2026年8月20日 21:22
おわりへの応援コメント
缶津メメさん、このたびは自主企画に参加してくれて、ありがとうな。『可愛そうな子』、最後まで読ませてもろたで。最初は紗江さんの境遇を見て、「この子、どうか幸せになってほしいなあ」いう気持ちで寄り添ってたんやけど、聖羅さんの日記が挟まるたびに、ウチの中の「かわいそう」の置き場所がじわじわ怪しくなっていったんよ。蒼真さんとの時間には、ちゃんと恋物語らしいぬくもりもある。せやからこそ、その横で少しずつ育っていく違和感がよう効いてたわ。今回は読みの温度「猫の縁側」やからな。怖さそのものを厳しく解剖するんやなく、この姉妹がなんでこんなにも目を離されへんのか、人間のおかしみや不器用さも含めて、夏目先生にゆっくり見てもらおか。■ 夏目先生――「猫の縁側」での講評缶津メメさん、夏目でございます。『可愛そうな子』を読み終えて、わたくしの心に残りましたのは、この作品が単に「恐ろしい人間」を描いたのではなく、人が自分なりの愛情を疑わなくなったときの危うさを描いている点でした。紗江は、自分を愛されなかった娘として理解しております。家族から遠ざけられ、自分には何もないと考えながら生きてきた彼女にとって、蒼真が一人の人間として向き合ってくれることは、恋愛以上の意味を持っているのでしょう。自分の存在をまっすぐ見てもらえるだけで、人は思いのほか救われるものです。蒼真も、なかなか不器用な青年です。大切な人を失った記憶を抱え、それでも誰かを守ろうとする。紗江はすぐ謝り、蒼真は肝心なところで言葉が足りない。恋というものは、器用な者同士ならもう少し簡単に済みそうなものですが、物語になるのは往々にして不器用な者同士でございます。この二人には、そうした微笑ましさがありました。そして聖羅です。この娘は恐ろしい。しかし、困ったことに妙な愛嬌もある。彼女の「かわいい」という感覚は、普通の人間が引く境界とはずいぶん違う場所にあります。傷ついた姿や苦しむ姿まで可愛らしさへ結びつけてしまう。その延長として、姉を自分の側へ強く引き留めたいような感情もあったのではないかと、わたくしには見えました。もちろん、それは愛情が行為を正当化するという話ではありません。ただ、聖羅を単なる悪意の人物として処理せず、本人なりの感情の筋道を残したことが、この作品の怖さと人間臭さにつながっております。聖羅の日記も巧みでした。紗江の語りだけを追っていると、読者は自然に彼女の側へ座ります。そこへ日記が入り、姉の知らない妹の視線が少しずつ見えてくる。しかし、それによって紗江の人生が単純に嘘になるわけではありません。人は事実だけで生きるのではなく、自分自身について作った物語の中でも生きております。紗江には紗江の「自分はかわいそうな子だ」という認識があり、聖羅には聖羅の愛情があります。その二つが最後まできれいには重ならないところに、この姉妹の寂しさがございました。題名もよく働いております。「可愛い」と「可哀想」は本来違う言葉ですが、この物語では次第にその境目が曖昧になっていく。誰かを可愛がる心にも所有欲が混じることがあり、哀れむ気持ちにも相手との距離が潜むことがある。読み終えたあとに題名を見ると、最初と同じ意味には見えません。気になったところを一つだけ申し上げるなら、中盤で恋愛の穏やかさが増すにつれ、聖羅の気配が少し遠ざかる場面がございます。しかし、これは恋愛部分を削るべきだという意味ではありません。幸福な場面の片隅へ、ごく小さな違和感を残すだけでも十分でしょう。紗江と蒼真が幸せになればなるほど、読者がなぜか落ち着かなくなる。その程度の気配があれば、終盤へ向かう不安はいっそう自然に育つと思います。ホラーの読者というものは難儀でして、幸福を見せられると、かえって心配するのでございます。それでも、わたくしが何より魅力に感じたのは、紗江と聖羅を単純な「かわいそうな姉」と「恐ろしい妹」に分けなかったことです。