頭脳派悪役令嬢はプロテインを飲む。〜破滅フラグを物理(筋肉)でへし折る〜
機巧天啓スミス
第1章 悪役令嬢は論理的に思考する
世界は、美しい数式で構築されている。
天体の運行はケプラーの法則に従い、リンゴの落下は万有引力が支配する。事象には必ず原因があり、結果には論理的なプロセスが存在する。ならば、私が今朝目覚めた瞬間に前世の記憶を取り戻し、ここが乙女ゲーム『聖女と魔法のロンド』の世界であると理解したことにも、数学的な必然性があるはずだ。
「……計算終了。結論、私は『詰んで』いますわね」
公爵邸の自室。豪奢な天蓋付きベッドの上で、私は静かに呟いた。
鏡に映る少女は、息を呑むほどに美しい。月光を織り込んだようなプラチナブロンドの縦ロール、陶器のように滑らかな白い肌、そして意志の強さを宿した深紅の瞳。
スカーレット・ル・ヴァン。公爵令嬢であり、王太子の婚約者。
そして、ゲームの終盤で断罪され、国外追放のち非業の死を遂げる「悪役令嬢」である。
私は扇子を手に取り、優雅に口元を隠した。だが、脳内ではスーパーコンピュータ並みの速度で演算処理が行われている。
(現状のパラメーター分析。私の魔力量は『中』。対してヒロインのマリアは『特大』。王太子カイルの好感度は既に下降トレンドに入っており、断罪イベント発生確率は99.8%。回避不能な特異点ね)
この世界において、正義とは魔力であり、魔法こそが絶対的なヒエラルキーを決定する。
『聖女と魔法のロンド』において、「スカーレット・ル・ヴァン」は悪役令嬢であったが、私が破滅する原因は、性格の悪さではない。主人公側から見て「敵」であるというだけで悪役扱いされており、本質的には、主人公との魔力比べに負けて、断罪ルートを辿っていた。シナリオライターは、なぜ悪役たるかの説明をサボっていた。「悪役令嬢」という役だから、負ければ断罪されるのだ。
すなわち、破滅の原因は「圧倒的な出力(パワー)不足」である。王太子に嫌われるのも、断罪されるのも、すべては私が弱いから。弱肉強食という生物学の基本原則に敗北したに過ぎない。
「愚かな……。嘆いている暇があれば、変数を書き換えればいいだけの話ですわ」
個々のイベントを調整するよりもパラメータが全て。ストーリーの整合を気にしなくて良いとすれば、むしろ容易である。
私はベッドから降り立ち、ふわりと広がるシルクのネグリジェを翻した。
華奢な腕。折れそうな腰。この貧弱な器(ボディ)こそが、私の敗北の要因。
ならば、解は一つ。
この肉体を、あらゆる理不尽を跳ね返す「物理法則の要塞」へと再構築するしかない。
「まずは『触媒』の確保ね」
私は迷わず部屋を出ると、父である公爵の書斎へと向かった。
深夜の廊下は静まり返っている。私の計算通り、使用人たちの巡回ルートは現在、西棟に集中しているはずだ。
書斎に忍び込んだ私は、古びた魔導書の棚ではなく、奥の隠し金庫へと直行した。父が「禁断の秘薬」として厳重に保管しているものを知っていたからだ。
金庫のダイヤルを合わせる。「左に3、右に15、左に8」。これもゲーム内の知識、いや、私の情報収集能力(メモリー)の賜物である。
重厚な扉が開き、中から現れたのは――銀色の巨大な筒だった。
表面には異国の言語で『LEGENDARY WHEY(伝説の乳清)』と記されている。
一般には「賢者の白粉(ホワイト・パウダー)」と呼ばれる、超高純度の魔力増幅剤。市場に出回れば城が一つ買えるほどの代物だ。
貴族たちはこれを魔法陣に極微量振りかけ、儀式に用いるという。公爵家には、先祖より受け継がれた、この貴重品が大量に秘蔵されていた。
「……ふむ。成分表示によれば、アミノ酸スコアは100。タンパク質含有量は90%以上。吸収効率を最大化するためのビタミン群も添加されている……」
私はラベルの文字(前世の英語)を解読し、口角を吊り上げた。
間違いない。これはただの魔力増幅剤ではない。
筋肉という名の「魔力貯蔵タンク」を爆発的に増大させる、神の粉だ。
「現地の人間はこれを魔法陣に撒く? 非効率極まりない愚行ですわね。内部摂取(インジェクション)こそが、効果を最大化する唯一のメソッドだというのに」
私は近くにあった錬金術用の密閉容器(シェイカー)を手に取ると、スプーン山盛りの「賢者の白粉」を三杯、惜しげもなく投入した。
そこへ水を注ぎ、蓋を閉める。
ここからが重要だ。
粉末を液体分子と完全に結合させるには、遠心力と衝撃を計算した適切な撹拌運動が必要となる。
「プロセス開始(シェイク)!」
シュゴゴゴゴゴゴッ!!
