長谷川先生と被験者Aの虚構現実における実験記録

Tockage

第1話:『突き付ける現実、駆動する仮想空間』①

 それは、うだるような暑さのなかに、初夏の爽やかな熱さを僅かに含んだ頃。

 夏季の定期考査目前、学科内全ゼミ合同の発表会での出来事だった。


「お前らが理解しなきゃ助けなきゃと思ってるのは、フニャフニャのガキだ。俺たちのような奴らのことなんか眼中に無い!そんなんで俺たちホモのことを理解しようとするな!」


 飛び交う悲鳴と怒号。叩きつけられるマイクが拾う足音。

 どうしてこうなってしまったんだと、燃え広がる失望の炎を前に、彼が所属するゼミの担当教授『長谷川友吾はせがわゆうご』は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 さかのぼること、およそ一週間前。

 ゼミ合同発表会に向けた各グループワークの進捗具合が、このゼミは全グループ非常に危険な状態であることを察知した長谷川は、ゼミ所属の学生のひとり『荒井唯あらいただし』を呼び、こう頼んだ。

「ゼミ発表として、LGBTへの接し方とか、そういうことを話してほしいんだ。本当に基礎的なことだけでいい、誰も何も発表できることがありませんという事態は、何としても避けないといけないから……頼むよ!」

 荒井はこの非常に身勝手な依頼を、意外にもあっさりとした返答で了承した。

 前日のリハーサルもつつがなく終え、資料の準備も完璧。あとは本番当日を迎えるだけ――というところまでが、長谷川が今辿り、思い出せる記憶だった。


 本番当日、つまり、今日。

 午前の授業の枠全てをつかって行われる合同発表会。長谷川のゼミは、よりにもよって一番最後の順番だった。

「では、最後に長谷川ゼミの発表に移ります。準備をお願いしま」

「必要ない。マイクだけください。」

 荒井はそう言うと、用意されたPCが載った発表用デスクの前に立った。


「はい、えー……長谷川ゼミです。俺たちのゼミは、セクシュアリティに関する研究をしてたんですけど、なんか俺たちがそういう発表する前に、皆にセクシュアリティ、特にマイノリティについて理解してもらったほうが良いって判断になったんで、

 2年の荒井が、ホモって何かについて、話しま~す。」


 この時点で、教室は一瞬だけざわついた。

 ゲイではなく、あえてホモという単語を、露悪的に選んだ。

 その様子からして既に

(昨日のリハーサルと段取りが違う……!?)

 長谷川はわずかに焦り始めていた。


「お前たち、ホモって言われて何か分かる?ホモ。知ってる?」

 荒井が学生のひとりにマイクを向ける。指名された学生はしどろもどろになり、答えを濁した。

「まあいいや。えーっと……あ、お前。お前、ホモって何か知ってる?」

 別の学生にマイクを向ける。その学生は、おずおずと「お、男がす…きぃ?な、男の人…?」と答えた。

「まあ、ハイ。ありがとうございます。そう、ホモってのは、要はLGBTのG、ゲイのことで、男が好きな男のこと。……なんて今更な綺麗事を言いに来たわけないじゃないすか。」

 教室に少しずつ、焦燥と喧噪が混ざり始める。


「俺たちホモってのは、例えば……お前たちがションベンしてるトイレの個室、扉一枚隔てた向こうで、今会ったばっかりの名前も知らない男のチンポしゃぶったり、

 あ〜ムラムラするな~って言って、風俗行くのと変わらないノリでハッテン場行って、名前も知らない男とセックスしたり!エロい下着履いて自撮りして、知らないオッサン相手にインプレッションと小遣い稼いで!彼女欲しいな~って言ってマチアプするのと同じノリで、俺らホモ用の出会い系アプリで男漁って、またセックスしてる!そんな、最低の奴らのことです!」


 何かが、音を立てて崩れていく。それは今日のための計画かもしれないし、この場そのものかもしれない。あるいはもっと別の――


「どうせこう言わなきゃ、お前らには通じないんだろ。お前らが救いたいと言うのは、男の子好きになっちゃったどうしよ〜ん♡とか言ってるふにゃふにゃのガキだ!

 俺たちのような、ヤろうと思えばどこでも、誰とでもセックス出来るような奴らのことなんか眼中に無い!そんなんで俺たちホモのことを理解しようとするな!俺たちと同じ場所まで落ちぶれてから物を言え!」

 荒井の声が大きくなるにつれ、喧噪が増していく。

 最後の言葉を叫んだ荒井は、マイクを床に叩きつけた。

 その衝突音をもって、発表会は終わり、学生たちは思い思いの昼休憩を過ごすことになった。


 さっきのやつ聞いた?

 アレは無いだろ……

 長谷川ゼミの他の子、かわいそ~

 なにあのイキったスピーチ。キモいわw

 てかホモってそうなんだね。普通の男よりヤリチンってこと?

 俺怖くてションベン行けねえよwwおい誰かトイレついてきて~w


 喧噪の中、長谷川は食堂の隅のテラス席で独りカツ丼を食べていた。

「ねえねえキミ、凄いね!」

「あ?誰?」

 そこにあらわれたのは、先の発表会で立派に発表をしていた学生のうちのひとり。

「俺、千曲ちくまって言うんだ。俺以外にもゲイがいるんだって、なんか安心したよ。あと、スカッとした。俺の思ってたこと全部言ってくれたみたいで。」

「……そう。どうも。」

「てかキミ、これからどうすんの?大学辞めるつもりじゃないよね?」

「辞めはしない。行きづらいっつうか、どの教授の講義も受けててイライラするのは変わりないし。」

「確かに、なんかあるよね〜。マジョリティ特有の、上から目線な感じ。」

「この間の経済学のオヤジなんて、男性化粧品が出てきたのは同性愛者と関連性が~とか言ってさ」

「え、アレ受けてたんだ!」

「聞いてて胸糞悪くなったから途中で出たよ」

 それからしばらく、マイノリティから見たマジョリティに関しての話が弾んだ。そんな矢先だった。頭上のスピーカーから、無機質なノイズが走る。

『学生の呼び出しです。長谷川ゼミの荒井唯くん、長谷川ゼミの荒井唯くん。本部棟職員室までお越しください。』

 スピーカーから、怒気の滲んだ声がした。

「あちゃ~……」

「ま、そりゃ発表会台無しにしたし。」

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