第2話 会議室のアウトレイジ

強引に腕を引かれ、俺は路地に横付けされた高級セダンの後部座席に押し込まれた。

車はすぐに発進し、都心へと滑り出す。

運転席には無言の女性ドライバー。

隣には、俺の顔をうっとりと見つめる小柄な女性。

……誘拐だろうか。


「あの、どこへ向かってるんですか?」

「『帝都映画撮影所』よ。私のホームグラウンド」

彼女は食い気味に答えた。


「改めて自己紹介するわ。私は九条響(くじょう ひびき)。映画監督をやってるの。貴方は?」

「……阿久津丈(あくつ じょう)です。歳は二十五。前の仕事は……料理人をしてました」


「料理人?」


響は目を丸くした。


「男が包丁を握るの? 危なくない? 普通、男の子は深窓でピアノやお花を習うものだけど……」

「はあ……俺の地元では普通でしたけど」


どうやら、常識のズレは深刻らしい。

俺は窓の外を流れる景色に目をやった。

街を行き交う人々は、やはり女性ばかりだ。

工事現場で汗を流すのも、スーツで闊歩するのも女性。

たまに見かける男性は、日傘を差して女性にエスコートされていたり、ショーウィンドウの中のマネキンのように着飾っていたりする。


「神様の言っていた通りだな……」

「え?」

「いや、こっちの話です。……本当に、男がいないんですね」


俺の呟きに、響は「何言ってるの?」と不思議そうな顔をした。


「ジョーは孤島かどこかから出てきたの? 男女比は1対10。男の子は『深窓の令息』として箱入りで育てられるのが常識じゃない。こんなふうに一人で出歩くなんて、本来ありえないことよ」

「なるほど。だから俺を見る目が、珍獣を見る目なわけだ」


俺は一つ、気になっていたことを尋ねた。


「あの、映画に出ろって言われましたけど……男がそんなに箱入りなら、俳優なんてやってる男はいないんじゃ?」


「ええ、いないわよ。一人もね」


響はあっさりと断言した。


「映画やドラマに出るのは女性だけ。男性の役も、女性が男装して演じるの。それが『美学』であり『伝統』なのよ」

「じゃあ、俺が出る幕なんてないじゃないですか」

「いいえ、だからこそよ!」


響は身を乗り出し、熱っぽく語り始めた。


「既存の『男装の麗人』たちは美しいわ。でも、所詮は作り物。私の撮りたいハードボイルドな映画に必要な、本物の『汚れ』や『加害性』が出せないの!」


彼女は俺の顔――眉間の深いシワと古傷――を指差した。


「でも貴方は違う。野太い骨格、鋭い眼光、そして何より……全身から溢れ出る本物の『オス』の圧力! 貴方がスクリーンに出れば、これまでの常識はひっくり返るわ!」


なるほど。

男がメディアに出ないのが常識。

だからこそ、俺のような悪役顔が、未体験のエンターテインメントになるというわけか。

……いい迷惑だが。


「これから向かう会議室で、私の新作のキャスト発表があるの。そこで貴方を『主演悪役』として紹介するわ」

「いきなり!? 演技なんてしたことないですよ」

「立っているだけでいいわ。あとは……そうね、貴方のその『地』を出してくれれば」


不安しかない。

だが、車は無情にも目的地に到着した。

巨大なビル。『帝都映画撮影所』のゲートをくぐると、響は俺を連れてエレベーターに乗り込んだ。


  ***


通されたのは、大会議室の隣にある応接室だった。

ここで待機するように言われたが、生きた心地がしない。

壁一枚隔てた隣の部屋から、怒号が聞こえてくるからだ。


「脚本を白紙に戻す!? 本気ですか監督!」

「クランクインは来週ですよ! 今から悪役を変えるなんてありえない!」

「カレン様のスケジュールを何だと思ってるんですか!」

悲鳴のようなスタッフたちの抗議。


「うるさいわね! 私は『本物』を見つけたのよ! 既存のシナリオなんて全部ゴミ箱行きよ!」


……帰りたい。

俺はただの元料理人だ。こんなプロの修羅場に放り込まれていい人間じゃない。

だが、運命は残酷だ。

ガチャン、と応接室のドアが開いた。


「いい? 文句があるなら、彼を見てから言いなさい!」


響が手招きしている。

俺は覚悟を決めて立ち上がった。舐められてはいけない。

ここでオドオドしていたら、さらに事態が悪化する気がする。

俺は腹に力を入れ、努めて「堂々と」振る舞うことにした。


俺が大会議室に足を踏み入れた瞬間。

沸騰していた部屋の空気が、ピタリと凍りついた。


数十人の視線が俺に突き刺さる。

全員が女性だ。彼女たちは、俺を見て、ぽかんと口を開け、そして戦慄した。


「……お、男?」

「嘘でしょ……なんで男がここに?」

「ていうか、デカい……。なにあの顔、殺し屋……?」

「ひッ……目が合った……!」


無理もない。

さっき聞いた常識によれば、俺は「深窓の令息」であるべき存在だ。

それがこんな薄暗い会議室に、黒シャツを着た190センチ超えの大男として立っている。

異常事態だ。

俺は居心地の悪さを隠すために、無意識に眉間にシワを寄せ、口元を引き結んでしまった。

それがさらに「不機嫌な大男」という威圧感を生む。


「ふざけないで」


凍りついた静寂を破ったのは、上座に座っていた女性だった。

バン! と机を叩いて立ち上がる。

燃えるような赤い髪、切れ長の瞳。

国民的アクションスター、天王寺(てんのうじ)カレンだ。


「響。まさかとは思うけど……私が演じるはずだった悪役を、その『男』にやらせるつもりじゃないでしょうね?」


カレンが俺を睨みつける。

その瞳にあるのは、純粋な怒りと侮蔑だ。


「その通りよ。彼の名前はジョー。私の新しいミューズよ」

「ハッ、笑わせないで!」


カレンは鼻で笑い、俺を指差した。


「男は家で愛玩動物として飼われていればいいのよ。ここは戦場なの。私たち『男装の麗人』が長年かけて築き上げてきた悪の美学を、こんな顔が怖いだけの素人に演じられるわけがないでしょ!」


