OutLands編_第4話_イリヤとカイ

 穴は浅い。

第八の外れ、瓦礫と雑草のあいだを少し均しただけだ。


 土を掘る道具なんて、まともには揃っていない。  誰かが拾ってきた錆びたスコップと、鉄筋に板をくくりつけた即席のシャベルで、男たちが交代しながら硬い地面を崩していく。


 スコップを握っているのは、レイモンドだけじゃない。


 サムも、いつもの軽口を封じた顔で隣に立っていた。  額に砂と汗を貼りつかせながら、鉄筋シャベルを無言で振り下ろす。


「……もう少し深くしたいけどな。」


 サムが息を吐きながら言う。


 カーンが、スコップの順番を待ちながらぼそっと言った。


「かわいそうに…」



「……このくらいか。」


 レイモンドが額の汗を拭って、掘り返した穴を見下ろした。


「浅すぎると、犬が掘り返す。  ここらじゃ、これが“ちゃんとした埋葬”だ。」


 イリヤは、うなずくこともできずに立っていた。  腕の中には、小さな布切れがある。  昨日、都市の布と一緒に回収した、リオの服のちぎれた端だ。


 ソフィアは、少し離れた岩の上に腰を下ろしていた。


膝の上には、例の白い棒──ビーコンが一本。  さっきまで地面に突き立っていたそれを、指先で回しながら、まだかすかに残っている信号を眺めている。

カーンが小さく吐き捨てる。


「人道だか何だか知らねぇが、こっちから見りゃ“撃った場所の札”にしか見えん。」


「信号は、もうほとんど死んでる。」


 ソフィアが指先で先端を叩いた。


「都市側にはとっくにログ送られてる。  消しても消さなくても、向こうの記録からは消えないよ。」


「……埋めるか、分解して売るかは、あとで決めよう。」


 レイモンドがそう言って受け取る。  手の中で光を失っていく棒を、しばらく無言で眺めていた。


「今は、こっちが先だ。」


 穴の横に、簡素な担架が置かれている。  その上に、白い布にくるまれたリオが寝ていた。


 都市の布は防水で、丈夫で、冷たい。  アウトランズの毛布よりもよほど長持ちするが、体温を返してはくれない。


 イリヤは、布の端に指をかけた。  昨日と同じように、喉が勝手に締めつけられる。


「顔、見なくていいなら、そのままでもいい。」


 レイモンドの声がした。


「……見る。」


 自分でも驚くくらい、かすれた声だった。


 布をめくる。  昨日よりも、血の色は薄れていた。  胸の穴も、ただの暗い染みになりつつある。


 それでも、リオの顔は、まだリオの顔だった。


 いつもより少しだけ、静かなだけで。


「ごめん。」


 口が勝手に動いた。


「鍋を運べって言ったのは、私だ。」


 誰も何も言わなかった。  風の音だけが、ひゅう、と耳の中を抜けていく。


「……埋めよう。」


 カイが言った。


 担架ごと、男たちが布に包まれた小さな体を持ち上げ、穴の中にそっと下ろす。  マイクが、そっと布の端を整えた。


「これで雨が降っても、顔に直接はかからない。」


 そう呟いて、マイクは一歩下がる。


 イリヤは膝をつき、土に手を伸ばした。


 最初の一掴みは、イリヤが投げた。 指の間からこぼれた土が、白い布の上に暗い跡をつける。


 次に、カイ。  それから、レイモンド。  サムも、黙ったまま土をつかんで投げ入れた。


 カーンは、少し逡巡してから、ごつごつした指で固い土を一塊つかみ、穴の中に落とした。  ソフィアは最後に、小さな石を一つだけ投げ入れた。


「……回路の終端。」


 誰にともなく、そう呟く。


 最後に、周りにいた大人たちが、順番に土を投げ入れていった。


 土の音が、布を叩くたびに、小さな何かが胸の中で折れていくような気がした。


***


 その日の夕方、第八の空には、また光の帯が戻っていた。


 防衛ラインをなぞるように走る白い線。  昨日のような乱れではなく、いつもの一定の明滅。


 “いつも通り”。


 都市の中枢から見れば、子供が一人死んだくらいで、警告灯のリズムを変える理由にはならないのだろう。


 イリヤは、ハウリングのテントの中で膝を抱えていた。  薄い布一枚の向こうで、夜の空気がうごめいている。


「……寝ないと、明日がしんどいぞ。」


 入口のところで、レイモンドが、草を噛みながら言った。


「明日も水場の番と、壊れたポンプの修理だ。」


「寝れない。」


 イリヤは正直に答えた。


「目閉じると、あいつが鍋持ってるとこばっかり出てくる。」


「なら、目開けたままでもいい。  どのみち、今夜中に世界は変わらねぇ。」


 そう言ってから、レイモンドは外の暗がりを顎で示した。


「……さっき、第七帰りの連中から、話を聞いた。」


「話?」


「“数字”の話だ。」


