聖女堕落計画、進行中。 ~魔王軍幹部が執事になって甘やかしたら、なぜか世界が救われそうなんですが~
よみとしんり
第1話:魔王軍幹部の俺、聖女見習いを堕落させるために「無償の執事」に立候補する
「よいか、ダークよ。聖女とは『希望』だ。殺せば殉教者となり、即座に新たな聖女が生まれるだけである」
魔界の最深部、玉座の間。
重厚な闇に包まれたその場所で、魔王様は厳かに告げた。
「人間どもの心を折るには、希望そのものを腐らせるに限る。……次代の『聖女』リザ。未だ覚醒前である彼女を、貴様の手で再起不能にしてくるのだ」
私は胸に手を当て、深く恭順の意を示す。
私の名はダーク。魔王軍序列第三位の幹部にして、あらゆる欺瞞と策略を司る上級悪魔だ。
「御意のままに。その娘を殺さず、傷つけず……徹底的に『堕落』させてご覧に入れましょう」
私はニヤリと口角を吊り上げる。
人間とは脆弱な生き物だ。一度『楽』を覚えれば、二度と苦難の道には戻れない。
最高の衣食住を与え、指一本動かす必要のない生活を提供し、甘やかして、甘やかして、甘やかし尽くす。
そうすれば数年後には、祈ることすら億劫がる、ただの可愛らしい『無能』が出来上がるという寸法だ。
「ククク……待っていろ人間界。貴様らの希望が、怠惰という名の沼に沈む様を見せてやる」
◇
場所は変わって、人間界の王都にある冒険者ギルド。
昼時の喧騒の中、私はとあるテーブルの隅にその少女を見つけた。
リザ。16歳。
金色の髪は手入れが行き届かずボサボサで、着ている神官服はツギハギだらけ。いかにも貧乏神が取り憑いていそうな少女が、ボロボロの依頼書を睨んで頭を抱えていた。
「うぅ……スラムの廃孤児院の再建なんて、私一人じゃ無理だよぉ……」
彼女は涙目で机に突っ伏した。
聞こえてくる独り言によれば、教会本部から「修行」という名目で、資金も人員もゼロのまま厄介払いされたらしい。
――完璧だ。
絶望に打ちひしがれている今こそ、悪魔の囁きが最も甘く響く。
私は人間への擬態魔法を確認する。
黒の燕尾服に、白の手袋。髪は後ろで撫で付け、どこからどう見ても「仕事を探している有能な執事」の姿だ。
私は足音を消して彼女の背後に忍び寄り、恭しく声をかけた。
「お困りのようですね、シスター」
「ひゃあッ!?」
リザはカエルのように飛び跳ねて振り返った。
警戒心ゼロ。チョロい。私は優雅に一礼する。
「お初にお目にかかります。私はダーク。流浪の執事でございます」
「し、執事さん……? あの、私に何か……?」
「単刀直入に申し上げましょう。今の貴女には、貴女の手足となって動く『従者』が必要だ。違いますか?」
リザは瞳を揺らした。
当然だ。今の彼女は溺れる者。藁でも掴みたいはずだ。だが、彼女は悲しげに首を横に振った。
「で、でも……私、お金ないんです。今日のパンを買うのがやっとで、執事さんを雇う余裕なんて……」
「おやおや、誰が金銭を求めたと言いましたか?」
私は芝居がかった仕草で、人差し指を立てる。
「私の望みは、主(あるじ)への絶対的な献身。金などという無粋なものは不要です。衣食住の世話から、護衛、雑務に至るまで、全て私にお任せください。貴女は何もしなくていい。ただそこに座り、呼吸をしているだけでいいのです」
「えっ……? そ、そんな……タダで?」
「ええ。その代わり――」
ここで私は、声音を一段低くした。悪魔としての本性を、契約の言葉に乗せる。
「契約の対価として、貴女の**『全て』**を頂きます」
これ以上の言葉は不要だ。
自由も、時間も、意思も、未来も。
その身を構成する要素の何一つとして、貴女の好きにはさせないという絶対的な所有宣言。
さあ、絶望しろ。
逃げ場のない檻に閉じ込められる恐怖に、その身を震わせるがいい!