顔が怖いだけの素人。

……否定できないのが辛いところだ。

だが、あからさまに見下されるのは、やはり気分が良くない。

「男だから」「素人だから」。

その決めつけは、前世で俺を苦しめた偏見と同じ匂いがする。


「あら、自信がないの? カレン」


響がニヤリと笑い、焚き付けるように言った。


「だったら試してあげて。ジョー、挨拶してあげなさい。――とびきりの『悪役』としてね」


無茶振りだ。

だが、ここで引くわけにはいかない。

俺の中にある「悪役」の教科書は一つだけ。前世で観た、任侠映画だ。

『アウトレイジ』。怒号と暴力の美学。

俺はスゥッと息を吸い込み、スイッチを切り替えた。

俺は阿久津丈じゃない。……俺は、広域暴力団の若頭だ。


俺は一言も発さず、ゆっくりとカレンに向かって歩き出した。

ザッ、ザッ、ザッ。

カーペットを踏みしめる音が、やけに大きく響く。

表情は作らない。ただ無心に、無機質に、彼女との距離を詰める。


「な、なによ……」


カレンが眉をひそめる。

俺は答えない。

俺の巨体が近づくにつれ、カレンの顔に焦りが滲む。

生物的な質量差と、無言の圧力が彼女を襲う。

彼女は無意識に後ずさった。

一歩、二歩。

ドン、と腰が会議用テーブルにぶつかった。逃げ場がない。


俺は彼女の目の前で足を止めた。

至近距離。見下ろすと、強気だった彼女の瞳が揺れているのが分かる。


俺は彼女の顔の横、テーブルの天板に、ドンッ! と掌を叩きつけた。


「ッ!?」


カレンの肩がビクリと跳ねる。

俺は彼女を逃さないように覆いかぶさり、顔を極限まで近づけた。

整った鼻筋、震える唇。

俺は眉間のシワを深め、彼女の瞳の奥を覗き込んだ。


そして。

腹の底から絞り出した重低音で、静かに、しかし内臓に響くような声で囁いた。


「……おい。誰に向かって口きいてんだ、コラ」


ゴゴゴ、と地鳴りのような響きを含んだ声。

この世界の「可愛い男性」からは絶対に出ない音。

捕食者が獲物を前にした時の、低い唸り声だ。


「あ……」


カレンの呼吸が止まる。

俺は視線を外さない。

彼女がトップ女優としてのプライドで睨み返そうとするが、その瞳は恐怖で潤み始めている。


「泣いて済むと思ってんのか? ……あ?」


さらにドスを効かせて凄む。

ただそれだけの言葉だ。

だが、その言葉が放たれた瞬間、カレンの中で何かが決壊した音が聞こえた気がした。


「ひぅ……ッ!?」


カレンの喉から、可愛らしい悲鳴が漏れた。

ガクガクッ、と彼女の膝が笑い出す。

立っていられないのか、彼女の体がずるずると崩れ落ちていく。

俺の腕の下をすり抜けるようにして、彼女はその場にへたり込んだ。


会議室が静まり返る。

スタッフたちは息をするのも忘れて、この光景に見入っていた。

あの気高いカレン様が、男の一睨みで腰を抜かした。

だが、その表情は恐怖だけではない。

「なんて迫力だ……」「ゾクゾクする……」

そんな熱っぽい囁きが漏れ聞こえる。


俺は演技を完遂するため、へたり込んだカレンに合わせてしゃがみ込んだ。

彼女は顔を真っ赤に染め、涙目で俯いている。震えている。

これで終わりか? いや、まだだ。

俺は太い指先を伸ばし、彼女の華奢なアゴを、クイッと強引に持ち上げた。

強制的に視線を合わせる。


「……目ェ逸らしてんじゃねぇぞ」


至近距離でのトドメの一撃。

カレンの瞳孔が開くのが見えた。


恐怖? いや、違う。

彼女の瞳に宿っていたのは、恍惚だった。


「あ、あ……」


カレンは熱に浮かされたように、俺の手首を弱々しく掴んだ。

その指先は熱かった。


「すごい……体が、言うことをきかない……。私、負けたの……? 男の人に……?」


彼女は潤んだ瞳で俺を見上げ、まるで慈悲を乞うように、あるいはもっと強い刺激を求めるように、唇を震わせた。


「もっと……もっとその声で、私を叱って……」


……完全にトんでしまったようだ。

俺がどう収拾をつければいいのか戸惑っていると。


「カットォォォォォォ!!」


響の絶叫が会議室を引き裂いた。


「最高!! 最高よジョー!! 見て今のカレンの顔! あんな『メスの顔』、私の演出でも引き出せなかったわ!!」


響が走り寄ってきて、俺の肩をバンバンと叩く。

それを合図に、凍りついていた会議室が爆発した。


「す、すごいですジョーさん!」

「あんなカレン様初めて見た!」

「今の『コラ』って声、録音してないの!?」

「私ちょっと濡れちゃったかも……」


称賛と、明らかに性的な意味を含んだ熱狂が俺を包み込む。

どうやら、俺の「悪役」デビューは決定してしまったらしい。

足元では、まだカレンが熱っぽい目で俺を見上げ、俺の指に頬を擦り付けている。


……常識をすり合わせたはずだったのに。

どうやらアウトレイジは、この世界では劇薬すぎたようだ。

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