01-02
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──『トイレの花子さん』。
それは全国いたるところ、数多の学校で噂されている、日本で一番有名な都市伝説。──そのような存在が、ドーラのまさに目の前に姿を現していた。
あやかしの存在というものは、神話などの古来のものを別にすれば、おおよそ信じている人の数や思いの強さによって強固さが変化してゆくものだ。噂が広まれば広まる程、信じて恐怖する人数が増える程に、その存在は明確に、力強く、現実での影響力を増してゆく。
故に、──『花子さん』は強い。ドーラは相対する前からそう確信していた。
通常ならば怪異に直接対峙するのは空覇の役目だ。しかし今回はドーラが対処せざるを得なかった。何故ならば『花子さん』は女子トイレに出現するあやかしであり、特にこの学校のものは明確に『女子が呼び掛けた際に出現する』といった指定があったからだ。
「あそん、デ、く、レルの? わたし、と、アそび、マ、シょ」
ねっとりと粘液のような声が耳に纏わり付く。ずるり、闇のカーテンから蒼白い手が伸ばされる。細い指はぬらぬらと、空を這うようにドーラに迫る。動きの気味悪さにドーラは口角を引き攣らせたが、しかしその手から目が離せない。
──そこでふと、ドーラは有り得ない物を発見し眉根を寄せた。花子さんの指先、その爪には少し剥がれてはいるものの、許は綺麗だったであろう華やかげなネイルアートが施されていたのだ。
……ネイル、アート?
『花子さん』の顔を見た瞬間に覚えた違和感が更に強まる。ドーラは進み出てくる花子さんを再度、じっくりと観察する。そこでドーラは悲鳴を飲み込むかのように、ゴクリと喉を鳴らした。
やはり少女の姿は、資料にあった『花子さん』の特徴とは、全く異なっていた──。
*
資料によると、この旧校舎に出没する『花子さん』の風体は、艶やかなロングの黒髪に振袖袴姿という純和風の令嬢だった。この建物が閉鎖される以前からの存在というのを考慮すれば、時代掛かった出で立ちなのは当然だろう。
しかしながら今ドーラの目の前にいる少女は、それとは全く違った姿であった。癖のある栗色の髪に少し派手目のメイク、デザイン性の強いニットのミニワンピース。耳にはピアスが揺れている。どこからどう見ても現代の少女に他ならない。
──これは一体どういう事なのだろう。この少女は誰なのか、元居た筈の花子さんは何処へ行ったのか……? 産まれた疑問がドーラの思考を支配する。と、その瞬間──。
ひたり。
逸れてしまった意識の隙間に潜り込むように、ぬめりとした冷たさが肌に触れた。不意に襲われた頬の感触にドーラがはっと我に返ると、目の前でじっとりと顔を覗き込んでいる『花子さん』の瞳と眼が合ってしまう。
顔を撫でる少女の手はしっとりと湿っていて、ぞわぞわと背中を走る悪寒が止まらない。しまった、と後悔してももう遅い。焦りが冷や汗と化してドーラの首筋を伝い流れる。
じり、と一歩下がろうとして、背後に壁を感じた。せめて逃げ道を確保すべきだと、鈍い頭が恐怖に震える身体に命令を下す。ドーラは何とか右足を斜めに引き、身体を捻って入口側に背中を向ける。しかし『花子さん』はドーラの動きにピッタリくっついて離れない。
どうすればいい、この状況を打破するには──ドーラの頭の中を思考が巡り始める。脚は、身体はこれ以上動かせそうにない。ならば何処が動く? 震える唇で息を吸う。
ドーラは恐怖と焦りに硬直する身体を諦め、少女とコミュニケーションを取ろうと試みた。もしも有益な情報が得られれば万々歳、成果が無くとも駄目元という奴だろう。
「あ、……あのっ! は、『花子さん』、ですよね……?」
「そう、……わたシ、花子。ね、え、アソび、まし、ョう?」
相変わらず台詞は耳障りの悪い音階で、瞳は焦点が合ったと思った傍からぐるり裏返る。じりじりと距離を詰めて来るおぞましい冷たさに、それでもドーラは問いを続けた。
「あ、あの、……あなたの、本当のお名前。……教えて、くれない、かな?」
──その言葉を聞いた瞬間、彼女の動きが、ピタリと止まる。
「な、ニをい、っテるの。……わたシ、は、花子よ。トイレの、花子、さん。ホントのなまえ、なんてあるわけが」
ずっと泳ぎ続けていた少女の目がスゥと細まり、ピタリとドーラを捉える。ずれていた音階も抑揚も徐々にまともさを取り戻しつつある。張り付いた笑みに、意思が垣間見える。──どうやらビンゴのようだ。
僅かな確信に勇気を振り絞り、ドーラは更に深く、踏み込む事にした。
「で、でも。……私が聞いてた『花子さん』と、あなた随分違うな、って……。その、もしかして代替わりとかしたのかな、とか。あの、だったら花子さんになる前の名」
「──あ、あアあ、あぁあアああっああああ! だまれだまれだまれえぇえええぇええッッ!!」
少女は言葉を遮って叫ぶが早いか腕を伸ばし、ドーラの首をぬるりと白い手で掴んだ。
嫌らしい笑みはすっかり憎悪じみた憤怒の形相に取って代わり、吊すようにドーラの身体を持ち上げながら首を圧迫し始める。ギチ、と気管が絞められ、ままならない呼吸に言葉が潰れる。
「……っう、や、べて、……ぅ、ぐ」
ただでさえ逆らえそうも無い物凄い力だというのに、少女に向かって無意識に手を伸ばしたドーラは更に絶望を覚えた。幾ら『花子さん』に触ろうとしても、ドーラの手は少女の身体を擦り抜けるのだ。
こんな、一方的な……。ギリギリと締め上げられる苦しさにドーラが悶えていると、不意に少女の口許が蠢き続けているのが目に入った。必死で意識をそちらに集中すると、少女が呪詛のように呟き続けている言葉が耳に流れ込んでくる。
「わたしは花子わたしは花子わたしは花子花子花子花子マイカなんてしらないマイカじゃないマイカじゃない花子花子花子なの花子花子わたしは花子花子わたしはわたしはわたしは花」
──マイカ、そう、それがあなたの名前なの……。ドーラは苦痛に喘ぎながらも何処か冷静に思考する。やはり資料に載っていた名前と少女の本名は違っていた。これが今回の事件を紐解く鍵になる筈だ──旧校舎で何人もの女生徒達が消息を絶っている、その真相を探す為の鍵に。
そう思いつつも、ギリギリと締め上げる手にとうとうドーラの意識は朦朧とし始めた。これは──まずいかも知れない、と焦燥が脳を灼く。ドーラの身体には特殊な力が備わってはいるが、流石に不死身ではない。このままでは命を落とすのも時間の問題だろう。
カシャリ、ドーラの手から力が抜け、ランタンが床に落ちる。所長、と声にならない囁きがドーラの唇から零れた。
──その刹那。
轟、と音を立て何かが、空を切った。彗星の如く燐光の尾を引くそれは、一直線に──ドーラの右脇腹へと、突き刺さった。
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