第13話
翌日の昼間。
通は才夏と並んでショッピングモールを歩いていた。
左右にはカフェや生活雑貨など様々な店が並び、家族連れからカップルまで様々な人々が歩いている。
通は横を歩く才夏を一瞥した。
シンプルなデザインのブラウスにロングスカートという清楚なコーデは才夏の雰囲気とはこれ以上なく合っており、そして普段より念入りにメイクをしている。
――どこからどう見ても、明らかにデートだった。
◇ ◇ ◇
時間は1.5時間前に遡る。
才夏から「練習に付き合ってほしい」と連絡があり、いつもの公園に向かった通を待っていたのは、誰がどう見てもこれからデートに向かうようにしか見えない『おめかし』をした才夏だった。
「……練習するんじゃなかったんですか?」
「うん、練習だよ。通くんが3人の誰かと付き合い始めたときの予行練習」
才夏が微笑む。
年上の女性の魅力に意識を奪われそうになるが、頭を左右に振って心を落ち着ける。
「……通くんは私と出かけるの嫌?」
才夏の顔が曇る。
「いえ、よろこんで!」
通は反射的に大声で返事をした。
「よかった。じゃあ行こ?」
才夏に続き、公園を後にする。
この世に才夏からデートに誘われて断れる男なんていないだろ……と思った通だった。
◇ ◇ ◇
そして現在。
通は才夏を見続けていた。
とっつきづらそうな雰囲気はあるが、やはり才夏は美人だ。隣を歩いているとつい萎縮して背中が丸くなってしまう。
そして同時に一つの疑問が生じていた。
『なぜ才夏はデートに誘ってきたのか』
通は真見、礼亜、楓の美少女3人に対して、自分では釣り合わないと思っている。
3人に対してもそうなのだから、才夏に対してもなおさらだった。
「どうしたの?」
「いえ、何も見てないです」
才夏に視線を気づかれ、通は顔をそむけた。
「私の顔なら好きなだけ見ていいよ? 普段お世話になってるし、自信もあるから」
気まずそうな通に対し、才夏は気にした様子もなく笑みを浮かべる。
「いや、そういう問題じゃないです」
「やっぱり年上すぎかなー」
「……いえ、才夏さんは普通に綺麗だと思います」
フォローせずにはいられなかったが、通の紛れもない本心だった。
「ごめんね、なんか言わせちゃったみたいで」
視線を向けていなくても、才夏の笑顔が放つ『気』のようなものを感じることができた。
「……別に。ホントのことですから」
「それにしても、女の子に平気で『綺麗』って言えるなんてやっぱり慣れてるね」
「いや、才夏さんが綺麗なのは事実ですし」
慣れてる慣れてないの問題ではなく、本気で通はそう思っていた。
「3人もそうやってドキっとさせてるんでしょ? 罪な男だね」
「そんなことしてないですから」
「あ、これ絶対無意識でやってるやつだ」
「……それで、どうして今日はデ……誘ってくれたんですか?」
通は話題を変えることにした。
「通くんのことが気になってるから」
「は!?」
反射的に才夏を見てしまい、口元に笑みを浮かべた才夏が視界に入った。
「3人のうち誰を選ぶのかなって」
「そういう意味か……」
思わずため息をついてしまう。
通の反応に当初才夏は首をかしげていたものの、
「あー、そういうことか」
合点がいったようで目を細めて笑った。
「今だって3人の美少女に言い寄られてるのに、通くんって欲張りだね」
「……ちょっと勘違いしただけですから」
「ふーん。じゃあ、今すぐ3人の中から誰かひとり選べる?」
「……」
できるはずもなく、無言で返すしかなかった。
「ほらね、欲張り」
からかっているだけだと分かっていながらも、才夏の言葉は耳に痛かった。
3人の気持ちを知っているのに、身勝手な理由で彼女たちを苦しめてしまっているのだから。
「……あ、ごめんね。冗談でも言っちゃだめなことだったよね」
無言で考え込み始めてしまった通を見てまずいと思ったのか、才夏の表情から笑みが消える。
「……いえ、才夏さんの言う通り、俺は欲張りなのかもしれません」
「でも、何事も決断するのって難しいし仕方ないと思うよ。私だってこの道を選んで正解だったのかなって思うし」
