フットボールの神様がくれた二度目の才能

@DTUUU

第1話 夜明けの儀式と硝子の膝

 世界がまだ夜の帳に包まれている刻限。

 意識は、底なしの泥沼から不意に引き上げられたかのように覚醒した。夢の残滓は瞬く間に消え失せ、代わりに圧倒的な現実の重力が全身にのしかかる。

 目を開ける。見慣れた、そして安っぽい天井のシミが、薄闇の中で亡霊のように浮かんでいる。

 夜明け前だ。

 カーテンの隙間から滲み込む街灯の青白い光が、6畳一間の狭い空間を冷ややかに切り取っている。壁時計の秒針が進む音だけが、静寂の中で異様に大きく響く。チク、タク、チク、タク。それは俺の残り少ない選手生命をカウントダウンする無慈悲なメトロノームのようだった。


 身体が、動かない。

 金縛りではない。霊的な現象などというロマンチックなものでは断じてない。これは、物質的な限界だ。鋼鉄の枷を嵌められたかのように、四肢が重い。

 ――いつものことだ。

 俺は心の中でそう呟き、深く、長く息を吐き出す。白い呼気が闇に溶けていく。2009年、晩秋。季節の変わり目の冷え込みは、古傷にとって拷問に近い。冷気は毛布の隙間から容赦なく侵入し、傷ついた組織を内側から食い荒らすシロアリのようだ。


 覚悟を決めるのに、5分を要した。

 俺は右手を伸ばし、重い掛け布団をゆっくりと剥ぎ取る。外気に触れた肌が粟立つ。だが、本当の地獄はここからだ。

 仰向けの姿勢のまま、両足に意識を集中させる。脳から送られた信号が、脊髄を通って下肢へと達する。

 ベッドの上で、膝を数ミリだけ曲げようとした。

 その瞬間だった。


「……っ、ぐ……ぅ!」


 声にならない呻きが、喉の奥から漏れ出した。

 左膝の深奥、関節包の内側に、真っ赤に熱した太い鉄串を無造作に打ち込まれたような、鋭利で暴力的な激痛が走る。

 痛覚信号が脳を焼き尽くし、視界が一瞬白く明滅する。

 脂汗が額に滲み、こめかみの血管がドクドクと脈打つ。歯を食いしばりすぎて、奥歯がミシミシと音を立てた。

 痛い。何度繰り返しても、この痛みだけは慣れることがない。

 それは単なる痛覚ではなく、肉体が発する拒絶の叫びだ。「もう動かすな」「もう休ませろ」と、細胞の1つ1つが悲鳴を上げている。


 呼吸を整える。ヒッ、ヒッ、フー。ラマーズ法のように意識的に呼吸を繰り返し、痛みの波が引くのを待つ。

 そして、再び挑む。

 今度は右膝だ。こちらも左に劣らず酷い。半月板は摩耗しきって久しく、クッションの役割を果たしていない。大腿骨と脛骨、骨と骨が直接触れ合い、ヤスリで削り合うような、ザリザリとした不快な感触が脚の芯から頭蓋骨の裏側にまで響いてくる。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 ミリ単位で関節を“起こす”。

 それは、長年放置されて錆びついた巨大な鉄の扉を、指先だけの力で押し開けようとする作業に似ていた。あるいは、微妙なバランスで積み上げられた積み木を崩さないように、1つだけ抜き取るような繊細さ。

 少し動かしては激痛に耐え、痛みが鈍痛へと変わるのを待ち、また少し動かす。

 その繰り返し。

 孤独で、地味で、そして果てしない闘い。


 上体を起こし、ベッドの縁になんとか腰を下ろす。

 足を床につける。

 ただそれだけの動作を完了した時、時計の針は30分も進んでいた。

 俺は肩で息をしながら、自身の膝を見下ろした。

 幾多の手術痕が、蚯蚓腫れのように皮膚の上を走っている。切り刻まれ、縫い合わされ、それでも酷使され続けた俺の膝。それは歴戦の英雄の勲章などではなく、ただの酷い損傷の集積に過ぎない。

 このボロボロの関節が、俺のサッカー人生そのものだった。


 窓の外が、ようやく白みはじめている。

 カラスの鳴き声が遠くで聞こえた。街が目覚めようとしている。

 だが、俺の準備はまだ終わらない。

 度重なる怪我と手術で、俺の両膝はもう限界をとうに超えていた。寝起きの身体は、筋肉も靭帯も腱も、すべてが石膏で固められたかのように硬直している。このまま立ち上がれば、乾燥した小枝のようにポキリと折れてしまいそうな脆さを感じる。