二人とも愛されたく、また愛したかったのでしょう。ただ、その向き方も受け取り方も、どこかで大きくすれ違ってしまった。恐ろしい出来事の奥に、そうした不器用さが残っているからこそ、この物語はただ惨たらしいだけでは終わりません。怖く、それでいて寂しく、どこか愛嬌まである。その複雑な後味こそ、『可愛そうな子』の魅力だと思います。缶津メメさんには、これからも人物を単純な善悪へ閉じ込めず、恐ろしさの中にも、その人だけの愛情や不器用さが残る物語を書き継いでいただきたい。そうした人間の厄介さを描けることは、この作品ですでに大きな持ち味になっております。■ ユキナより――終わりの挨拶夏目先生の話を聞いてると、ウチも改めて思うわ。この作品、怖いんはもちろんなんやけど、最後まで残るんは「なんでこの子ら、こんなことになってしもたんやろな」いう寂しさなんよね。紗江さんと聖羅さんが、最後まできれいに「かわいそうな姉」と「怖い妹」に分かれてくれへん。その曖昧さがあるから、読み終わったあとも二人のことを考えてまうんやと思う。怖さだけやなく、人を好きになることの不器用さまで残る作品やったわ。缶津メメさん、参加してくれてありがとうな。じっくり楽しませてもろたで。ユキナと夏目先生(猫の縁側 ver.)※ユキナおよび夏目先生は、GPT-5.6による仮想キャラクターです。
2026年2月7日 21:12 編集済
あまり時間がなかったから、コメント出来なくてすみませんでした。でも、全部読んで好きでした。と言っても、悲しすぎます!=)))「もしも、こんな事にはならなかった。。。」ああ、こんな思いが誰にとっても一番辛いかもしれません。私の答えとは、自分を閉じ込めないで、人と関わり続けて、ただ活きろうとしているしかありません。
作者からの返信
冬の岬さん!!!!!お忙しい中、読んでくださってありがとうございます!!!!!!!!!本当に嬉しい 最高です答えに正解はありませんが、私は冬の岬さんの答えが好きです。そう、ただ生きるしか無いのです。
2025年12月30日 18:44
聖羅の日記 6への応援コメント
価値観そのものが歪んだ状態で産まれちゃった子って感じですね…
日野さまコメントありがとうございます!そうです、聖羅はそもそも「そういう子」ですね……………
2025年12月30日 17:02
聖羅の日記 2への応援コメント
企画から来ました!不穏な雰囲気がとてもすきです。
日野様いらっしゃいませ!「可愛そうな子」を目に止めて頂き、誠にありがとうございます。よろしければこの子たちの最後までお付き合いいただけたら幸いです。
おわりへの応援コメント
缶津メメさん、このたびは自主企画に参加してくれて、ありがとうな。
『可愛そうな子』、最後まで読ませてもろたで。最初は紗江さんの境遇を見て、「この子、どうか幸せになってほしいなあ」いう気持ちで寄り添ってたんやけど、聖羅さんの日記が挟まるたびに、ウチの中の「かわいそう」の置き場所がじわじわ怪しくなっていったんよ。
蒼真さんとの時間には、ちゃんと恋物語らしいぬくもりもある。せやからこそ、その横で少しずつ育っていく違和感がよう効いてたわ。
今回は読みの温度「猫の縁側」やからな。怖さそのものを厳しく解剖するんやなく、この姉妹がなんでこんなにも目を離されへんのか、人間のおかしみや不器用さも含めて、夏目先生にゆっくり見てもらおか。
■ 夏目先生――「猫の縁側」での講評
缶津メメさん、夏目でございます。
『可愛そうな子』を読み終えて、わたくしの心に残りましたのは、この作品が単に「恐ろしい人間」を描いたのではなく、人が自分なりの愛情を疑わなくなったときの危うさを描いている点でした。
紗江は、自分を愛されなかった娘として理解しております。家族から遠ざけられ、自分には何もないと考えながら生きてきた彼女にとって、蒼真が一人の人間として向き合ってくれることは、恋愛以上の意味を持っているのでしょう。自分の存在をまっすぐ見てもらえるだけで、人は思いのほか救われるものです。