「本当ですか?」
通には信じがたかった。
公園で真剣に練習していた才夏の姿からは、迷いを感じられなかったからだ。
「もちろん。友達の近況報告を聞くと、私も大学に行ってれば、今みたいに不安を感じずに毎日を送れたのかなって思うし」
「……才夏さんでも迷うことあるんですね」
「私をなんだと思ってるの」
才夏は苦笑を浮かべた。
「確かに通くんよりはちょっと年上だけど、ピチピチの女の子なんだから」
才夏は不意に通の腕を肘で小突くと、
「だから私だってたまには甘えたくなるんだよ?」
そのとき見せた才夏の笑みに、一瞬、心臓の鼓動が跳ね上がった。
真見とも礼亜とも楓とも違う年上の余裕を見せながらも、隠しきれない 『弱さ』。それが通の心を揺らした。
「いや、俺みたいな優柔不断に甘えるのはダメですよ」
「そうかな? 例えばだけど、胸が大きいからーとか、適当な理由で礼亜ちゃんと付き合う、っていう選択肢も取ろうと思えば取れたと思うんだよね。だけど、通くんは中途半端なことができないから、今こうして苦しんでる。それって強くないとできないと思うな」
「……!」
3人とのデートは退屈というわけではなかったが、手放しで楽しめたかというとそれもまた違っていた。
誰を選ぶかという、言ってみれば『審査員』という立場で彼女たちを見なければならず、同時に罪悪感もあったからだ。
しかし才夏は今の自分を肯定してくれた。
そして3人とのデートのように『気負い』がなかった。
「ちょっとは納得してくれたかな?」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、通くんもほぐれてきたし、そろそろデートらしいことしよっか」
「そうですね」
3人とのことが解決したわけでもなく、無論頭から綺麗さっぱり消え去ったわけでもなかったが、今は才夏とのひとときを楽しみたかった。
2人はちょうど目の前に見えてきたカフェに向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇
同日の夕方。田尾家では楓、真見、礼亜が揃っていた。
「お兄ちゃん帰ってこないな」
楓は壁に取り付けてある時計に視線を向けた。
「そうだね」
礼亜はテーブルに肘をつき、無表情でスマートフォンを操作しながら言う。
真見はというと、特に焦る様子を見せるわけでもなく礼亜の向かいに座り、紅茶を飲んでいた。
「なんでそんなに落ち着いてるの?」
楓は真見を睨みつけた。
通が才夏の練習に付き合うために出かけてすでに3時間以上経過している。真見ならともかく、端役ばかりの才夏でそこまで時間をかけるとは思えなかった。
「どうせ滝多才夏とどこかでかけてるんでしょ」
「それ分かっててなんで落ち着いてるの?」
真見はため息をつくと、テーブルにティーカップを置いた。
「年上すぎだし、売れてないし、私の下位互換みたいな女に通がなびくわけないでしょ」
真見の一言に礼亜は手を止め、顔を上げた。
「これ見て同じこと言える?」
礼亜は真見にスマートフォンの画面を見せた。
「なにこれ。うちの近所……?」
画面上にはマップアプリが表示されており、青い丸が動いている。
「通の現在位置」
「は?」
「どういうこと!?」
楓はソファから立ち上がり、礼亜の横に移動するとスマートフォンの画面を覗き込む。
「……前にこっそり通のカバンに追跡タグ忍ばせておいたの」
礼亜は真見と楓の視線から逃げるように、俯いた。
「今どこ?」
しかし楓は礼亜を非難するそぶりを見せることなく、ディスプレイを見つめる。方角的には田尾家からは離れていっている。
「これうちの近くだ。でも来るならあらかじめ連絡くれると思うし……」
真見はあごに手を当て考え始めたかと思うと、目を見開いた。
「滝多才夏の家もこのへんだ!」
3人は示し合わせたかのように、揃って外に飛び出した。
◇ ◇ ◇
才夏の家はお世辞にも広いとは言えなかった。
