クリスマスイブに魔女のひよっこがレベル1の子守霊として降りてきた

@mi-ja

第1話



暗闇に私は漂っていた。どのくらいそうしていたのか定かではない。暗闇のひろさも分からない。目を凝らすとその暗闇のムラが見えるときもあり、ムラの中に金色の電波が一瞬走るときもあった。でもそれはこの長い年月に何回もあることではなかった。


正直なところ、死ぬ直前、死はすべての終わりだと漠然と思い込んでいた。この耐えられない身体の苦しみも心の疼きもなくなり、無になるのだと思っていた。

が、それはとんでもないまちがいだった。ぬるっとした感触で、肉体から分離した時、私はこの世の怨念をごっそりと闇の中に持って行っていた。

 四〇歳で人生のピリオドが打たれたことの口惜しさ。自分の人生はなんだったのだろうかという悔恨。もう少し息子の行く末を見届けたかったという未練もあった。

なかでも私を一番悩ませたのは嫉妬の炎だった。

浮気ばかりする夫と、私は死ぬまで二〇年間連れ添った。正確に言えば、夫婦らしい関係だったのは五年足らずだった。後は、あの男は、嫌そうな顔をして月に一、二度、家に来るだけだった。生活費を忌々しそうに食卓の上に放り投げ、お酒を飲んで暴力を振るって、こんなところにいられるかという風に女のところに戻って行った。月に何回かのこの数時間足らずの夫の訪問が私と息子にどんなに苦痛だったろう。

私はもう死んで五感はなくなっていたけれども、夫が後妻と仲睦まじく生活しているのは伝わってきた。そんなことは余計なことで、分からないで平安に暗闇に漂っていたかった。が、私には分かってしまった。そのことが伝わって来ると、後妻さんが私のように殴られないことに、私はいつもひどく傷ついた。

夫も、四〇年間後妻さんと連れ添い、亡くなっていた。どのくらい長い間このザワザワした居心地の悪い嫉妬の炎に晒されていなければならないのだろうかと、ちょっと自嘲気味に思っていた矢先だった。もういい加減、平穏な心が欲しかった。


突然まばゆい光が襲いかかってきた。眼が眩んで、私はとっさに顔を手で覆った。次にすごい音量のクリスマスソングが耳に鳴り響き、今度は耳に手をやった。

おずおずと眼を開け、耳から手を離すと、そこは、こじんまりとした綺麗なレストランだった。いや、レストランではなかった。ピンクのテーブルクロスでおおわれた小さなテーブルで一人ずつ食事をとっている若い女性たちは、五人ともおそろいのピンクのガウン姿で、西瓜一個分は優にある大きなお腹をしていた。室内は適度な明るさなので、眩しいと感じたのは長い間暗闇の中にいた私の瞳の過剰反応だったのだろう。

 よくみると真新しい部屋だった。木目を基調にした壁にはピンクのストライプの布の貼られた浅い棚があり、ぬいぐるみの熊や赤ん坊のお人形が並べられている。テーブルには、フルコースのステーキが置かれたばかりで、にんにくのきいた肉の美味しそうな匂いが漂っていた。

 すごい音量だと思ったのは室内に低く流れる英語のクリスマスソングだった。

ジングルベルのメロディーが低く流れていた。

 そこで出産間際の五人の若い女性たちは食事をしていた。皆、多少むくみが出ており、体のしんどさが伝わって来た。


その食事室の中央に降りたって、私はあわてていた。裸でいるみたいに心細かった。妊婦さんの誰かが、私をみて、キャーと騒いだらどうしようかと怖かった。

が、確かに私は立ち続けているのに、みんな何事もないように食事をしていた。

誰も私に気付かなかった。

私はといえば、意識は、昔、生きていた時のようにクリアーだった。いや、視覚も聴覚も触覚も嗅覚も生きていた時よりも何倍も鮮明なくらいだった。不思議な気持ちで私は自分を眺めようとした。

身体はどうなっているのだろう。

 下を見ると、何も見えなかった。顔はどうなっているのかと鏡を探したが、近くに見当たらなかった。手や足どころかお腹も形がないところを見ると、もしかしたら顔もないのかもしれなかった。洒落た出窓のガラスで自分の姿を透かして見ようとしたが何も見えなかった。

でも確かにこの世に降りてきた時、あまりのまぶしさと音のうるささで、目や耳を両手で覆っているのだ。ということは、目には見えないけれども手も足もあるということなのだろうか。

わけがわからなかった。

それでもどうやら、透明人間状態になっているようだったので、私は少し安心して深呼吸した。改めて部屋を見回した。


不思議なことに私は一瞬で自分の子孫を見分けられた。一メートルも離れていないすぐ横のテーブルで、彼女は食事をしていた。



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