第3話

 人外じみた完璧な美貌をもつ男は、吐き捨てる。

 

「言っておくが小娘。我は泣き虫が嫌いだ」

「う、うるさいわね」


 私は慌てて袖で涙を拭って鼻を啜った。泣いていることを指摘されたのが恥ずかしかった。だが男はそれを一瞥もせずに、辺りを見回した。何に納得したのか、指を顎につけて「ふむ」と声を漏らす。

 

「書物があるのはどこだ?」

 

 この男……一体なんなの。強者であることは間違いない。先ほど放たれた圧は上位の生物が放つ威圧だ。彼が動くと空気がわずかに沈む。まるで、全てが彼に膝をつくような迫。

 私は唖然として、でも自然と答えていた。

「図書館……かしら」

「ではそこに行くとしよう」


 長い足を使って、闊歩するように彼は歩いていく。グレイの長い髪が靡いた。薄暗い中でもはっきりとその漆黒のマントが翻るのが見える。あっという間に出口に向かって歩いていく。

 足が速い。私は慌てて追いかけた。

「待ちなさいよ!!」


 結局その男は、私が案内する通りに学院内を歩き、図書館にやってきた。そこは三角屋根の黒曜石のような大きな建物だ。中はカーテンがぴっちり閉じられていて、薄暗い。人はほとんどいない。

 私はすんと鼻をならした。古い紙の匂いがしていた。

 

 その荘厳で静かな図書館内にページを捲る音だけが響く。

 

 この男は着くなり片っ端から本を読み始めて今に至るまで私の存在はまるっきり無視だ。本棚に寄りかかると腕を組みながら、私はその男を油断なく見つめる。

 

「あなた、なんなのよ。なんで肖像画から出てきたわけ?」

「封印されていたからに決まってるだろう、たわけ」

「なんですって!」


 私はイライラと舌打ちをする。

 無駄に尊大なのよ、こいつ。


「なんで封印されていたのよ」

 図書館のランプの光が淡く揺らぐ。

 

「ヴァンパイアだからな」


 その一言で一気に空気が重くなる。心がざわついた。

 ヴァンパイアですって? 背筋に冷たいものが走るのを抑えられない。

 確かにイシュヴァールにはヴァンパイア伝説がある。500年ほど前に、人間とヴァンパイアの総力をかけた戦いがあった。だが、ヴァンパイアは絶滅したんじゃなかった?

 こいつはたった一人の生き残りなの?


「あなた、名前は?」

 彼は、本を置くとわざとらしく息をつき、マントを翻した。

 

「ふむ……特別にこの王の名を教えてやろう。我が名はヴァシリウス・ブラットボーン。永劫の夜を統べし真祖にして、誇り高きブラットボーン一族の長。そしてヴァンパイアの王である」


 一瞬彼の影が伸びた気がした。

 それを聞いて笑い飛ばす前に、あることを思い出して私は愕然とした。

 ヴァシリウス・ブラットボーンって「ダメ恋」の隠しキャラじゃなかった? 

 あまりにも情報が少ない。存在だけ知ってるけど、こいつがどんなキャラだったか思い出せない。


 英雄王アルべリクに封印された伝説のヴァンパイアの王。


 ……こいつが?


「本当に助けてくれるの?」

 私は慎重に尋ねた。ヴァシリウスは本をめくりながら鼻を鳴らす。

 

「くどい。我は嘘が嫌いだ」

「なんの目的で?」

 ページをめくる指が止まる。だがヴァシリウスは視線を本から外すことなく言った。

「貴様に目的を話すいわれは無い」

「……あっそ」


 ただ知識を吸収するかのようにひたすた本を読み込むヴァシリウス。朝から晩までページをめくる音だけ響いて……それは5日続いた。

 私は頭を掻きむしって叫ぶ。

 

「このダメ人間!!」

「人間ではない」


 部外者をなんの理由もなく学院で連れ回すことはできないので、形式上ヴァシリウスは私の従者とすることにした。私は侍女や付き人を連れ歩かない主義だ。鬱陶しいから。

 彼らは皆、家に置いてきているので、この学校内でのヴァシリウスの扱いには、それほど困らなかった。

 そして、わかったことがある。

 ヴァシリウスという男は極度のめんどくさがりだ。

 こいつは生活力というものが一つもない。着替えも掃除も食事もしない。口癖は「ハアめんどくさ」

 

 花瓶にさされた薔薇を見ながら、ヴァシリウスは言う。

「花は散るからこそ美しい、衰退の中にある気高さが良いのだ」

「いいから浴場に言って洗ってきなさいよ。あんた埃くさいわ」

「……面倒だ」

 私はため息を吐いた。

 

「あんたに貸した従者室、汚いわ。蜘蛛の巣があるじゃない。まず掃除しなさいよ、私も手伝うから」

「我は掃除などせぬ。美学に反する」


「あんたの服いつまで着るつもりなの?」

「我は洗濯などという拷問には加担せぬ」

 私はこめかみをひくつかせた。

 

 おまけに着替えが面倒だと言って私にシャツを投げてきた。これは手伝えということ? この私が?

