第13話 新学期の教室は、愛の「領土宣言」の場となる
9月1日。
長い夏休みが終わり、憂鬱な新学期が幕を開ける日。
本来なら「学校行きたくない」「布団と結婚したい」と嘆くところだが、俺、市之瀬駆の朝は、別の意味で重たかった。
「……ねえ、莉奈」
「ん?」
「距離、近くない?暑いんだけど」
「残暑だもんねー。でも、離れないよ」
通学路。
胡桃沢莉奈は、俺の腕に自分の腕を絡め、さらに頭を俺の肩に乗せながら歩いていた。
ほぼ「二人三脚」ならぬ「二人一脚」状態だ。
夏休み前よりも、彼女の密着度と依存度は明らかにレベルアップしている。
カチャリ。
二人のバッグについた「手錠ストラップ」が、軽やかな金属音を立てる。
この音を聞くと、パブロフの犬のように「ああ、今日も逃げられないんだな」と条件反射で悟る体になってしまった。
「今日から学校だね。クラスの連中、私たちのこと見て何て言うかな」
「……まあ、『まだ付き合ってるのか』とかじゃない?」
「甘い。認識が甘いよ、駆」
彼女はニヤリと笑い、俺の腕をギュッと抱きしめ直した。
「今日で完全にわからせるから。誰が『所有者(オーナー)』なのかをね」
◇
教室に入った瞬間、ざわめきが広がった。
当然だ。
夏休み明けの初日、クラスのカースト頂点に君臨するギャルと、底辺の陰キャが、恋人繋ぎで登校してきたのだから。
「おい見ろよ、まだ続いてるぞ」
「罰ゲームじゃなかったのか?」
「ていうか、胡桃沢の雰囲気変わった? なんか……艶っぽくない?」
男子たちのひそひそ話が聞こえる。
俺は居心地の悪さに身を縮めて自分の席に向かおうとしたが、胡桃沢がそれを許さなかった。
「ちょっと、男子ぃ」
彼女は教卓の前に立つと、パンパンと手を叩いて注目を集めた。
教室が静まり返る。
彼女は俺の手を高く掲げ、勝利のポーズのように見せつけた。
「なんか勘違いしてるみたいだから言っとくけど」
凛とした声。
そこには、俺に見せるような甘えや弱さは一切ない。女王の風格だ。
「この『罰ゲーム』、とっくに終わってるから」
クラス中が「えっ?」とどよめく。
「終わってるってことは、別れたの?」「やっぱり遊びだったんだ」という安堵の声が漏れる。
だが、彼女は不敵に笑い、俺を強く引き寄せた。
「今は、私が勝手に『延長戦』やってるだけ。……無期限のね」
「延長戦……?」
「そう。こいつは私の彼氏で、将来の旦那(予定)で、私の人生のパートナーなの。だから今後、『罰ゲームで可哀想』とか言ったら……」
彼女の瞳が、スッと細められた。
絶対零度の視線が教室を薙ぎ払う。
「……全員、敵とみなして排除するから。夜道には気をつけてね?」
シーン……。
恐怖による静寂。
誰もが理解した。これは冗談ではない。本気の警告だと。
「わかった?……よし。駆、座ろ」
彼女は満足げに微笑むと、俺を連れて席に着いた。
俺は頭を抱えた。
これで公認カップル確定だ。しかも「手を出したら殺される」という物騒なオプション付きで。
「……やりすぎだよ、莉奈」
「何が?虫除けスプレー撒いただけじゃん」
彼女は涼しい顔で教科書を開いた。
その横顔は、夏休みの間に見たどの表情よりも自信に満ちていて、そして少しだけ――嬉しそうだった。
◇
放課後。
胡桃沢は委員会(という名のサボり防止活動)に呼び出され、一時的に離れ離れになった。
俺はようやく訪れた一人の時間を噛み締めながら、安息の地である図書室へと向かった。
静寂。紙の匂い。
ここだけが、俺の日常に残された唯一の聖域だ。
俺はいつもの窓際の席に座り、読みかけの小説を開いた。
「あの……」
不意に、控えめな声がかかった。
顔を上げると、一人の女子生徒が立っていた。
学年のリボンは赤色。1年生だ。
黒髪のおかっぱに、銀縁の眼鏡。手には分厚いハードカバーの本を抱えている。
絵に描いたような「文学少女」だった。
「はい?」
「先輩……ですよね? 市之瀬先輩」
「え、あ、うん。そうだけど」
俺を知っている?
彼女はモジモジしながら、抱えていた本を差し出した。
「これ、先輩が先週返却した本ですよね?貸出カードに名前があって……」
「ああ、それ。面白かったよ」
「やっぱり!私もこの作家さん大好きなんです!特にこの作品の、主人公の独白シーンが……!」
彼女の瞳がキラキラと輝き出した。
先ほどまでの大人しさが嘘のように、本の話になると早口になるタイプらしい。
俺と同じ人種だ。
「わかる。あの比喩表現、独特だよね」
「そうなんです!わかってくれる人がいて嬉しいです……!周りにこういう話ができる人がいなくて」
彼女の名前は、綾瀬美桜(あやせ みお)。図書委員の後輩らしい。
俺たちは時が経つのも忘れて、本の話題で盛り上がった。
胡桃沢とは絶対にできない会話だ。彼女にとって本は「枕にするもの」か「鍋敷き」でしかないからな。
心地よい時間。
波長が合うというのは、こういうことを言うのだろう。
だが。
俺は忘れていた。
俺には「高性能な監視システム」がついていることを。
ガラララッ!!
