第一部

喫水線のオークションと砂時計 1

 モニターの光が晴臣の顔を蒼白く染めている。

 画面に映るのは今季の推しアニメのSNSではない。評議会からの直接の依頼だ。赤い文字で「最優先」の刻印が点滅する。

 よりによってこの魔道具だなんて。駆け出しに回すような案件じゃない、嫌がらせか。ため息が漏れた瞬間、湯気が視界を横切った。


「どうしました?晴臣さん」


 ほたるが熱いですよ、煎茶の入った湯呑を差し出した。


「ああ……うん」


 晴臣は歯切れ悪く答えながら湯呑を受け取った。熱さなど構っていられなかった。


「ちょっとヤバい任務だね。二人を呼んでくれるかい?」


 ほたるはきょとんとした顔で通信機に手を伸ばした。

 程なくしてトレーニングを終えた迅とニコラが指令室に入ってきた。

 薄暗い部屋の壁一面を埋めつくす大小さまざまなフィギュア。天井から垂れ下がる極彩色の美少女タペストリー。公私混同の極みである。


「ヤバいってなんだよ?」


 迅がタオルで汗を拭いながら言う。


「ほたる君、概要を」


「はい」


 ほたるがモニターを操作する。平面図が浮かび上がった。


横浜よこはま港を出港する超豪華客船『ポセイドン・ネオ』――表向きは富裕層向けクルーズですが、水面下で開催されるのは世界中の裏社会のVIPが集う極秘オークションです」


「豪華客船!?」


「密室だな。海の上だから情報も漏れにくい。よく考えてるな」


 ニコラが腕を組む。同時に、晴臣がため息をついた。


「オークションの目玉商品――古代の魔道具『忘却の砂時計レーテ•クロノス』……特定の時間軸の認識を歪める、危険なシロモノだよ」


「おいS級魔道具ヤバいもんじゃねえか!なんでそんなもんが出回ってんだよ。遺物管理部門は何してんだ!?」


「それは……」


 ほたるが口ごもる。


「いいかい迅。事象地平教会Event Horizon Churchは君が思っている以上に大きい。魔道具の横流しなんか、よくある話さ」


 晴臣は煎茶を啜った。

 よくあってほしくねぇよ、と迅はむくれたまま悪態をついた。


境界線事象管理局Boundary Phenomenon Management Agencyの評議会は、これがEHCあるいはそれに連なる組織の手に渡ることを阻止する決定を下しました。このS級魔道具の回収は、我々HAUNDSが担当します」


「なんでそんなヤベェもんを俺らがやらなきゃなんねえんだ。そういうのはSABER(エリートさん)の専門シマだろうが……」


「……いいかな、マエストロ」


 ぼやく迅を横目に、静かに聞いていたニコラが軽く手を挙げた。


「この魔道具、俺たちに手の追えるようなモノなのか?」


 碧眼が晴臣を捉える。


「素人の俺には、どこまで危険なものかいまいち見えてこない」


「まあ……そうだね。迅が言うようにS級、かなり危険だというのは伝えておくよ。一般人は触れるだけで精神をやられる。僕は魔道具の専門家じゃないが……正直、もう関わりたくはないね」


 晴臣の顔色が白くなる。


「その場で破壊することは?危険なものを船上からここまで持ち帰る……リスクが高すぎないか」


「破壊は認められていない。評議会が決めたことだからね。僕たちに拒否権はないんだよ」


 ニコラの懸念は尤もだった。だがHAUNDSはまだ駆け出しだ。拒否権などない。だがこの実績が足掛かりになるかもしれない。作戦が上手くいけば、管理局内での一条家の影響力を高められる。それが晴臣の思惑だった。


「それにこういった危険物は一度浄化の手続きを取らないといけない」


「一般人が多くいる密室ですから、破壊することで二次被害の危険もありますね」


「ま、何にせよ偉いさんが決めたんなら仕方ねえな」


 迅が頭の後ろで手を組みながら、諦め半分に言う。ニコラは何かを察したのか、それ以上突っ込まむことはしなかった。


「オークションは深夜0時に開始します。それまでに魔道具を確保しなければ、追跡が困難になります」


「乗客の中に敵の協力者が紛れている可能性が高いね。警戒は常にした方が良さそうだ」


 ニコラが呟いた。


「『忘却の砂時計』は、近づくだけで周囲の人間の短期記憶を曖昧にさせる精神汚染フィールドを発生させることがある。くれぐれも気をつけることだ」


「出港は――まだ時間があるか。どうだい、ほたる。景気付けにランチでも。奢るよ」


 腕時計は11時過ぎを指していた。ニコラが片目を瞑ってみせる。


「え、いいんですか?それじゃあ中華街に行きませんか?」


 ほたるの目が輝く。


中華オゴりだと!?俺も連れてけ!!」


 迅が立ち上がり、慌ててロングコートを羽織る。


「18時出港だからね。遅れるようなことはしないように」


 晴臣が興味なさそうに言う。

 3人の足音が遠ざかっていく。

 

「……どうして、僕のもとに、また」


 晴臣はモニターの先に映る砂時計を忌々しそうに見つめた。


 ***


 超豪華客船『ポセイドン・ネオ』。

 螺旋階段が迷路のように絡み合い、シャンデリアが天井から幾つも垂れ下がる。光が水晶を通して無数に砕け散って見えた。

 高級イタリアンスーツに身を包んだニコラが船内に降り立つ。華やかなストライプが身体のラインを際立たせている。髪はいつもより固く撫で付けられ、優雅な笑みが唇に貼り付いていた。ネクタイの位置を直し、視線を一周させる。女性たちが囁き合い、視線がニコラを追った。


「Salve, ragazze」

(こんばんは、お嬢さん方)


 視線に気づいたニコラが片手を挙げて小さく笑う。きゃあ、と小さな悲鳴があがった。

 その後ろで窮屈そうな黒いスーツを着た迅が、面白くなさそうに頭を掻いた。


「…なんで俺がお前のボディーガードなんだよ」


「おや、変わるかい?君に『大富豪の御曹司』役ができればいいんだけど」


 迅は小さく舌打ちをしてサングラスをかけ直した。


「君のその『赤い瞳』、バレたら厄介なんだ。上手く隠してくれよcompagno(相棒)」


 ディーラーの制服を着たほたるがすれ違い、にこりと笑った。


「……行くよ、scorta(護衛くん)。仕事の時間だ」


 ニコラは静かに歩き出した。


 ***


 窓のない内側客室エリア。晴臣はノートパソコンを広げ、3つの点をモニタリングしていた。インカム越しに指示を飛ばす。


「いいかい、僕らはだけ奪えばいいんだ。ネズミは相手にするな。ただ、僕らも袋小路にいるのは事実だからね。窮鼠は猫を噛むから」


「……異様な雰囲気ですね」


 ほたるの声は警戒を滲ませていた。


「確かに富裕層のパーティー……と思われますけど、纏っている雰囲気が彼らとは違う。半分くらいは関係者じゃないでしょうか」


 晴臣が腕を組む。総当たりで探すには多すぎる。迅の【瞳】に賭けるしかないか。


「迅、いいかい?ニコラやほたる君のことは気にしなくていい。君はただ、その【瞳】で見て、感じたものを報告してくれればいい」


「きゃっ!もう……ダメですよぉ」


 ほたるが恥ずかしそうな悲鳴をあげる。


「……んのスケベジジイ……!ほたるの尻触りやがったな……!」


「ステイステイ!君は俺の護衛だろ。勝手に持ち場を離れないの!」


 君ら、話聞いてたか――晴臣はマイクを切り、深いため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る