青春グッド・バイ
藤宮四季
1話 開演
「部活の同窓会が、先輩の葬式になるなんて思ってなかったよ」
そう言いながら、
「あそこにある骨壺、中身空っぽだったりして」
向かいに座っていた順平が身を乗り出して小声で言った。
「冗談でもそんなこと言わないの」
俺の隣にいた
役者になると言う先輩との約束が果たせないまま、気づけば二十代半ばになっていた。仕事をしながら演劇をだらだら続けている今の自分を見て、先輩が生きていたら何て言うのだろうか。
飲むか飲まないか迷った末にビールが入ったコップを手に取り、俺は口をつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
所属している劇団の公演が一段落し、久方ぶりの休日を満喫しようと思った矢先、高校の友人から珍しく連絡が来た。高校時代、同じ部活に所属していた先輩が亡くなった。俺は休むまもなく地元に帰ることになった。
おかげで今日は朝から仕事が捗らなかった。書類作成で普段しないミスをしてしまったのは、公演が終わるまで毎日のようにあった劇団の活動による疲労に加えて、先輩の訃報に動揺したせいかもしれない。今日は早く帰ってすぐ寝よう。退社しようと席を立ったら、誰かに肩を叩かれた。振り返ると同僚の男が立っていた。
「片瀬、この後空いてる?」
「ごめん今日予定あるんだ」
「まだ何も言ってねぇじゃん!」
「どうせ飲み会だろ」
そう言うと、彼が焦った顔をして辺りを見回した。
「お前がいねぇと理沙ちゃん来ねぇんだよ」
彼は小声で後ろをこっそり指さす。ちらりと見やれば、長い髪を緩く巻いた女子社員が男性社員数名と笑顔で話しているのが見えた。
「別に俺じゃなくても良いだろ」
「お前じゃなきゃ駄目なんだよ」
「最近忙しくて疲れてるんだ。申し訳ないけど今日は帰らせてくれ」
帰ろうと鞄を掴んだら、同僚も俺の鞄を掴んで来た。そのまま無言で、綱引きするかのように静かな攻防が繰り広げられる。
「離してくれ」
「いるの最初だけで良いから!」
「何だかんだ言って最後までいさせる気だろ」
彼の制止を振り切って俺はオフィスを出た。
下に降りるエレベーターを待っていると、後ろから甘ったるい声が聞こえた。
「片瀬さん、今日飲み会来ないんですかぁ?」
「あれ、清水さんは飲み会行くんじゃないの?」
清水理沙がそこにいた。俺の隣に来た彼女は口を尖らせる。
「断って来ました。だって片瀬さんいないとつまらないんですもん」
「俺そんなに面白いこと言えないよ?」
「やだ、そういうことじゃないですよぉ」
彼女が笑いながら、俺の肘あたりに触れて来る。適当に交わそうとしてもこれだからな……。前から彼女のことは少し苦手だった。
「片瀬さん、明日お誕生日ですよね?」
「あぁそうかも。全然気にしてなかったな」
本当に忘れていた。明日で二十代のちょうど折り返し地点の年齢になるが、記念日に何かをしてくれる相手もいないうえ、ましてや家族からプレゼントを贈られる年齢でもない。故にどうでも良かった。
「私、すごく美味しいお店知ってるんですけど。次の週末、良かったら一緒に行きませんか?」
「ちょっと清水さん」
一緒に食事なんて、彼女に好意を寄せている同僚の男達に見られたら何かと面倒だ。交わそうとしたが無理だった。彼女に顔の前に手を合わせて小さく拝まれる。
「みんなには内緒にしますから!」
「そうは言ってもね……」
「お願いします!」
今日はやけに押しが強いな。これは前にも覚えがある。これは断れたとしても、どっちにしろ面倒だ。心の中でため息をついた。
「分かった。でも今回だけだからね」
清水さんが駅に用事があって一緒に帰りたいと言うので、また仕方なくこちらが折れた。帰り道、彼女の話にそれとなく返していると、路上に大学生くらいの男の子と女の子が立っていた。行き交う人々に声をかけながらチラシを配っている。
「劇団北極星です! よろしくお願いします!」
「八月に上演します! よろしくお願いします!」
通りすがりにチラシを受け取る。すると清水さんが覗き込んできた。
「演劇興味あるんですか?」
「いや、何となくもらっただけだよ」
本音を言うと、一生懸命な学生に応えたくて受け取った。この劇団は知っている。大人に混じって参加するのは、ただでさえ緊張するだろうに。学生からしたら、チラシ一枚受け取って貰えただけで嬉しいものだ。かつての自分がそうだった。自分が劇団に所属していることは、会社の人間は誰も知らない。チラシを軽く折りたたんで鞄に入れると、清水さんが口を開いた。
「演劇って三時間くらいやるんですよね? 時間も長いし演技も大げさでつまんなくないですか?」
「あぁ……そうだね」
「そう思いますよね!」
言いたいことは山程あったが、心の中でどうにか押し留めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
早めに風呂に入り、ベッドに寝転ぶ。電気を消して暗闇の中の天井をしばらく見つめていると、自然に今日の帰り道でのことを思い出していた。演劇は時間が長いし、演技も大げさでつまらない、か。自分が演劇をしていることを彼女が知らないのは仕方ないが、目の前で好きなものを貶されるのは中々堪えた。
「
ぽつりと呟く。しかし自分も高校生になったばかりの頃は、まだ演劇の魅力が分かっていなかった。その時自分も似たようなことを先輩に言ったことがある。記憶の中の彼女は、いつも明るい声を上げて屈託なく笑っていた。その深海先輩が死んだ。未だにこの事実を信じられずにいた。
そうだ、あの時。先輩は──
昔のことを思い出しているうちに、いつの間にか俺は眠りに落ちていた。
携帯のアラームが鳴るよりも先に目が覚めた。まだ脳がふわふわした状態で寝室を出ると、リビングの電気が付いているのに気づき、頭を抱える。昨日消し忘れたらしい。リビングの扉を開けようとドアノブに手を掛ける。少し開けたその時、部屋の中で何かがバサバサと動く音がして、一気に目が覚めた。家に誰かいる。強盗か?俺は、扉から恐る恐る顔を出す。身体は緊張で強張っていた。
「──なぁ、これが台本ってやつ? オレ初めて見た」
「は……」
リビングのテーブルに男がいた。顔の横で仰ぐように台本を動かしていた男は、俺の顔を見るとニヤリと笑った。一瞬、夢でも見てるのかと思った。そこにいたのは、紛れもない、
「よぉ、初めまして。カタセスミト君」
行儀悪く片足を椅子の上に立てた男がもう一度、意地悪そうに笑った。
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