第1話 始まりの好奇心

ある秋の終わり頃。

福祉施設に勤める俺は、出張で千葉県で開催される研修に参加した。

普段はあまり旅行に行かない俺ではあったが、久しぶりの遠出に高揚感を感じる。

せっかく千葉県まで来たのだ。帰りの新幹線に乗る前に、俺は寄り道をして行くことにした。


もともとオカルトものに興味があった俺は、以前インターネットで見たホラースポットに足を運ぼうと思ったのだ。

目的地は【八幡の藪知らず】

いわゆる、禁足地である。


国道14号線の傍ら。

住宅街の中にポツンとある、僅か18m四方の竹の森。

それが、禁足地【八幡の藪知らず】。


『この藪に足を踏み入れると二度と出てこれなくなる』。

そんな言い伝えのあるこの土地は、遥か昔の江戸時代から禁足地とされており、神隠しの伝承とともに有名になっていた。

なぜこの地が禁足地となったか。

その理由は諸説諸々あるが…。

かの水戸黄門が迷って出て来れなくなり立入禁止にした説。

昔の豪族の墓所とする説。

平将門の墓所である説。

様々な推測がなされているが、はっきりとした理由は未だ不明である。


【八幡の藪知らず】に到着した時、すでに周囲は薄暗く、夜の帷が舞い降り始める時刻となっていた。

僅かな恐怖心。

しかしそれを上回るワクワク感。

俺はその禁足地の光景に視線を巡らす。


墓石のような石柱にぐるりと囲まれた、18m四方の森。

参拝口には灰色の鳥居が立っており『不知森神社』の名が彫られている。

俺は鳥居をくぐり抜け、僅か数mの敷地にある社殿に入る。

この社殿までは参拝が許されている。つまり、ここから先が足を踏み入れてはならない禁足地なのだ。


森の周囲には車や住宅の灯が見える。

しかし敷地内に入れば、社殿を照らすのは自分の携帯電話のライトのみ。

社殿の奥には、小さくも厳かな佇まいの神社があった。

周囲には、鳥居と同じく、この地の名前が刻まれた石碑がある。

俺は社殿の奥に繁る森にライトを向ける。

縦横縦横無尽に伸びる竹林がライトの灯を遮り、視界を塞ぐ。地面には腐り倒れた竹が見えた。


…ふぅん。

禁足地【八幡の藪知らず】にあったのは、小さな社殿と深い竹林のみ。

期待していたような怪奇現象にも起きない。

…なんだ、こんなものか。

やや落胆した俺ではあったが…。

そんな俺の中に、むくむくと好奇心が膨らみ始めた。

一歩だけ。

そう、一歩だけ。

俺はその禁を破り、一歩だけ、社殿の奥の竹林に。

禁足地【八幡の藪知らず】の竹藪に、足を踏み入れた…。


その時。

視線を感じた。

強い視線だった。

鋭い刃が突き刺さるような感覚。串刺し。そう形容できる程の視線だった。

視線に慄く俺は、社殿を振り返る。

…。

石碑の隣で何かが動いた。

黒い影がユラリと蠢いた。

そして、

黒い影が

姿を現す。

それは、

人の形をしていた。


【闇色のヒトガタ】

…なんだあれは?

背筋に怖気が走る。

首の後ろがチリチリとする。

両の肩に寒気を感じる。

喉の奥に得体の知れない違和感を感じる。

乾いた唾液を無理矢理に飲み込もうとする。

だが、上手く飲めない。

喉の違和感が俺の嚥下機能を阻害する。

膀胱が収縮し、尿意を感じる。

やばい!

見ちゃダメだ!

早くここから退け!

脳が体に指示を出す。

だが足は動かない。視線すら外せない。

まずい。

まずいまずい。

俺は、自分の体に向かって必死の命令を出す、動け動けと。

なんとか。

なんとか俺は、一度だけ、瞬きをした。

僅か0.1秒間。俺の視界が瞼の裏側にある闇に染まる。

…直後。

黒いヒトガタが消えた。

俺の必死の瞬きとともに、それは消えた。

瞬間。

鉛が外れたかのように、体が軽くなる。

全身を襲っていた寒気も、消えた。

ゴクリ…。

唾も飲み込める。味も感じる。

周囲を見渡した俺に国道14号線を走る自動車の黄橙色の灯が眼に入る。


胃と肺に溜め込んだ濁りを吐き出す。大きく、大きく、わざとらしく、深呼吸をする。

見てはいけないモノを見てしまったという恐怖心を抱えたまま。

俺は禁足地【八幡の藪知らず】を足早に後にする。

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