 人間らしい可動域を取り戻すまでには、ここからさらに時間を要する。


 俺は這うようにしてユニットバスへ向かい、熱めのシャワーを浴びる。

 温水が肌を叩き、強張った筋肉を外側から解凍していく。湯気の中で、俺は祈るように膝を摩り続ける。血行を促し、神経を目覚めさせるために。

 風呂から上がると、今度は入念なストレッチだ。

 ゴムチューブを使い、関節に負担をかけすぎないように、慎重に、かつ確実に可動域を広げていく。痛みが走る角度と、まだ動く角度を見極める作業。今日の膝の機嫌を伺う、毎朝の儀式。

 最後に、分厚いテーピングを巻く。

 アンダーラップを巻き、その上からホワイトテープでガチガチに固定する。関節の自由を奪うことで、逆説的に動く自由を得る。それは拘束具であり、同時に俺の足を繋ぎ止める唯一の命綱でもあった。


 そうしてようやく、まともに歩けるようになるまで、トータルで1時間はかかる。

 これが、谷車ユウジの朝だ。

 25歳。

 世間一般では、若者と呼ばれる年齢だ。サラリーマンならようやく仕事に慣れ始め、これから脂が乗ってくる時期だろう。

 だが、俺は違う。まるで80歳の老人のような目覚め。朝起きるたびに絶望し、その絶望を時間をかけて飼い慣らす。そんな毎日。


 だが、こんな身体は俺だけではないらしい。

 以前、遠征先のホテルで、ベテランのトレーナーがマッサージをしながら教えてくれたことがある。プロで飯を食っている連中の中には、同じように過酷な朝の“儀式”を抱えている奴もいる、と。

 華やかなスポットライトを浴びるスター選手たち。だがその舞台裏では、誰もが満身創痍だ。

 日本代表の大久保嘉人や、ドイツへ渡った内田篤人といったトップランナーたちも、似たような、あるいはもっと壮絶なルーティンと痛みを抱えながらピッチに立っているのだと聞いたことがある。彼らは痛み止めをラムネ菓子のように飲み込み、麻痺した足で世界と戦っているのだ。

 その話を聞いた時、俺は少しだけ――本当に僅かだが――胸の奥が熱くなり、誇らしくなったのを覚えている。

 もちろん、キャリアの格は天と地ほど違う。彼らは日の丸を背負い、何万人もの大歓声を浴び、億単位の金を稼ぐスターだ。

 片や俺は、J2の下位クラブでベンチを温めることすら稀になった、年俸300万円にも満たないC契約選手。サポーターに名前を呼ばれることすら久しくない、忘れ去られた存在。

 それでも、「膝の痛み」という共通言語を持っていることだけが、俺たちが同じ「フットボーラー」という種族であるという、唯一の証明のように思えたのだ。この痛みこそが、俺がプロである証だった。


 夢だった「プロ」にはなれた。

 小学校の卒業文集に書いた「Jリーガーになる」という夢は、確かに叶った。

 けれど現実は、甘くなかった。いや、残酷なほどにシビアだった。

 名前も売れないまま、怪我に泣かされ続け、気がつけば20代半ば。月の手取りは10数万円。遠征費や用具代、体のケアにかかる費用を考えれば、手元に残る金などほとんどない。近所のコンビニで深夜バイトをしているフリーターの方が、よほど実入りがいい月さえあるだろう。

 華やかな私生活など無縁だ。食事は自炊で切り詰め、服はジャージばかり。合コンに行けば「Jリーガー」という肩書きで最初は食いつかれるが、年収と知名度のなさが露呈すると、女性たちの笑顔はまたたく間に愛想笑いへと変わっていく。

 地上波のスポーツニュースで取り上げられるなんて、夢のまた夢だ。俺が奇跡的にゴールを決めたところで、尺の都合でカットされるのが関の山だろう。深夜のダイジェスト番組の、さらに端っこに、豆粒のように映ればいい方だ。


 それでも――。

 俺は準備を終え、部屋の隅に置かれた小さな液晶テレビと、その横にある黒いチューナーに視線をやった。

 ここ数年で、環境は少しずつ変わりつつある。

 スカパー!のような有料多チャンネル放送が普及し、熱心なサポーターは全試合をチェックできるようになった。最近では、インターネット回線を使った映像サービスでも試合が見られるようになってきている。「ひかりTV」ではJリーグの試合をまとめて配信する企画まであるらしい。

 自分がサッカーで食っていること、プロとしてピッチに立っていること。それを辛うじて他人に示せる証拠が、そこにはあった。

 「テレビに出る」ことのハードルが下がり、誰でも映像にアクセスできる時代。

 いい時代になった、と言うべきか。それとも、隠しておきたかった残酷な現実――観客のまばらなスタンド、枯れた芝生、そして無様に泥にまみれる俺の姿――まで鮮明に映し出される時代になったと嘆くべきか。