図書室の静寂を破壊する勢いで、ドアが開いた。
そこに立っていたのは、鬼の形相をした胡桃沢莉奈だった。
「……見ーつけた」
地獄の底から響くような声。
彼女はカツカツと足音を立てて、俺たちのテーブルに近づいてきた。
綾瀬さんがビクッと肩を震わせる。
「り、莉奈?委員会は?」
「終わらせてきた。秒で。……で?楽しそうね、駆」
彼女は俺の隣に立つと、綾瀬さんを見下ろした。
派手なギャル vs 地味な文学少女。
視覚的なコントラストが凄まじい。食物連鎖の頂点と底辺が出会ってしまったような緊張感だ。
「誰、こいつ」
「と、図書委員の後輩の綾瀬さん。本の話をしてただけで……」
「ふーん。本の話ね」
胡桃沢は綾瀬さんが持っている本をひったくった。
「『孤独の深淵』?なにこれ、難しそうなタイトル。面白いの?」
「あ、あの、それは……その……」
「答えなさいよ。私の彼氏と何を話してたの?」
綾瀬さんは完全に萎縮してしまい、涙目になっている。
これはまずい。
「莉奈、やめろよ。後輩相手に凄むな」
「凄んでない。確認してるだけ。……だって駆、すごく楽しそうな顔してたから」
彼女の声が、少しだけ震えた。
怒りだけではない。そこにあるのは、焦りだ。
「私とは……そんな顔で話さないくせに」
「え?」
「私には本の話題なんてわかんないし。難しい言葉も知らないし。……だから、こういう地味な子の方が、駆とお似合いだって思ってんでしょ?」
図星をつかれた気がした。
確かに「波長が合う」と思った。居心地が良いと思った。
胡桃沢はそれを敏感に察知したのだ。自分には踏み込めない「駆の世界」に、土足で入り込める後輩が現れたことに。
胡桃沢は本を乱暴にテーブルに戻すと、俺の腕を強く掴んだ。
「帰るよ」
「あ、ちょっと……」
「綾瀬さん、だっけ」
彼女は背を向けたまま、後輩に言い放った。
「悪いけど、こいつ私の所有物だから。趣味が合うとかどうでもいいの。これ以上近づいたら……本じゃなくて、あんたの眼鏡をへし折るから」
「ひぃッ……!」
「行くよ、駆!」
俺は強制連行された。
図書室を出る間際、涙目で立ち尽くす綾瀬さんに「ごめん!」と目で謝ることしかできなかった。
◇
帰り道。
胡桃沢はずっと無言だった。
繋がれた手は痛いほど強く、そして彼女の手は冷たかった。
公園のベンチで、彼女はようやく立ち止まった。
「……どうせ、私なんかよりあの子の方がいいんでしょ」
ポツリと漏らした言葉。
彼女は俯いている。
「話も合うし、雰囲気も似てるし。私みたいに五月蝿くないし、馬鹿じゃないし」
「莉奈」
「何よ!否定できないくせに!」
彼女が顔を上げる。その目は赤く充血していた。
「悔しいんだよ……!私がどんなに頑張ってオシャレしても、どんなに尽くしても、駆の『一番好きなもの』を共有できないのが!」
「……」
「本なんか嫌い。あんな眼鏡女も大嫌い。……でも、一番嫌いなのは、駆に相応しい会話ができない自分なのよ!」
彼女は子供のように泣き出した。
ただの嫉妬じゃない。これは彼女なりの劣等感だ。
俺が好きだからこそ、俺の世界を理解できない自分が許せないのだ。
なんて、不器用で愛おしい生き物なんだろう。
俺は彼女の肩を抱き寄せた。
「……俺は、本の話をするために彼女を作ったわけじゃないよ」
「嘘だ。楽しそうだったもん」
「楽しかったよ。でも、ドキドキはしなかった」
俺は彼女の涙を指で拭った。
「俺の心臓をこんなにうるさくするのは、世界で莉奈だけだ。……本なんて読んでる暇ないくらい、君が俺を振り回すから」
「……当たり前でしょ。暇なんて与えないもん」
彼女は鼻をすすりながら、俺の胸に顔を埋めた。
「駆は一生、私のことだけ考えてればいいの。難解な文学より、私という難問を解きなさいよ」
「それは……どんな難書より手強いな」
「ふふっ。……絶対、正解させないけどね」
彼女はようやく少し笑った。
でも、その瞳の奥にはまだ不安の炎がくすぶっている。
「ねえ、駆」
「ん?」
「今度の文化祭」
彼女は顔を上げ、濡れた瞳で俺を射抜いた。
「クラスの出し物、演劇に決まったよね」
「うん。ロミオとジュリエットだっけ」
「私、ジュリエットやる」
「似合いそうだね」
「で、ロミオは駆。あんたがやるの」
は?
俺が?主役?
「無理無理!俺は木の役でいいって!」
「却下。主役になって、全校生徒の前で私とキスシーンするの」
「正気か!?」
「あの眼鏡女にも、他の女子全員にも見せつけるの。あんたは私の『ロミオ』だって」
彼女の独占欲は、嫉妬を燃料にしてさらに燃え上がっていた。
「拒否権はないよ。……もし断ったら、図書室の本、全部買い占めて焚き火にするから」
「それはやめて!!」
こうして、新学期初日から、俺には「文化祭の主役」という重すぎる十字架が背負わされることになった。
新たなライバル(?)の出現は、彼女の愛を暴走させる起爆剤にしかならなかったようだ。
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