第2話 公爵邸強襲
軍艦の艦橋。
ユーリが正面の地図を睨み、操作を続けている。
セリナはその少し後ろで、ただ立ち尽くしていた。
まだ、実感なんてない。
つい三十分前まで、自分は“死刑囚”だった。
そして今は——空を飛ぶ軍艦の中にいる。
(……夢?)
そう思いたいのに、体にかすかに残るGだけが、残酷なほどに現実を示していた。
「セリナ」
名を呼ばれ、びくりと肩が揺れる。
「は、はい」
「座れ。立ってると危ない」
「……はい」
促されるまま、空いている席に腰を下ろす。
隣には、先ほど助けてくれた黒髪の男が座っていた。
整った顔立ち。
女性なら誰でも、ほんの少しだけ息を呑むような、そんな雰囲気の持ち主だ。
その男が優しく笑った。
「レオンだ。よろしく」
「あ……はい。セリナです。
助けていただいて……本当にありがとうございました」
レオンは微笑み返すだけで、余計な言葉を足さない。
その静かさが逆に落ち着く。
――が。
「おいおいおい!
何しれっといい雰囲気出してんだよ、この女たらしめ!」
操縦席の方から陽気でうるさい声が飛んでくる。
「俺もいるからな!
俺はカイル! 帝国一の凄腕パイロットだ!」
振り返ろうとしたカイルの頭を、ユーリが無言で押さえ込んだ。
「前だけ見て操縦しろ」
「ちぇっ!」
そのやり取りがあまりに雑で、セリナの緊張がふっと緩む。
窓の外には大都市の景色。
本来なら感動するほど綺麗なのに、今は心の余裕が追いつかなかった。
「……ソフィは。
本当に無事なんでしょうか?」
不安で声が震える。
「今のところはな」
ユーリの言い方は淡々としているけれど、隠している緊張が伝わってくる。
「だが、時間の問題だ」
「え……?」
「皇太子は、お前の関係者を全員捕らえる。
証拠隠滅と、見せしめのためにな」
胸が冷えた。
「そんな……」
「だから急ぐ」
ユーリがコンソールを叩く。
「帝都郊外まで、もう一時間もかからん」
その一時間が、セリナには永遠のように感じられた。
「……ユーリさん」
「ユーリでいい」
「え?」
「さんは要らん。
お前は公爵令嬢だろう。身分はお前の方が上だ。遠慮するな」
(最初から“お前”呼びのくせに……
でもこの人、皇帝直属の特務官。家柄もきっと……)
「でも……」
「命令だ」
有無を言わせない声。
でも、どこか優しい。
「……わかりました、ユーリ」
「いい返事だ」
ユーリが操縦桿を握り直す。
「さて、作戦を説明する」
「作戦……?」
「ああ。お前の公爵邸は一等地にある。
正面から軍艦で突っ込めば、迎撃されるだけだ」
セリナは息を呑む。
「じゃあ……どうやって?」
「森に軍艦を隠す。そこからは生身で潜入だ」
「生身で……?」
「お前の邸宅は制圧されているが、戒厳令はまだ出てない。街は通常通りだ。
一般市民に紛れて近づく」
ユーリが簡易の図を出しながら説明を続ける。
「ソフィは邸内に監禁されているはずだ。
俺とレオンが兵を引きつける。その隙に、お前が行く」
「私が……?」
「お前の方が邸内を知ってるだろう。
監禁場所の当たりもつくはずだ」
セリナは考え、場所を答える。
「……使用人の部屋か、地下の倉庫」
「ならそこだ」
ユーリが腰のレーザーガンを取り出し、差し出す。
「持て」
「え……私、使ったこと……」
「大丈夫だ。トリガーを引けば撃てる。自衛だ」
震える手で受け取る。
「……わかりました」
ユーリは静かに頷いた。
「いいか。ソフィを見つけたら裏口へ走れ。
レオンが攪乱している間に俺が車を用意する」
「車……?」
「お前の邸宅の車だ。勝手に使わせてもらう」
ユーリが小さく笑う。
「文句はないだろう?」
「……ないです」
セリナは拳を握った。
(ソフィ……絶対に助けるから)
・ ・ ・
「帝都郊外に入る」
ユーリの声に、セリナははっと我に返った。
窓の外には深い森が広がり、軍艦がゆっくりと降下していく。
「ここに隠す。光学迷彩、起動。カイルは留守番だ」
「はいよー!」
