閑話 奈江子と姉(3)
それから長い間、奈江子は姉夫婦には一切関わらなかった。姉夫婦に子どもが生まれたと聞いたときも、そうなんだ、としか思わなかった。
奈江子がそれなりに仕事でキャリアを積み始めた頃、両親が事故で帰らぬ人となった。
奈江子は突然の訃報に悲しみつつも、とにかく今はやらないとという義務感のみでなんとか葬式を取り仕切った。葬式にはもちろん姉夫婦も呼んだ。姉夫婦は来ないだろうと、奈江子は心のどこかで思っていた。
しかし実際には、姉は二人の子どもを連れて現れた。8歳の男の子と、6歳の女の子。男の子はやんちゃそうで、女の子は冷静で大人しかった。
久々に会った姉は、目にひどいくまを作っていて、以前よりずっと痩せて見えた。
「姉さん、久しぶり」
「久しぶり」
姉は口数少なく話した。
男の子は興味津々といったように、周囲の色々なものを見ている。一方、女の子はどこか冷めた目で周囲を見ていた。
ふいに、その目が奈江子とかち合う。
一瞬、奈江子の背筋がぞくりと冷えた。しかしすぐに冷えは去って行き、ただの気のせいかと奈江子はすぐ思考を切り替える。
奈江子は喪主として粛々と葬儀を終えた。
それからは、やはり姉とは疎遠な日々で。仕事も忙しくなってきて、姉夫婦のことは頭の隅に追いやられていた。
そんなある日のことだった。
ニュースで流れてきた事故の話題。
『亡くなったのは、市内に住む、三浦陽太くん8歳と、その父親で戦闘隊員であった三浦茂さん34歳で……』
突然のことに、一瞬、理解が追いつかなかった。しかし、脳はじわじわとそのできごとを頭に染みこませていく。
姉は若くして子どもと夫を失い、悲劇の未亡人になったのだった。
奈江子は信じられなかった。姉のことが、三浦茂のことが。あんな風に、俺が守るとか言っていたくせに、姉さんを残して死ぬなんて。それは怒りとも憐憫ともつかない感情だった。
残された姉とその娘はどうなったのだろう。気になったが、当然ニュースでそんなことまで報道されたりはしなかった。
奈江子は電話をかけようか迷って、結局しないことを選んだ。心のどこかに、自分に会うことを拒む姉の姿が佇んでいたからだった。
それからまた普通の日常が始まった。姉のことを、奈江子はあまり考えないようにした。考えるとどつぼにはまるような気がしたから。
一本の電話を受け取ったのは、編集長になった直後のことだった。
「もしもし、そちら、南奈江子さんのお電話でしょうか」
「はい、そうですが」
「こちら警察です。落ち着いて聞いていただきたいのですが、あなたのお姉さんの三浦宏美さんが、児童虐待で逮捕されました」
それは、青天の霹靂だった。
きーんと耳鳴りがして、警察の人の声が遠ざかっていく。頭の中にあったのは疑問だけ。
なぜ?姉さんが逮捕?児童虐待?つまり、あの女の子に。
奈江子の頭の中はぐるぐる回っていて、それでも、なんとか話を聞こうと耳を傾ける。
「その、それで、姉はどうなるんですか」
「刑務所に行くことになります。刑期はまだ確定していませんが、少なくない年数でしょう。それで、虐待されていた姪御さんなんですが、引取先を探していまして。もし可能であれば、南さんに引き取っていただきたいんです」
「引き取る?私がですか?」
「はい。もちろん、どうしても無理であれば拒否することもできますが……その場合、姪御さんは児童養護施設に預けられることになると思います」
児童養護施設。そこに対して、奈江子はあまり良いイメージを持っていなかった。かつて、奈江子の友人にその施設の出身の子がいたが、彼は随分施設を嫌っていて、常に良くない話ばかり聞かされていた。
もし、あの子が、そこに行くことになったら。奈江子は考える。自分の元に来るのが良いとも正直思えないが、身内の方がまだ安心はできたりするのだろうか。幸い奈江子はあまり姉とは似ていなかった。だから、トラウマを刺激することもないだろうと予想する。
答えは一つだった。
「分かりました。その子は、私が引き取ります」
そうして、7歳9ヶ月の姪っ子、三浦史詩夏は、奈江子の元にやって来た。
史詩夏は大人しかった。両腕両足についた痣は見ていられないほど痛々しかったが、本人はジッと黙って何も発しなかった。
その頃、奈江子の元に一通の手紙が来ていた。それは、史詩夏が超人であり、8歳から訓練を受けることになるというものだった。
奈江子は訓練所が丁度職場の近くだと分かった為、悩んだ末、住んでいた実家を手放してマンションに移り住んだ。
そして、史詩夏との長い長い共同生活が始まった。
史詩夏は終止大人しく静かだった。しかし、最低限の意思疎通はできたし、時折自発的に行動したりもした。
特に料理に関しては、下手な奈江子に代わって早々に、史詩夏がその役を担うようになった。やらせてみるとどうだろう。史詩夏は料理の達人だった。
それで、奈江子は素直に史詩夏に料理番を任せることにした。
半年ほど過ぎた頃、史詩夏は寝る前にぽつりとこんなことを言った。
「あなたは、私のお母さんですか」
奈江子は驚いた。そして、史詩夏には母親との記憶が存在していないことに気づいた。
医者はそれを虐待児によくあることだと説明した。わざと記憶を飛ばして、心の安寧を保とうとするのだ。
奈江子にはよく分からない話だったが、それほどつらかったのだろう。そう思って、史詩夏により一層優しく接した。
お母さんではなくて、お母さんの妹なんだ。本当のお母さんは……もう、死んじゃったんだよ。
そんな風に説明すると、史詩夏は素直に納得し、それからは奈江子のことも普通に奈江子さんと呼ぶようになった。今まではあの、とか、すみません、だった。
そうして、二人は少しずつ少しずつ、絆を深めていった。
編集長として忙しく過ごす奈江子は、なかなか史詩夏に構ってはあげられない。だが、それでも精一杯愛情を注ごうと誓っていた。
愛してるよ、史詩夏。私のところに来たのはきっと、なにかのお導きだったんだろうね。
そんな風に、眠った史詩夏に言いながら、奈江子もまたあくびをかみ殺すのだった。
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