リザはポカンと口を開け、数秒間フリーズした。
そして、その碧眼からボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「……っ! ……うぅっ!」
「(おや、泣くほど怖かったか? 無理もない、悪魔に全てを奪われるのだからな)」
私がフォローを入れようとした、その時だ。
リザはガバッと私の両手を握りしめた。
「……すべて?」
「ええ。例外はありません」
私が冷酷に告げると、リザは震える声で呟いた。
「私には、お金も……お返しできるような物もありません。私にあるのは、神への『祈り』と、この身一つだけ……」
「(左様。その身一つを差し出せと言っている)」
「それなのに……私の『全て(=祈り)』だけでいいと言ってくださるのですか?」
リザは感動に打ち震えながら、キラキラした瞳で私を見上げた。
「神様……! 私の祈りは、無駄じゃなかったんですね……!」
――は?
なぜそこで天を仰ぐ?
「ありがとうございます、ダークさん! 私、死ぬまであなたのために祈り続けます! この身の限り、ご奉仕させてください!」
おい待て。
どうしてそうなった? 私は今、お前を奴隷にする宣言をしたのだが?
それに祈りなど捧げられたら、私の耳が腐ってしまうのだが?
「……承知いたしました、リザ様。本日よりこのダーク、貴女様の忠実なる下僕となりましょう」
(チッ……まあいい。契約は成立だ。その警戒心の無さが命取りになると、すぐに思い知らせてやる)
◇
ギルドを出た私たちは、さっそく任地であるスラム街へ向かうことになった。
リザの足元には、家財道具一式が詰まった巨大なリュックが置かれている。彼女の体重より重そうだ。
「よしっ……! これを背負って、歩いて二時間……頑張らなきゃ!」
リザが気合を入れてリュックを持ち上げようとする。
その細腕がプルプルと震え、顔が真っ赤になる。
――駄目だ。
そんな重労働をさせては、基礎体力がついてしまう。
苦労などさせるものか。
「お貸しください」
私は指をパチンと鳴らす。
瞬間、リザの足元の影が広がり、巨大なリュックを音もなく飲み込んだ。
「えっ!? に、荷物が消えた!?」
「収納魔法(アイテムボックス)の一種です。執事たるもの、これくらいの嗜みは当然ですよ」
「すごいです! ダークさん、魔法使い様だったんですね!」
ただの『影魔法』による亜空間収納だが、人間には高等魔法に見えるらしい。
さらに私は、路地裏に待機させておいた馬車を呼び寄せた。
外見こそ古ぼけた木製の馬車だが、車軸には衝撃吸収の魔法陣を三重に刻み込み、座席には最高級魔獣『夢見羊』の毛皮を使用している。一度座れば、泥のように眠れる代物だ。
「さあ、どうぞ。歩くなどという野蛮な行為は、貴女には似合いません」
「ええっ、馬車まで!? あ、ありがとうございます……!」
恐縮しながら乗り込んだリザは、座席に座った瞬間、身体の力が抜けたようにふにゃりと崩れた。
「ふあぁ……なにこれぇ……雲の上に座ってるみたい……」
「スラムまでは時間がかかります。どうぞ、お休みください」
私が御者台から声をかけると、ものの数秒で「すぅ……すぅ……」という寝息が聞こえてきた。
ククク、チョロい。
本来なら、移動の苦労こそが冒険者の精神を鍛えるのだ。
だが、こうして快適な環境を与え続ければ、彼女の足腰は弱り、精神は弛み、やがて私の用意した籠の中から出ようという気概すら失うだろう。
手綱を握りながら、私は暗い笑みを浮かべる。
見ていろ、リザ。
お前が辿り着くのは、聖女としての輝かしい未来ではない。
怠惰と飽食に塗れた、堕落の底なし沼だ。
馬車は夕焼けに染まる王都を抜け、スラム街へと走り出した。
私の壮大なる「聖女・ダメ人間化計画」は、今まさに幕を開けたのである。
(終わり)
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