第22話:法という剣

 かなでさんに「歌いたい」と伝えたあの日。

 私の心に灯った小さな火種を、彼女はとても大切に扱ってくれた。


 翌日の朝。かなでさんはいつもより少し早く起きると、黒いパンツスーツに着替えながら、私に言った。


「すずちゃん。今日、私はあなたのための『剣』を研ぎに出かけてくるわ。少し長くなるかもしれないけど、いい子で待っててくれる?」


「剣……?」


 私が不思議そうに首を傾げると、彼女は悪戯っぽく笑って私の頭を撫でた。


「そう。言葉の暴力という名のドラゴンを、法的に退治するための、ね」


 その言葉の真意はよく分からなかったけれど、彼女が私のために戦いに行ってくれることだけは、はっきりと伝わってきた。


「うん。いってらっしゃい、かなでさん」


 玄関で彼女を見送った後、私は一人、リビングで静かに時間を過ごした。


 昨日までの私なら、きっと不安で押しつぶされそうになっていただろう。今は少し違った。

 私の選択をかなでさんは全面的に肯定してくれた。「逃げてもいいし、戦ってもいい。どっちを選んでも味方だ」と。その言葉が、私の足元をしっかりと照らしてくれていた。


 私は戦うことを選んだ。自分の意志で。

 だから、もううつむいているだけではいけない。


 私は久しぶりに自分のチャンネルのアナリティクス画面を開いた。誹謗中傷のコメントは見ないようにして、ただ、応援してくれている人たちの温かい言葉だけを目で追う。


「すずちゃんの歌に救われました」


「次の配信、待ってます」


 たくさんの人が私の歌を待ってくれている。この人たちのためにも、私は歌わなければ。


 夕方、かなでさんが帰ってきた。その表情はどこかスッキリとしていて、まるで大きな仕事をやり遂げた後のような、清々しい空気をまとっていた。


「おかえりなさい、かなでさん」


「ただいま、すずちゃん! 剣、ピカピカに研いできたわよ」


 ソファに座った彼女は、今日の出来事を私に分かるようにゆっくりと話してくれた。

 彼女が向かった先は都心にある、国内でも有数の法律事務所だったこと。そこでベテランの弁護士さんと会い、私たちの状況を全て説明したこと。


 そして、これから始まる「戦い」の具体的な内容について。


「まず、正義執行人という動画投稿者に対しては、プロバイダに『あなたの住所と名前を教えてください』っていう手紙を送る手続きを始めたわ。彼の行為は人の悪口を言って評判を落とす『名誉毀損』と、私たちの活動の邪魔をした『業務妨害』にあたるから。ちゃんと教えてもらえたら、今度は裁判所に『あなたがしたことで、私たちはとても傷つきました。ちゃんと償ってください』ってお願いするの。場合によっては警察にも相談するわ」


「次に、匿名掲示板で酷いことを書いた人たち」


 かなでさんの声のトーンが、少しだけ低くなる。


「あの人たちにも同じように手紙を送るわ。『匿名だから何を言ってもいい』なんてことは、絶対にない。自分の言葉にはちゃんと責任を取ってもらわないとね」


 難しい言葉を私の年齢を鑑みてかみ砕いてくれている。

 彼女が私のために本気で怒り、本気で戦おうとしてくれていることは、痛いほどに伝わってきた。私の前にはこんなにも強く、頼もしい人が立ってくれている。


 かなでさんは私の手を優しく握りしめた。


「だから、あなたはもう何も心配しなくていい。あなたは歌うことだけを考えて。そういう、汚くて面倒な仕事は全部私がやるから。私があなたの最強の盾になるって、約束したでしょ?」


 その言葉はどんな魔法よりも、私の心を強くした。


 一人じゃない。


 私はこくりと頷くと、久しぶりに心の底から笑みを浮かべられて「ありがとう」と告げることができた。

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