圏外の残光

snowdrop

第1話 黄金の嘘と黒い鏡

 夜明け前の霧が、村の輪郭を呑み込んでいた。

 土壁の家々は濡れた灰色に滲み、屋根から落ちる滴が冷たく石畳を叩く。

 静寂の底で、俺は馬小屋の隅にしゃがみ込み、一枚の黒曜石の板を見つめていた。

 俺の全財産であり、魂の半分でもある。

 昨日、村にやってきた鶏冠頭の商人ゼクスがすり寄ってきて囁いた。「これさえあれば君の物語は王都へ届く」と。

 届くどころか、今や俺の足を縛る鎖となった。

 支払いは今日から。残金、金貨三百二十枚。

 手元の財布には、銅貨三枚。

 心のどこかで笑っていた。

 金だけじゃない。人生の分割払いまでしてしまったのか、と。

「クソが……」

 藁を蹴ると、湿った音が返る。自分を嘲笑う声に聞こえた。


 冷たい板の表面に触れると、淡い光がにじみ、小花の壁紙が現れる。

『こんにちは、レイ様。今日の運勢は最高です!』

 陽気すぎる声は、虚空の冗談めいて聞こえた。

「最高なわけがあるか。……『銀の月姫』を王都へ転送しろ」

 光が小さく回転する。数秒後、現れたのは別の一文。

『圏外です。王都の魔導波が届きません。主要都市まで移動してください』

 瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。

 夢が割れる音は、こんなにも静かなのか。

 俺は幼き頃より、本を読み漁ってきた。雨漏りの夜、燭台一本で読む冒険譚だけが、寂れた村の外を見せてくれた。言葉の世界は遠い空に瞬く星と同じ。見果てぬ夢だからこそ、信じられた。

 ゼクスの「君の物語が誰かの夜を照らす」言葉を救いとして聞いてしまった。けれど今、光も圏外だ。

 届かない場所へ俺は埋もれている。

「……夢ってのは、冷えるとこんなに重くなるのか」

 呟いても返事はない。魔導器の花がしおれ、画面から消える。

 外では朝の霧がまだ払われず、村の灯りがひとつずつ沈んでいく。

 俺は目の前の光景を見下ろしながら、ぼんやりと笑った。

「稼ぐか……泥でも、食うしかない」

 光と闇の境界で、俺の物語ははじまる前から終わりかけていた。



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