玄関を上がってすぐに右にキッチンがあり、左にユニットバスへと続くドアがある廊下を通り抜け、奥にある才夏が日々を過ごしている部屋へと足を踏み入れる。
思ったより才夏の部屋は質素だった。
左側にはベッド、右側には机が置かれ、そのほか必要最低限の家具があるだけだ。
しかしここはまぎれもなく女の子の部屋。通は無意識のうちに視線をあちこちへ向けてしまっていた。
「そんなに珍しい?」
「え? ……どうなんでしょう」
才夏に話しかけられ、通はやっと自分が無意識のうちにしていたことに気づいた。
「通くんは女の子の部屋に入るなんて慣れっこでしょ?」
「いやそんなことないですから」
過去に真見、礼亜の部屋に入ったこともあるがそれは小学生のころの話で、楓の部屋には今でも入るが、意識的には『妹の部屋』であって『女の子の部屋』ではない。
「ベッドに座っていいよ」
「はい……」
ベッドに腰を下ろすと、スプリングの軋む音が鳴る。
「画面小さくてごめんね」
才夏は机の上に置いてあるノートパソコンに繋いでいる外付けブルーレイディスクドライブにディスクを挿入すると、通の隣に座った。
3人とはまた異なった甘い香りが鼻腔に流れ込んでくる。
通が才夏の部屋にいるのは、才夏の持っている『ラヴォリオンシリーズ』のブルーレイを見るためだ。通が「まともに見たことがない」と話したのがきっかけで今に至る。
鑑賞会が始まって十数分が経過し、TV放送時はCMが始まっていたであろうと思われるアイキャッチが流れ、通の意識は現実に引き戻された。
ふと隣にいる才夏が気になり、一瞬だけ見るつもりで視線を向け――気がつけば見とれてしまっていた。
才夏の視線はノートパソコンのディスプレイに向けられ、表情は真剣そのものだ。
しかしかといって近寄りがたい雰囲気というわけでもなく、絵本に夢中になっている子どものような無防備さも兼ね備えていた。
演技をしているときは一切の隙がなく、ただ真っ直ぐに台本と向き合う。
普段は気さくで余裕のある、頼れるお姉さんの顔を見せるくせに、好きなアニメを前にすると、子供みたいに夢中になってしまう。
そのときやっと、通は自分が才夏に魅せられているということに気づいた。
しかし、これは異性へ向ける好意なのだろうか。
通には自分の感情でありながら、判断がつかなかった。
だが今は才夏とのラヴォリオン鑑賞会の真っ最中だ。
他のことにうつつを抜かしている場合ではないし、そもそも自分にはあの3人がいることを忘れてはならない。
視線を前に向け、意識的にディスプレイに集中しようとするが、
「今学期中に私たちの中から1人選んで。もしくは『誰も選ばない』と決めて」
一番ありえないと思っていた『誰も選ばない』という選択肢が、急に存在感を放ち始めた。
もちろんだからといって飛びつくつもりも毛頭ないが、一度意識に上ってきてしまった以上、なかったことにすることにはできない。
ラヴォリオンに集中しなければ、と思えば思うほど意識が雑念に囚われていく。
改めて集中しなければと背筋を正した次の瞬間、インターホンが鳴った。
「あれ、何か注文してたかな? ちょっと待っててね」
「はい」
才夏は立ち上がると玄関へ向かっていった。
「……」
部屋に一人残され、雑念を阻むものはもはやなかった。
自分はどうすべきかへ意識が向き始める。
3人の中から誰かを選ぶことが当然だと思っていた。
そして誰かを選ぶということは、他2人に対して不平等な答えを出すことだ。
しかし、誰も選ばないということは、3人に対して平等な答えを出したということになる。
誰かを選べば、1人とその他2人の間に溝ができてしまうが、誰も選ばなければ3人の間に溝はできないだろう。
代わりに3人と自分の間には溝ができてしまうだろうが、3人の間で溝ができるよりはまだましだ。
とはいえ、だからといって即座にこの答えへ飛びつく気にはなれなかった。
「はあ……」
思わずため息が出ると同時に、玄関から複数人の声が聞こえてきた。
少なくとも才夏を入れて3人はいるようだ。
もし何か怪しい勧誘でもされていたら大変だ。