 どちらにせよ、それが俺の生きる「今」だった。


 5歳の誕生日に、親父に初めてサッカーボールを買ってもらってから、20年そこそこ。

 あの頃は、自分こそが世界の王様になれると信じていた。誰よりも速く走り、誰よりも強く蹴れると思っていた。

 だが、年代別代表にも届かず、ワールドカップの舞台にも立てないまま、俺は今日、引退する。

 早すぎる引退? いや、これでも粘った方だ。

 これは悲劇というほど珍しい話でもない。この国には、俺のようなフットボーラーが山ほどいる。Jリーグという巨大なピラミッドの底辺を支え、そして静かに崩れ落ちていく石ころたち。

 子どもたちが公園で叫ぶ名前は、中村俊輔だの、遠藤保仁だの、中澤佑二だの――そういう“ほんの一握り”の選ばれし英雄たちだ。彼らのユニフォームは飛ぶように売れ、そのプレイは伝説として語り継がれる。

 それ以外の大半のフットボーラーは、誰に知られることもなく、ひっそりとユニフォームを脱ぎ、消えていく。スタッツ表の数字としてのみ記録され、やがてその数字さえも忘れ去られる。歴史の片隅にも残らない、無数の敗者たち。

 俺もその1人になる。ただそれだけのことだ。感傷に浸る資格すらない。


 ただ1つだけ、運が良かったことがある。

 本当に、奇跡のような幸運が1つだけ。

 クラブの社長――あるいは古くからのスポンサーの顔役だったか――の個人的な厚意で、地元の開幕戦に合わせて“引退試合”を組んでもらえたのだ。

 普通なら、シーズン終わりの寒空の下、契約満了の通知1枚、あるいは電話1本で終わりだ。「来季の契約は結ばない」。その事務的な一言で、人生の全てが断ち切られる。

 それを、わざわざ花道を作ってくれた。

 もちろん、純粋な善意だけではないだろう。引退後も、このクラブのジュニアユースでコーチとして残る予定になっている。営業面でも「地元出身の選手の区切り」というのは、集客のための物語として意味があるらしい。俺の引退すらも、クラブにとっては1つのコンテンツであり、次のシーズンへの繋ぎであり、チケットを売るための材料なのだ。


 だが、それでも構わない。

 理由が何であれ、場所が与えられるなら。最後にあの緑の芝生の上で、ユニフォームを着て死ねるのなら、俺はそこで死力を尽くすだけだ。

 ピエロで結構。客寄せパンダで上等だ。

 俺には、見せなければならない相手がいる。


 俺はこのオフの間、きっちりと身体を作ってきた。

 酒も断ち、食事も制限し、悲鳴を上げる膝を騙し騙しトレーニングを続けてきた。

 腐ることも、怠けることもなく、ただ今日という日のために。

 たった1試合。しかも、おそらくフル出場などできるはずもない。後半のロスタイム、勝敗が決した後の数分間の出場かもしれない。

 それでも、その数分のために、俺の全てを注ぎ込んだ。


 脳裏に、これから指導することになる子供たちの顔が浮かぶ。

 まだあどけない、けれど純粋な瞳でボールを追う少年たち。その中には、俺のことを「プロの選手」として尊敬し、慕ってくれている「教え子」もいる。

 彼らはまだ知らない。プロの世界の厳しさを。夢破れる痛みを。

 だが、今はまだ知らなくていい。彼らが見るべきなのは、夢の輝きだ。


 ――教え子の目の前で、無様な姿だけは見せられない。


 走れないなら、走れないなりの戦い方がある。

 動けないなら、頭を使え。

 俺が20年かけて培ってきた技術、戦術眼、そしてボールへの執着心。その欠片(かけら)だけでも、彼らの網膜に焼き付けたい。

 「谷車ユウジという選手がいた」と、彼らの記憶の片隅に留まりたい。


 俺はテーピングを巻き終えた足を床に踏みしめ、立ち上がった。

 ズキリ、と膝が軋む。痛みは消えない。一生消えないだろう。

 だが、立てる。歩ける。蹴れる。

 それだけで十分だ。


 姿見の前に立つ。

 鏡の中の男と目が合う。

 疲れ切った顔だ。目の下にはクマがあり、頬はこけている。華やかさとは無縁の、泥にまみれたサッカー人生だった。

 それでも、その瞳の奥には、まだ燃え尽きていない炭火のような熱があった。

 今日、最後の笛が鳴るその瞬間までは、俺はプロフットボーラーだ。

 誰がなんと言おうと。


 部屋を出る。

 鉄の扉を開けると、冷たい朝の空気が、一気に流れ込んできた。熱を帯びた頬を、冷気が優しく撫でていく。

 空は高く、突き抜けるように青い。

 決戦の朝だ。


 俺はスパイクの入ったエナメルバッグを肩に担ぎ、1歩を踏み出した。

 その1歩が、どれほどの痛みを伴おうとも、俺は前へ進む。

 ボールがある場所へ。

 俺の居場所へ。

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