外装が揺らぎ、軍艦は森の景色へと溶けていく。
「行くぞ」
ユーリとレオンが立ち上がる。
呼吸が早くなる。
でも——行かなくちゃ。
ユーリがフード付きのコートを手渡す。
「髪を隠せ」
セリナは自分の桃色の髪をコートの中へとしまい込んだ。
「いいか、セリナ。俺たちから離れるな。
何かあったら、迷わず逃げろ」
「……はい」
三人は軍艦を降り、森の中へ踏み出した。
木々を抜けると、帝都セレニャールの郊外へ出る。
人通りは少ないとはいえ、朝の帝都はすぐに混みあう。
「自然に歩け」
ユーリとレオンに囲まれながら歩く。
心臓の鼓動が耳の内側で跳ね続ける。
(見つかったら……終わり)
でも、誰もセリナたちを気に留めない。
二人の存在感が自然だからだろうか。
こうしていると、本当にただの市民の三人組に見えた。
やがて、視界に白亜の大きな邸宅が現れる。
「あれが……私の邸宅」
「皇太子の私兵に制圧されているな」
ユーリが観察しながら呟く。
「正面と裏口は兵士が固めてる。だが……東側の塀が薄い」
セリナは記憶を探る。
「少しだけ土が盛り上がっていて……塀が低くなってる場所があります」
「なら、そこから入る」
三人は人目を避け、その塀へ近づいた。
「よし、ここだ」
ユーリが塀を見上げる。
「登れるか?」
「……やってみます」
塀を見上げながら、呼吸が浅くなる。
ユーリがレオンに小声で言う。
「レオン、先に潜入して陽動を頼む」
「了解した」
レオンは軽い動作で塀を越え、中へ消えた。
ユーリが続き、セリナへ手を差し伸べる。
「掴まれ」
セリナはその手を掴み、引き上げられる。
塀の上から見える庭は、懐かしいのに……全然違う。
いつも穏やかだった景色の中を、兵士が巡回している。
ユーリが小声で合図する。
「兵士が通り過ぎる……今だ」
二人は塀から飛び降り、茂みに身を潜めながら邸宅へと近づく。
「使用人の出入り口はどこだ?」
「あそこです」
セリナが指差す先に、小さな扉があった。
ユーリが先に駆け出した。
セリナも急いで追い、扉のノブを回す——開く。
(鍵が……かかってない)
「中だ」
二人は邸内に滑り込んだ。
――静まり返っている。
(こんなに静か……?
いつもは朝からみんな働いていて……)
胸が締め付けられる。
「使用人の部屋は?」
「二階です」
「なら、俺が兵を引きつける。その隙に行け」
「でも……!」
「大丈夫だ」
ユーリがそっと肩に触れる。
その温度に、少しだけ息が整う。
(なんだろう……その一声、なぜか安心する)
「お前を信じてる。——ソフィを頼む」
「……はい」
ユーリは廊下へ向かい、わざと足音を響かせた。
「侵入者だ! 捕らえろ!」
怒号と共に兵士の足音が殺到する。
ユーリは兵を誘導するように走り去った。
セリナは階段へ駆け上がる。
一つ目の部屋——違う。
二つ目の部屋——誰もいない。
焦りが喉を締め付ける。
三つ目の扉に手をかけた瞬間、中から人の気配がした。
「ソフィ……!」
「……お嬢様?」
その震える声を聞いた瞬間、胸が熱くなる。
「ソフィ!」
扉を開けると、茶髪の少女が椅子に縛られていた。
「お嬢様……!」
「今すぐ解くわ!」
セリナは手早く縄を切り、ソフィの腕を自由にした。
震えながらソフィが泣き笑いになる。
「お嬢様が……本当に来てくださるなんて……!」
「後で話す! 今は逃げるのよ!」
ソフィの手を掴み、廊下へ飛び出した――
「止まれ!」
兵士が銃を向けてきた。
「くっ……!」
セリナが反射的に銃を構えるが、
手が震えて狙いが定まらない。
「お嬢様、危ない!」
ソフィが庇ったその時——
横から飛びだしたユーリが兵士を蹴り倒す。
「走れ!」
三人は階段を駆け下りた。
裏口を開けると車が待っていた。
レオンが警戒に立ち、足元には気絶した兵士が二人。
「乗れ!」
ユーリが運転席に、レオンが助手席へ。
セリナとソフィは後部座席に飛び乗り、車が急発進した。
「揺れるぞ! 舌を噛むなよ!」
「追手!」
