第4話 原罪の観測者
違和感は、朝から消えなかった。
エルシアは、教室の窓際の席で外を眺めながら、何度目か分からない深呼吸をする。
――見られている。
理由はない。
だが、これまでのループで培われた直感が、確かにそう告げていた。
授業内容は頭に入ってこない。
板書をなぞる手だけが、機械的に動いている。
「……エルシア?」
教授の声で我に返る。
「す、すみません」
教室に小さな笑いが起こる。
だが、その中に――一人だけ、笑っていない者がいた。
最後列。
学生でも、教師でもない。
フードを深く被った男。
――ありえない。
この教室は、許可なく入れる場所ではない。
男と、目が合った。
蛇のような、冷たい瞳。
瞬間、エルシアの背筋を冷たいものが走る。
――知っている。
この視線を。
何度も、死ぬ直前に感じたものと、同じだ。
鐘が鳴り、授業が終わる。
生徒たちは一斉に立ち上がり、ざわめきながら教室を出ていく。
エルシアも席を立つが――
一歩、踏み出した瞬間。
「――君」
低い声。
振り返ると、教室にはもう誰もいない。
フードの男だけが、そこに立っていた。
「……関係者以外、立ち入り禁止です」
声は震えなかった。
だが、心臓は早鐘を打っている。
「形式は守っている。
《五英雄・協力者》としてな」
五英雄。
その言葉に、喉が詰まる。
「……ゼフィル=ナハシュ」
名前は、自然と口をついて出た。
大罪人。
原罪の観測者。
英雄として語られることはない。
だが、確かに――終焉の獣討伐に関わった男。
ゼフィルは、わずかに口角を上げた。
「覚えているのか。
それとも、知っているだけか」
「……何の話ですか」
「なら聞こう」
一歩、距離が詰まる。
「君は、何回死んだ?」
世界が、止まった。
言葉の意味を理解するより先に、
全身の血が冷える。
「……冗談なら」
「冗談なら、こんな質問はしない」
ゼフィルの瞳が、彼女を射抜く。
「三回か?
それとも、もっとか」
呼吸が乱れる。
否定しなければならない。
だが――
「……答えなくていい」
ゼフィルは、ふっと視線を逸らした。
「重要なのは回数ではない。
君が“戻っている”という事実だ」
エルシアは、言葉を失った。
「……どうして、分かるんですか」
「世界が語っている」
ゼフィルは床に指をなぞる。
「ここには、継ぎ目がある。
本来、存在しない“再縫合の痕”だ」
彼は静かに続ける。
「終焉の獣は倒された。
だが、世界は一度、死にかけている」
「……それと、私に何の関係が」
「大いにある」
ゼフィルの声が、わずかに低くなる。
「神は、この結末を拒否している。
だが――君だけは拒否できない」
エルシアの胸が、強く締めつけられる。
「……私は、何なんですか」
震える声で、問いかける。
「英雄でもない。
神に選ばれた覚えもない。
ただの学生です」
ゼフィルは、少しだけ黙った。
そして、ゆっくりと言う。
「君は――鍵だ」
「鍵……?」
「世界を閉じる鍵。
そして、開く鍵でもある」
フードの影の中で、蛇の瞳が細くなる。
「君が死ねば、世界は否定される。
君が生きれば、世界は歪む」
「……そんなの」
「理不尽だな?」
ゼフィルは、どこか愉快そうに笑った。
「だが、それが“神の都合”だ」
エルシアは、拳を握りしめる。
「……あなたは、何を知っているんですか」
「すべてではない」
だが、と前置きして。
「終焉の獣は、神が生み出した。
いや――正確には」
ゼフィルは、エルシアを見つめる。
「神が拒否した未来の集合体だ」
空気が、重くなる。
「だから完全には消えない。
君が死ぬたびに、世界が戻る限りな」
沈黙。
エルシアは、ようやく理解し始めていた。
――これは、救済ではない。
――管理だ。
「……あなたは、味方なんですか」
しばらく考え、ゼフィルは答えた。
「君の味方かどうかは分からない」
だが。
「少なくとも――
神の味方ではない」
彼は、踵を返す。
「次に会う時までに考えておけ。
生き続けるか。
それとも――」
振り返らずに、言った。
「神に拒否される結末を、選ぶか」
ゼフィルの姿は、いつの間にか消えていた。
教室には、何事もなかったかのような静けさが戻る。
エルシアは、その場に立ち尽くした。
心臓の音が、やけに大きい。
「……鍵、か」
自分が死ぬことで、世界が否定される。
生きることで、世界が歪む。
逃げ場はない。
だが――
胸の奥で、微かな火が灯っていた。
恐怖とは、少し違う。
「……なら」
小さく、しかし確かに呟く。
「私が、選ぶ」
窓の外。
灰色の空に、微かに亀裂が走った。
神は、まだ沈黙している。
だが――
世界は、確かに動き始めていた。
⸻
――第4話・了
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