「嫌よ!! なんで私があんたの着替えなんて手伝ってやらなきゃいけないの!?」

「ほう、照れているのか。案外愛いところもあるではないか」

 私は黙って右ストレートを叩き込んだ。脇腹を押さえてヴァシリウスは唖然と言う。


「小娘、本当に女か? 普通もっと貴族の淑女というのは淑やかなものではないのか?」

「黙りなさい、ダメヴァンパイア」


 確実なのはこいつが本を愛していること。埃の中に置かれ放置されていた古い本も丁寧に扱う。

 

 ライニスが隔離されてから7日目。

 私は小箱を片手に応接間に入る。この部屋にライニスは閉じ込められて、24時間隔離され監視されている。私は一週間毎日、彼の好物であるチョコレートを持って、ライニスが閉じ込められた部屋に通った。もちろん、見張りの教師を賄賂で買収して、ね。

 その部屋の空気は、ゾッとするほど冷たい。ソファに腰掛けるライニスは、ただでさえ白い顔を真っ青にして、呆然としていた。指先が震えている。

 きっと何よりショックを受けているんだわ。こんな孤独な思い、なかなか経験することもないだろう。私も無言で、何をいうでもなくただその場にいた。

 

 そして、7日目にして初めてライニスは、私に問いかけた。

 

「どうして僕なんかに構うんだ」

「最初から決めてたの。私はあなたの味方だって」

 

 ライニスは何かを確かめるみたいに震える声で尋ねる。

 

「なんで君は僕を信じるんだ」

 

 なんだそんなこと。

 私は言った。

 

「絶対にあなたが人を殺したりしないって知ってるから」



 

自分の寮に戻り、私室に戻ると当然のようにヴァシリウスがいた。

「血をよこせ小娘。我は腹が減った」

 偉そうに机に足をかけて、木製の椅子に座っている。ぐらぐらと傾けながら熱心に本を読んでいた。こいつは出会ったあの時からずっと変わらない。犯人を見つけるというやる気が、見えない。

 頭の中で、何かが切れる音がした。

 

 ──剣を抜いて力任せに机に突き立てる。

 私はドスの聞いた声で言った。

 

「殺されたいの? 血なんていくらでもくれてやるけど、まずはアンタが使えるってところを見せなさいよ」

 

 私が色々と面倒を見てやったのは、こいつが犯人を見つけられると言ったからよ。口先だけの男なんていらない。

 ヴァシリウスは怖気付くことはなく、口端をあげて面白そうにくつくつ笑った。

 影がゆっくりと伸びる。


「いいだろう、ではまず現場を我に見せろ」


 その一言のすぐ後だ。

 私とヴァシリウスは、被害者のミレイヤ・グリードリヒが殺された彼の自室に向かっていた。

 日が落ちて、夕暮れの風がそこか懐かしさを運んでくる。

 円形に広がる噴水の設置された広場を歩く。その広場には中心から道が6本、放射線状に伸びている。そして正面の一本道が校舎から、他の5本が全て違う寮につながっている。

 

 突然だが、ノワール校には寮が5つある。魔法属性と家柄、性格によって分かれるが、基本的には本人の魂の色によって決まる。そして寮は魔術の源泉である精霊や神、古代の契約にちなんで築かれたとされる。

 

 そう、各寮には、神々の加護がある。それはまさに神々の遺志により分かたれた世界なのだ。


 まずセレスティア・クラウスト。

 通称セレスティア寮。天空・太陽神アルク・ソレイユの系統。

 ──華麗なる運命の王者。

 制服カラーは白と金。

 ヴァレンはこの寮だ。この国の第二王子もここだったような。まあいいわ。


 2つ目、ヴォルト・ドミヌス。

 通称ヴォルト寮。軍神・栄光神イグリス・グロリアの系統。

 ──勝利に飢えた覇道の者。

 制服カラーは黒と金と茶。ライニスはこの寮。上昇志向が強い人が入りやすいみたい。


 3つ目、カリュブディス・インヴォルタ。

 通称カリュブディス寮。深海・混沌神ニル・ウーネの系統。

 ──影と祈りを抱く深界の観測者。

 制服カラーは水銀色、紫と黒。

 深く思考することが得意だったりどこか繊細さを持つ人が多いわね。

 

 4つ目、ノクティア・リベラ。

 通称ノクティア寮。月神リュミナ・セルペンティスの系統。

 ──革命を愛する自由の旅人。

 制服カラーは青と銀。

 フィオレ・ルミエールはここ。権力に屈さずに、自分の意思を貫く人が入る寮よ。

 

 最後の5つ目、タルタロス・クルセウム。

 通称タルタロス寮。試練・冥界神ハデス・エンブラの系統。

 ──罪火を抱いて進む者。

 制服カラーは真紅、ブロンズ、黒。

 これは、私の寮。


 

 そして、被害者であるミレイヤの寮は、ノクティアだ。

 

 

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