静寂な書斎に、爆音のような振動音が響き渡った。
私は手首のスナップと肘の可動域をフル活用し、容器を上下に激しく往復させる。中の液体が渦を巻き、白粉が溶け込んでいく手応え。
完全な混合体(エマルジョン)。ダマなど一つも許さない。
一分間の高速撹拌の後、私は蓋を開けた。
ふわりと漂う、甘いバニラの香り。これこそが力の匂い。
「いただき(ドリンキング)ます」
躊躇なく容器を煽る。
ドロリとした白い液体が喉を通り、胃袋へと滑り落ちていく。
甘い。しかし、その奥に潜む野性的な滋味。
飲み干した瞬間、胃の底からカッと熱いものが込み上げてきた。
「……来たわ。血中アミノ酸濃度の上昇……細胞の一つひとつが、進化を求めて叫んでいるのが聞こえます」
だが、摂取だけでは片手落ちだ。
破壊なくして創造なし。筋肉という魔力回路は、一度破壊(筋断裂)し、再生(超回復)させることで初めてその容量を増す。
私はドレスの裾をまくり上げ、その場にうつ伏せになった。
両手を肩幅に開き、床につく。背筋を一直線に伸ばす。
プランクの姿勢。そこから、重力という定数に逆らう運動を開始する。
「イチ(One)……!」
腕を曲げ、胸が床につくギリギリまで下ろす。そして爆発的に押し上げる。
「ニ(Two)……!」
単純な動作ではない。
大胸筋への負荷ベクトル、上腕三頭筋の収縮率、そして体幹(コア)の安定性。すべてを計算し尽くした、至高のプランク・プッシュアップ。
一回、また一回と繰り返すごとに、私の華奢な腕が悲鳴を上げる。
だが、これこそが「痛み」ではない。「成長の音」だ。
「サン(Three)……! シ(Four)……!」
汗が額から滴り落ちる。呼吸が荒くなる。
だが、賢者の白粉が血液に乗って全身を駆け巡り、傷ついた繊維を即座に修復しようとする熱を感じる。
これが魔法。これが錬金術。
(素晴らしい……! これが私の求めていた『論理的解決法(フィジカル・ソリューション)』!)
没頭していた私は、気づいていなかった。
書斎のドアがわずかに開き、夜の見回りをしていた老執事セバスチャンが、恐怖に引きつった顔でこちらを覗き込んでいたことに。
彼の目には、主人の愛娘が、謎の白い液体を一気飲みした直後、見たこともない奇妙な儀式(腕立て伏せ)を高速で繰り返し、その身体から湯気のようなオーラ(代謝熱)を噴出させているように映っていたのだ。
「……九十九(Ninety-nine)……百(Hundred)ッ!!」
バンッ!
最後のワンレップ。私が床を強く押しすぎたせいで、書斎の重厚なオーク材の床板に、微かな亀裂(クラック)が入った。
「ふぅ……」
私は立ち上がり、汗を拭った。
心地よい疲労感。そして、体内で確実に何かが変わり始めた感覚。
この魔法が発達した世界では全く知られていないが、効率よく主人公をレベルアップさせるために、「正しい方法でトレーニングを行った場合、魔法のような高い成果が出る」という裏設定が存在する。
まだ見た目には変化はない。だが、私の計算では、このペースで効率的な破壊と再生を繰り返せば、三ヶ月後の学園入学時には「物理法則の特異点」へと到達できるはずだ。
私は窓の外、白み始めた空を見上げた。
「待っていなさい、カイル王太子。そして断罪の運命よ」
私は握り拳を作る。
まだ柔らかいその手だが、確かな力が宿っていた。
「私の計算では、貴方たちが用意する破滅フラグなど――すべてへし折ってみせますわ。論理的にね」
悪役令嬢スカーレット・ル・ヴァン。
彼女が「頭脳派」を自称し、筋肉(ちから)ですべてを解決する怪物へと進化する、その第一歩が今、踏み出されたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます