第2話:パパ、そのおきゃくさん、おそうじしていい?

翌朝。俺は小鳥のさえずりと共に目を覚ました。 窓から差し込む朝日は柔らかく、昨日起きた出来事がすべて悪い夢だったのではないかと思わせてくれる。 そう、きっと夢だ。隣国が地図から消滅したなんて、そんな馬鹿げたことが現実に起きるはずがない。


俺はベッドから起き上がり、リビングへと向かう。 そこには、エプロン姿の(サイズが合っていないので引きずっている)アリスが、テーブルに朝食を並べているところだった。


「ぱぱ、おはよー! あさごはん、できたよ!」


焦げたトーストと、殻が入ったままの目玉焼き。 しかし、そんな不恰好な朝食さえも、今の俺には愛おしい。 やっぱり夢だったんだ。アリスはこんなに可愛い、ただの女の子じゃないか。


「ありがとう、アリス。いただくよ」


俺は席につき、コーヒーを啜りながら、いつもの習慣で新聞を広げた。 一面トップ記事の見出しが目に飛び込んでくる。


『ガレリア帝国、一夜にして消滅』 『謎の巨大クレーター出現、生存者ゼロ』 『神の鉄槌か? 周辺諸国は厳戒態勢へ』


ブーッ!!


俺は盛大にコーヒーを吹き出した。 夢じゃなかった。 現実だった。 しかも「生存者ゼロ」って書いてある。完璧な仕事ぶりだ。


震える手で新聞を置く俺を、アリスが不思議そうに見つめる。


「ぱぱ、どうしたの? コーヒー、あつかった?」


「あ、いや……なんでもないよ。うん、ちょっと世界情勢が激動しているだけなんだ」


「ふーん。よくわかんないけど、ぱぱが元気ならいいの!」


アリスはニコニコしながら、自分のトーストにかじりつく。 俺は冷や汗を拭いながら、真剣な表情で彼女に向き直った。


「アリス。パパから大事なお話があるんだ」


「なぁに?」


「昨日のお散歩のことなんだけどね」


「うん! おそうじ、がんばったよ!」


褒めてもらえると思っているのか、アリスは胸を張って目を輝かせている。 この無邪気な瞳の奥に、国一つを更地にするだけの魔力が渦巻いていると思うと、胃に穴が開きそうだ。


「頑張ったのは……うん、すごいことなんだけどね。でも、これからは『おそうじ』をする前に、必ずパパに聞いてほしいんだ」


「えー? なんで? ぱぱのテキは、アリスがみつけたらすぐ『ぺっ』てしたほうがいいでしょ?」


「ぺっ、で国が滅ぶのは困るんだよ! あのね、パパはアリスとお話ししてから決めたいなーって思うんだ。だめかな?」


俺は必死に媚びた。 最強の存在に対して、力でねじ伏せることは不可能だ。頼みの綱は「パパへの愛」のみ。


アリスは少し考え込んだ後、こくりと頷いた。


「わかった! じゃあ、つぎからはパパにきくね! 『このむしさん、つぶしていい?』って!」


「……うん、まあ、方向性は合ってる。まずは相談、これ大事な」


虫けら扱いされる人類の未来に合掌しつつ、俺はとりあえずの安全協定を結ぶことに成功した。 そう思っていた矢先だ。


コンコン、コンコン。


玄関のドアがノックされた。 俺の心臓が早鐘を打つ。 こんな辺境の一軒家に、客なんて来るはずがない。 新聞配達か? それとも、昨日の「大掃除」の魔力残滓を辿ってきた調査隊か?


「はーい! だれかなー?」


アリスが椅子から飛び降りて、玄関へ走っていく。


「待てアリス! 勝手に開けちゃだめだ!」


俺が止めるのも聞かず、アリスはドアをガチャリと開けてしまった。 そこに立っていたのは、銀色の鎧に身を包んだ数名の騎士たちだった。 胸には聖教会の紋章。 マズい。異端審問官だ。この世界で最も融通が利かない連中が来てしまった。


先頭に立つ男が、鋭い視線を俺たちに向ける。


「突然の訪問、失礼する。我々は聖教会・第七聖騎士団の者だ。昨夜、この付近で極大級の魔力反応が観測された。何か知っていることはないか?」


男の声は威圧的で、俺のような一般市民なら竦み上がってしまうような覇気がある。 俺はとっさにアリスを背中に隠し、愛想笑いを浮かべた。


「い、いいえ、何も……。昨夜はずっと娘と寝ていましたので、雷か何かではないでしょうか?」


「雷だと? ふざけるな。帝国が一つ消し飛んだのだぞ。ただの自然現象なわけがあるまい」


騎士はズカズカと土足で家に上がり込んでくる。 俺は後ずさる。 アリスが俺の背中で、クスクスと笑っている気配がした。


「おい、貴様。その背中に隠している子供は何だ? 銀髪に赤目……妙な気配がするな」


騎士の手が、腰の剣に伸びる。 その瞬間。


部屋の温度が、氷点下まで下がった気がした。


「ねえ、ぱぱ」


俺の背後から、鈴を転がすような、しかし底冷えするほど甘い声が響く。


「このおじさんたち、くつのままおうちにあがってるよ? ぱぱがいつもきれいにしてる床なのに」


「ア、アリス、静かに……」


「それにね、さっきからぱぱのこと、すごく睨んでるの。アリス、そういうの許せないなあ」


アリスが俺の横からひょこっと顔を出す。 その瞳は、騎士たちを見ているようで、見ていなかった。 まるで、道端の汚物を眺めるような目。


「ぱぱ、やくそくどおり、きくね」


アリスが右手をゆっくりと持ち上げる。 その小さな人差し指の先に、漆黒の球体が圧縮されていくのが見えた。 あれは、原作ゲームのラストバトルでパーティーを全滅させる即死魔法『虚無の崩落』の予備動作だ。


「このシツレイなゴミたち、ここから『消しゴム』していい? おうちごと消えちゃうけど、またつくればいいよね?」


騎士たちは状況が理解できていない。 だが、本能的な恐怖を感じ取ったのか、顔色が青ざめている。


「な、なんだその魔法は!? 貴様、何者だ!」


「アリスだよ。パパの娘。……ねえパパ、はやく『いいよ』っていって? もう指がおもいよ?」


アリスの指先に集束するエネルギーが、バチバチと空間を歪ませ始めた。 家ごと消す? いや、この威力だと、この大陸の半分が消し飛ぶぞ!


俺は考えるよりも早く動いた。 アリスの前に立ちはだかり、その小さな体を思い切り抱きしめる。


「だめだあああああ!!!」


「えっ、ぱぱ?」


アリスの詠唱が止まる。 俺は彼女を胸に抱き込みながら、必死で叫んだ。


「お掃除だめ! 絶対だめ! パパはね、アリスとお家でゆっくり過ごしたいの! お家がなくなったら、パパ泣いちゃう! それに、この人たちは……そう、パパのお友達なんだよ!」


「おともだち?」


「そう! すごーく仲良しのお友達! だから消しちゃダメ! 仲良くしなきゃダメなんだ!」


俺は涙目で騎士たちの方を振り向いた。 騎士たちは、突然抱き合い始めた親子と、消えかけた漆黒の球体の残滓を見て、呆然としている。


「あ、あの……申し訳ありません騎士様! うちの娘、ちょっと人見知りで……癇癪持ちなんです! 魔法の練習中でして! ははは!」


「か、癇癪だと……? 今のはどう見ても禁呪レベルの……」


「気のせいです! ただの手品です! ほらアリス、おじさんたちに『ごめんなさい』は?」


俺はアリスの耳元で囁く。 (頼むアリス、ここで彼らを消したら、俺たちは一生追われる身になるんだ。平和な暮らしのためだと思って、演技してくれ!)


アリスは俺の顔と、震える騎士たちを交互に見た。 そして、ふわりと毒気の抜けた笑顔に戻る。


「……ちっ。わかった」


一瞬、舌打ちが聞こえた気がしたが、次の瞬間には天使のスマイルが炸裂していた。


「おじさんたち、ごめんなさい! アリス、てじなのれんしゅうしてたの! びっくりさせちゃった?」


「あ、ああ……そうか、手品か……」


騎士たちはまだ納得していない様子だったが、殺気が消えたことで、張り詰めていた緊張の糸が切れたようだった。 隊長らしき男が、額の汗を拭いながら剣を鞘に収める。


「……紛らわしいことをするな。それに、子供の教育には気をつけろ。その歳で無詠唱の魔法など、危険すぎる」


「はい、仰る通りです。肝に銘じます……」


「行くぞ。ここではなかったようだ」


騎士たちは、逃げるように家を出て行った。 彼らが去った後、俺はその場にへたり込んだ。


寿命が十年は縮んだ気がする。 心臓がバクバクといまだに五月蝿い。


「ぱぱ、だいじょうぶ?」


アリスが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。 その手には、いつの間にか抜き取っていた騎士団長の財布が握られていた。


「あれ? おじさん、おさいふ忘れてるよ?」


「……アリス、それは『忘れていった』んじゃなくて、『すった』んだよね?」


「ううん、お詫び料としてもらっておいたの。これでおいしいケーキ、たべにいこ?」


悪びれもせず、中身の金貨をチャリチャリと鳴らすアリス。 俺は天を仰いだ。


教育方針、どこから修正すればいいのか皆目検討がつかない。 だが、一つだけ確かなことがある。


「……そうだな。ケーキ、食べに行こうか」


財布を返しに行けば、また騎士たちと顔を合わせることになる。 それはあまりにもリスクが高すぎる。 俺は正義を捨て、共犯者となる道を選んだ。


「やったあ! ぱぱ大好き!」


アリスが俺の首に抱きつく。 柔らかくて温かい、小さな体。 この子が世界を滅ぼす魔王だなんて、やっぱり信じたくない。 でも、俺のポケットには、昨日の「お土産」である血塗れの王冠がまだ入っているのだ。


   ◇


街へ出るために、俺たちは家を出た。 アリスの手を引きながら歩く並木道は、とてものどかだ。 すれ違う人々が、アリスの可愛らしさに振り返る。


「まあ、可愛いお嬢ちゃんねえ」


「お父さんに似て美人さんになりそうだ」


そんな声をかけられるたび、アリスは愛想よく手を振り返す。


「えへへ、ありがとー! おばちゃんも、ながいきしてね!」


一見すると心温まるやり取りだ。 だが、俺にはアリスの言葉の裏にある真意が翻訳できてしまう。 『長生きしてね』=『今すぐ殺したりしないであげるね』だ。


「パパ、にんげんっていっぱいいるんだねえ」


市場の賑わいを見ながら、アリスが感心したように呟く。


「そうだね。みんな一生懸命生きてるんだよ」 「ふーん。これなら、はんぶんくらい減らしてもわかんないんじゃない?」 「わかります! すっごく困ります!」


俺は慌てて小声で突っ込む。 公衆の面前でジェノサイド計画を口にするのはやめてほしい。


その時だった。 前方から、ガラの悪そうな数人の男たちが歩いてきた。 腰に剣を下げ、冒険者風の格好をしているが、目が据わっている。 昨日の帝国消滅の混乱に乗じて、治安が悪化しているのかもしれない。


「おいおい、そこの兄ちゃん。楽しそうだなあ」


男たちが俺たちの進路を塞ぐ。 典型的なチンピラの絡み方だ。俺はアリスを後ろに隠し、穏便に済ませようと頭を下げた。


「すみません、急いでいますので」 「急いでる? 関係ねえよ。俺たちは今、機嫌が悪いんだ。帝国の仕事がなくなっちまってなあ。……おっ、その後ろのガキ、いい服着てんじゃねえか」


男の一人が、アリスに手を伸ばそうとする。 その瞬間。 俺の背後で、再び「カチリ」と何かのスイッチが入る音がした。


「……ねえ、ぱぱ」


アリスの声から、感情が消える。


「この人たち、いきがくさい。くうきがよごれるから、きれいにしていい?」


地面の小石が、重力を無視してふわりと浮き上がった。 ただの小石ではない。 一つ一つが、赤黒いオーラを纏って振動している。 あれは、初級魔法『ストーンバレット』に見せかけた、超高速質量弾だ。一発で城壁を貫通するやつだ。


チンピラたちは気づいていない。 ニヤニヤしながら、俺たちを見下ろしている。


「あーん? なんだこのガキ、生意気な口ききやがって」


「まあまあ待てよ、親父から金を巻き上げてからでも遅くは……」


男が俺の胸倉を掴んだ。 それが、最後の一線だった。


「ぱぱに、さわるな」


アリスの瞳が、深紅に発光する。 浮遊していた小石が、音速を超えて射出される――直前。


「うわあああああん!! 怖いよおおおおお!!」


俺は絶叫し、目の前のチンピラに抱きついた。


「えっ!?」


「な、なんだお前!?」


チンピラたちは、突然抱きついてきた成人男性にドン引きしている。 俺は必死だった。 アリスの射線を塞ぐには、こいつらと密着するしかない。 俺ごと撃ち抜くことは、アリスには絶対にできないはずだ!


「怖い! 顔が怖いよお兄さんたち! 許して! お金ならあげるから! ほら、ここに騎士団長の財布が!」


「お、おい、離れろ気持ち悪い!」


「なんで騎士団長の財布なんだよ! つーか泣くな!」


俺はなりふり構わず、チンピラの腰にしがみつきながら、アリスに向かって叫んだ。


「アリス逃げて! パパを置いて逃げるんだ! この人たちはパパが説得するから!」


「……ぱぱ?」


アリスが呆気にとられている。 俺とチンピラが密着して団子状態になっているため、確かに狙いが定められないようだ。 赤黒いオーラが霧散していく。


「ちっ……なんだこいつ、頭おかしいんじゃねえか?」


「気味悪いな……おい、もう行くぞ。関わらない方がいい」


「金はいらねえよ! 離せ!」


チンピラたちは、俺を乱暴に振りほどくと、逃げるように走り去っていった。 暴力よりも、狂気の方が人は恐ろしいらしい。


俺は地面に大の字になって、荒い息を吐いた。 空が青い。 今日もまた、世界を救ってしまった。俺の尊厳と引き換えに。


「ぱぱ……だいじょうぶ?」 アリスが俺の顔を覗き込む。 その表情は、不満そうだ。


「なんでとめたの? あんなの、ゆびさきひとつで『ぷちっ』できたのに」


「アリス……暴力はね、何も生まないんだよ」


「うむものはあるよ? したいのやま、とか」


「そういう物理的な話じゃなくて!」


俺は起き上がり、アリスの肩を掴んだ。


「パパはね、アリスの手を汚したくないんだ。綺麗な手のままでいてほしいんだよ」

「……て、よごれないよ? まほうだもん」


「比喩だよ! 心の話だよ!」


俺の必死の説得に、アリスはぽかんとした後、ふにゃりと笑った。


「よくわかんないけど、ぱぱがそういうなら、がまんする。……でもね」


「でも?」


アリスは、チンピラたちが去っていった方向をじっと見つめ、小さな声で呟いた。


「こんどぱぱをいじめたら、ぜったいにゆるさないからね。……そのときは、たましいごと『おせんたく』しちゃうんだから」


その呟きは、あまりにも冷たく、そして重かった。 俺は戦慄する。 彼女の中で「パパを守る」という目的の前では、善悪など何の意味も持たないのだ。


「さ、ぱぱ! ケーキたべにいこ! いちごのやつ!」


アリスは俺の手を引っ張り、明るい笑顔で歩き出す。 俺はその小さな背中を見つめながら、覚悟を決めた。


この子の暴走を止められるのは、世界で俺だけだ。 たとえ胃薬が手放せなくなろうとも、社会的地位を失おうとも、俺が彼女のブレーキにならなければならない。


とりあえず、まずはこの「騎士団長の財布」をどう処理するか、ケーキを食べながら考えるとしよう。 平和への道は、あまりにも険しく、そして遠い。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あとがき

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