蒼真も、なかなか不器用な青年です。大切な人を失った記憶を抱え、それでも誰かを守ろうとする。紗江はすぐ謝り、蒼真は肝心なところで言葉が足りない。恋というものは、器用な者同士ならもう少し簡単に済みそうなものですが、物語になるのは往々にして不器用な者同士でございます。この二人には、そうした微笑ましさがありました。
そして聖羅です。
この娘は恐ろしい。しかし、困ったことに妙な愛嬌もある。
彼女の「かわいい」という感覚は、普通の人間が引く境界とはずいぶん違う場所にあります。傷ついた姿や苦しむ姿まで可愛らしさへ結びつけてしまう。その延長として、姉を自分の側へ強く引き留めたいような感情もあったのではないかと、わたくしには見えました。
もちろん、それは愛情が行為を正当化するという話ではありません。ただ、聖羅を単なる悪意の人物として処理せず、本人なりの感情の筋道を残したことが、この作品の怖さと人間臭さにつながっております。
聖羅の日記も巧みでした。
紗江の語りだけを追っていると、読者は自然に彼女の側へ座ります。そこへ日記が入り、姉の知らない妹の視線が少しずつ見えてくる。しかし、それによって紗江の人生が単純に嘘になるわけではありません。
人は事実だけで生きるのではなく、自分自身について作った物語の中でも生きております。紗江には紗江の「自分はかわいそうな子だ」という認識があり、聖羅には聖羅の愛情があります。その二つが最後まできれいには重ならないところに、この姉妹の寂しさがございました。
題名もよく働いております。
「可愛い」と「可哀想」は本来違う言葉ですが、この物語では次第にその境目が曖昧になっていく。誰かを可愛がる心にも所有欲が混じることがあり、哀れむ気持ちにも相手との距離が潜むことがある。読み終えたあとに題名を見ると、最初と同じ意味には見えません。
気になったところを一つだけ申し上げるなら、中盤で恋愛の穏やかさが増すにつれ、聖羅の気配が少し遠ざかる場面がございます。
しかし、これは恋愛部分を削るべきだという意味ではありません。幸福な場面の片隅へ、ごく小さな違和感を残すだけでも十分でしょう。紗江と蒼真が幸せになればなるほど、読者がなぜか落ち着かなくなる。その程度の気配があれば、終盤へ向かう不安はいっそう自然に育つと思います。
ホラーの読者というものは難儀でして、幸福を見せられると、かえって心配するのでございます。
それでも、わたくしが何より魅力に感じたのは、紗江と聖羅を単純な「かわいそうな姉」と「恐ろしい妹」に分けなかったことです。
二人とも愛されたく、また愛したかったのでしょう。ただ、その向き方も受け取り方も、どこかで大きくすれ違ってしまった。恐ろしい出来事の奥に、そうした不器用さが残っているからこそ、この物語はただ惨たらしいだけでは終わりません。
怖く、それでいて寂しく、どこか愛嬌まである。
その複雑な後味こそ、『可愛そうな子』の魅力だと思います。
缶津メメさんには、これからも人物を単純な善悪へ閉じ込めず、恐ろしさの中にも、その人だけの愛情や不器用さが残る物語を書き継いでいただきたい。そうした人間の厄介さを描けることは、この作品ですでに大きな持ち味になっております。
■ ユキナより――終わりの挨拶
夏目先生の話を聞いてると、ウチも改めて思うわ。この作品、怖いんはもちろんなんやけど、最後まで残るんは「なんでこの子ら、こんなことになってしもたんやろな」いう寂しさなんよね。
紗江さんと聖羅さんが、最後まできれいに「かわいそうな姉」と「怖い妹」に分かれてくれへん。その曖昧さがあるから、読み終わったあとも二人のことを考えてまうんやと思う。
怖さだけやなく、人を好きになることの不器用さまで残る作品やったわ。缶津メメさん、参加してくれてありがとうな。じっくり楽しませてもろたで。
ユキナと夏目先生(猫の縁側 ver.)
※ユキナおよび夏目先生は、GPT-5.6による仮想キャラクターです。