後ろから軍の車両が迫る。
ユーリは道路上の車を巧みに避けつつ車線を変え、
アクセルを踏み込む。追手との距離は少しずつ開いていく。
「このまま振り切る!」
大通りから市街地に入ると、急にハンドルを切った。
タイヤが悲鳴を上げる。
狭い路地へ飛び込むと、追撃車両は曲がり切れず壁に激突した。
「よし!」
追手が来ないことを確認し、スピードをあげて街を駆け抜けた。
「このまま森まで行くぞ!」
やがて森が見えてきた。
車を乗り捨て、四人は走り出す。
「軍艦はどこ!?」
「もうすぐだ!」
ユーリが先導し、光学迷彩が解除された軍艦が姿を現す。
「あれだ!」
四人は軍艦に飛び乗った。
「カイル、発進だ!!」
軍艦が浮上し、追撃を振り切る。
「はぁ……やりきったな。まあ、無茶をしたもんだ」
ユーリの声。
セリナは安堵のあまり、全身の力が抜けた。
「ソフィ……無事で……よかった……」
「お嬢様……!」
二人は抱き合う。涙が止まらない。
「もう大丈夫だ」
ユーリが振り返る。
「次の目的地に向かう」
「次?」
「第一中継惑星、ニャルディアだ」
商業惑星として有名な大きな星——ニャルディア。
「そこで船を乗り換える」
「乗り換える?」
「この軍艦は目立ちすぎる。
追跡される前に民間船に変える」
「なるほど」
「それと――」
ユーリがセリナとソフィを見る。
「お前たち、変装が必要だ」
「変装?」
「ああ。手配書がもう出回っているだろう」
ソフィがセリナを見る。
「お嬢様の髪……」
ユーリが申し訳なさそうに言う。
「目立つよな。染めるか?」
セリナは桃色の髪に触れた。
父が愛してくれた髪。
「……いえ。染めません」
「だが――」
「隠します。帽子でもフードでも。
でも、この髪だけは……」
ユーリは少し困った顔で、ゆっくり頷く。
「……わかった。隠す方向で行こう」
ソフィがそっと手を握る。
「お嬢様……」
「大丈夫よ、ソフィ。これからも一緒に頑張りましょう」
「はい!」
ユーリが二人を見て微笑む。
「いいコンビだな」
「え?」
「お前たち。似ている」
「似てます?」
ソフィが首を傾げる。
「ああ。目が同じだ」
ユーリが星図を見ながらぼそりと呟く。
「諦めない目をしている」
その言葉に、セリナの胸が熱くなる。
(諦めない。そう。私は諦めない。
父の遺志を継ぐ。真実を明らかにする。
そして、生き延びる。)
窓の外、母星が遠ざかる。
帝都セレニャールの光が小さくなる。
でもいつか必ず戻る。堂々と。正義と共に。
「ニャルディアまで一週間はかかる」
ユーリの声。
「まずはゆっくり休め。好きな部屋を使っていい」
「はい、ありがとう。
でも、あなたやレオン、カイルも休めるときは休んでください。
私やソフィだって、自動運行中の見張りくらいはできます」
「ん? そうだな。その時は頼む。俺たちはもう味方同士だ」
「えぇ。でも申し訳ありません。
お言葉に甘えて、今は先に休ませていただきます。
今日は……とても疲れました……」
ユーリは顔も向けず手を振った。
セリナとソフィは立ち上がり、船内居住区へ向かう。
ソフィがセリナの肩に寄りかかる。
「お嬢様……怖かったです」
「私も」
「でも嬉しいです。
こうして、また一緒にいられて」
「……私もよ、ソフィ。
あなたがいてくれるだけで、こんなに気持ちが違うなんて」
セリナは彼女の手を握る。
「これから、どうなるか分からないけど」
「大丈夫です」
ソフィが顔を上げる。
「お嬢様となら、どこへでも」
その言葉に涙がこぼれそうになる。
でも堪える。もう泣かない。前を向く。
セリナは窓の外へ視線を向けた。
広がる宇宙、無限の星々。
その中を、彼女たちは飛んでいく。
逃亡者として。
でも——希望と共に。
【あとがき】
妹のようなメイドと無事合流。実際は弱っちかろうが、セリナにとってはどれだけ心強いか!
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