は全員合わせても五百人もいねえぞ!」

「無理だ! 死にに行くようなもんだ!」


 数人の冒険者が武器を捨てて出口へ向かおうとする。  ギルドマスターが声を張り上げる。


「逃げる者は止めん! だが、この街にはお前らの家族や友人もいるはずだ! それに、今回に限り、報酬は通常の十倍を出す! さらに国からの特別報奨金もだ!」


 金の話が出ても、足踏みする者が多い。命あっての物種だ。  空気が重く淀む中、俺は群衆をかき分けて前に出た。


「俺たちがやる」


 静まり返ったホールに、俺の声が響いた。  ギルドマスターが俺を見る。


「お前は……カズヤか。最近名を上げている新人パーティだな」

「中央の防衛ライン、一番激戦になる場所を俺たちに任せてほしい」


 俺の提案に、周囲から嘲笑が漏れた。


「おいおい、新人が調子に乗るなよ」

「功名心で死ぬ気か? 相手は一万だぞ」


 だが、俺は無視してギルドマスターを直視する。


「条件がある。俺たちが倒した魔物のドロップ品は、全て俺たちのものだ。ギルドへの上納も、分配もしない。全部だ」

「……なんだと?」

「その代わり、一番厄介な『指揮官』の首は俺が取る」


 ギルドマスターは俺の目をじっと見つめ、次に後ろに控えるサラ、リーナ、ミオを見た。  サラの背負う巨大な黒い盾、俺の腰にある禍々しい剣。  彼は何かを感じ取ったのか、深く頷いた。


「いいだろう。貴様らの実力、見込もう。中央門の前、最前線を任せる。そこが突破されたら街は終わりだ」

「了解だ」


 契約成立だ。  俺は踵を返す。  背後から、ミオが小声で話しかけてきた。


「ねえ、本当にやるの? 一万よ?」

「問題ない。俺の新しい剣の性能テストには、ちょうどいい数だ」


 俺は腰の『炎帝の剣』を軽く叩く。  この剣は、対集団戦において真価を発揮するはずだ。


 俺たちは街の外壁、正門の上へと移動した。  夕日が沈みかけ、空が赤黒く染まっていく。  その光景と重なるように、平原を埋め尽くす魔物の軍勢が、肉眼でもはっきりと見える距離まで迫っていた。


 ゴォォォォォ……。


 無数の唸り声が重なり、不気味な低周波となって空気を震わせている。  先頭集団はオークとゴブリンの混成部隊。その後ろには大型のトロールやオーガの姿も見える。


「来るわね……。武者震いが止まらないわ」


 サラが盾を構え、ニヤリと笑う。  その足は震えていない。彼女はもう、怯えるだけの騎士ではない。


「射程に入ったら撃ち始めていいですか?」

「ああ、遠慮はいらない。矢の雨を降らせてやれ」


 リーナが弓を引き絞る。  ミオは俺の影に溶け込むように身を潜めた。


「俺が合図したら跳ぶぞ。準備はいいか」


 俺は剣を抜く。  刀身から赤い炎が吹き出し、周囲の闇を照らした。  その光に引かれるように、魔物たちの視線が一斉にこちらへ向く。


 殺気と、食欲と、破壊衝動の塊。  それらが全て、俺たちに向けられている。  普通の人間なら発狂するプレッシャーだ。


 だが、俺には見える。  暗闇の中で輝く、無数の『赤い点』が。  あれら全てが、俺の糧だ。


「さあ、稼ぎの時間だ」


 俺が呟くと同時に、先頭のオークが雄叫びを上げて突っ込んできた。  防衛戦、いや、虐殺劇の幕が上がる。

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