部屋を出て玄関へ向かうと、そこには見知った顔3人が立っていた。
2人が並んで立つのがやっとの広さの玄関に3人は窮屈そうだ。
「……なんでここにいるんだ」
「通こそ,どうしてここにいるの?」
真見は質問に質問で返してきた。
「……一緒にラヴォリオンを見てただけだよ」
「お兄ちゃん騙されないで! どうせ『ラヴォリオン見よう』なんて口実で、お兄ちゃんにやらしいことしようとしてたに決まってる!」
「楓、話がややこしくなるから少し静かにしよ?」
楓が声を荒げ、それを礼亜がなだめる。
「私も『一緒にラヴォリオンを見てただけだよ』って話したんだけど、3人とも信じてくれなくて」
通の斜め前に立つ才夏が苦笑を通に向ける。
ここはもう一度はっきりと言うべきだろう。
「3人とも聞いてくれ。俺が『ラヴォリオン』をちゃんと見たことがないからって見せてもらってただけだ。やましいことなんてなにもない」
「だけどお兄ちゃんは連絡の一つもくれなかった」
「いや、才夏さんの練習に付き合ってくるって言っただろ?」
「ふーん。通にとっては滝多才夏の家に上がるのも練習のうちなんだ」
「いや、違うけど……」
楓も真見も、通の言い分を聞き入れる様子がなく、
「やましいことはないんだよね。だったら私たちに連絡をしてくれてもよかったと思うんだけど」
ここに来て口数の少なかった礼亜が口を開いた。
3人の中で一番口調が落ち着いていたが、それがなおさら通を追い詰め、
「礼亜の言う通り。そもそも、やましいとかやましくないとか、もうそういう話じゃないの。私たち3人以外の女と家で二人っきりだったってこと自体が問題なの。私が頑張って仕事してる間もこのままで、まともな役ももらえない女といちゃついてたわけじゃないよね?」
真見のダメ押しで、さすがの通も限界だった。
確かに3人のことがありながら才夏の家に上がり込んだのは軽率だと認めざるを得ないが、一方的に非難され続けながら罪の意識を持ち続けることはできなかった。
通が言い返すべく口を開こうとした瞬間だった。
「人気声優って大変だね。幼なじみが他の女の子とアニメ見てただけでいちゃついてた扱いになるなんて、仕事し過ぎで精神的余裕がなくなってるんじゃないかな? そう思うと売れっ子なのも考えものだな〜」
先に言葉を発したのは才夏だった。
あきらかに先ほどの真見が言ったことを意識した物言いだ。
「なっ……」
才夏のカウンター攻撃が予想外だったのか、真見が目を丸くして言葉を詰まらせ、同じく通も呆気にとられていたものの、
「さ、才夏さんの言う通りだ。確かに3人のことがあるのに軽率だったかもしれないけど、アニメ見てただけでここまで言われる筋合いはない。だいたい、3人の誰かと付き合ったら誰かと会うたびにいちいち報告しなきゃならないのか? そんなの無理だ」
才夏の発言に気を大きくさせられ、つい本音が漏れ出てしまう。
しまったと思った通の視界に入ったのは、暗い顔でうつむく3人だった。
「あ……ごめ――」
「全部報告してほしいなんて思ってないよ。でも……ずっと待たされてる私たちのことも考えてほしい」
通が謝罪の言葉を発すると同時に礼亜が言葉を被せた。
「……通してくれ」
礼亜の発言を無視して3人に視線を合わせずに言うと、礼亜が道を開けてくれた。
靴を履きドアを開け、外へ出る。
「……ごめん」
謝罪の言葉は、聞き耳を立てなければドアが閉まる音にかき消されてしまうほどに小さかった。
「……あんた何企んでるの?」
ドアの向こうから通の足音が聞こえなくなると、真見は才夏を睨みつけた。
「だから、一緒にラヴォリオンを見てただけ。それだけです。あんまりしつこいと通くんに今度こそ愛想を尽かされちゃいますよ?」
真見の威圧に動じた様子を見せることなく、口調が敬語に戻った才夏は笑みを浮かべた。
「……行くよ」
才夏の発言に反応することなく、真見は2人を引き連れその場を後にした。
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