 レイモンドがテントの布を少し持ち上げると、外の会話がわずかにはっきりした。


 焚き火の周りで、何人かが腰を下ろしている。  その輪の中には、サムとカーンとソフィアの姿もあった。  マイクは少し離れたところで、負傷者の包帯を巻き直している。


「第七の補給路を叩きに出たディスパーサが、12人まとめて戻ってこなかったってさ。」


 そう口にしたのはサムだった。


 いつもの軽い調子ではない。  指折り数える癖は同じだが、その声には重さがあった。


「第八の境目まで出てった連中だろ? 」


 カーンが、火の先を見つめたまま言う。


「ここに寝かされてるのは、その12の仲間じゃない。  第七と第八のあいだで、運悪く巻き込まれた連中ばかりだ。」


「12人…」

 ソフィアが、小枝で地面に数字を書きながら呟いた。


「出撃数、戦死数、戻り数。向こうのAIにとっては、その程度のラベル。」


 笑い声は混じっていない。  ただ、事実を並べる声と、それを黙って聞く気配だけ。


「12。」


 イリヤはその数字を、口の内側で転がした。


「その12人は、自分で選んで出たんだろ。」


 イリヤは、そっと呟いた。


「武器持って、“ディスパーサ”って名乗って。  リオは、鍋しか持ってなかった。」


 マイクが、テントの入口近くで薬包紙を畳みながら言う。


「数字にすると、全部“同じ死”に見える。  実際には、全然違うのにな。」


 レイモンドは何も言わなかった。  ただ、こちらを一瞥して、草を噛み砕いた。


「なぁ。」


 イリヤは自分でもよく分からないまま、言葉を続けた。


「12人が死んだって話は、“戦果”とか“代償”とか、好きなように呼べる。  あいつ一人の死は、なんて呼ぶんだ。」


「呼ばなくていい。」


 レイモンドが、あっさりと言った。


「名前がつくと、便利になる。  “12人戦死”も、“誤射1名”も、誰かの計算に使われる。」


 火の光が、彼の横顔を一瞬照らした。


「こっちは、あいつを“リオ”って呼んで、忘れなくていい。」


「……忘れたくない。」


「なら、それでいい。」


 テントの中に、しばらく沈黙が落ちた。


 外では、まだ「12人」の話が続いている。  第七の補給路、第八の境目、都市の無人機、戻らなかった仲間の名前。


 サムが「今ここにいる顔」と「戻らなかった顔」を頭の中で並べているのが、顔の表情だけで伝わってくる。


 カイが、入口の布に背中を預けた。


「なぁ、イリヤ。」


「なに。」


「このまま、水場とポンプと鍋運びだけやって、忘れないでいるだけでいいのか。」


 イリヤは答えられなかった。


 それは、昼間から胸の中で渦を巻いていた問いそのものだったからだ。


「俺は……。」


 カイが、言葉を探すように唇を動かした。


「俺は、もう少しマシな形で“返したい”。  線の向こうのやつらに。  あの光と、その後ろにいる連中に。」


「戦うってこと?」


「戦う、って言うと簡単すぎるけどな。」


 カイは、乾いた笑いを漏らした。


「でも、今のままじゃ、何も選べない。  武器もまともに扱えない、都市のセンサーの仕組みも知らない、線から何メートル寄ったら撃たれるかも他人任せ。  それで誰かがまた撃たれて、『ひどい』って言うだけなら……。」


「それは、嫌だ。」


 イリヤは、握りしめた膝に額を押しつけたまま言った。


「リオが死んだあとで、“仕方なかった”って言葉で終わるの、もっと嫌だ。」


「だろ。」


 レイモンドが、草を吐き出して立ち上がった。


「じゃあ、簡単な話だ。」


 イリヤとカイの視線が、自然と彼に集まる。  外の焚き火の輪では、カーンとソフィアがまだ何かを小声で話していた。


「お前ら、これからも第八で水を運んで、ポンプを直して、鍋を運ぶ。  それに加えて──」


 レイモンドは指を一本立てた。


「鉄の握り方と、撃たれない歩き方を覚える。  線の向こうで何がどう動いてるか、自分の頭で想像できるくらいにはなれ。」


「訓練するってこと?」


「訓練ってほど立派なもんじゃねぇさ。  せいぜい、“死ににくくなるための練習”だ。」


 レイモンドの声は淡々としていたが、その目は笑っていなかった。


「復讐なんて言葉を口にすると、たいがい失敗する。  だから、そう言葉にしなくていい。  ただ、“もう二度と同じ事を起こさせない”ってとこから始めりゃいい。」


 テントの入口から少し顔をのぞかせていたサムが、肩をすくめた。


「“死ににくくなる練習”なら、俺も付き合うわ。  子供の数、減らしたくないしな。」


「センサーと線の話は、私が手伝う。」


 ソフィアが外から声をかける。


「向こうの“目ん玉”がどこ見てるかくらいは、教えられる。」


「怪我したら俺の仕事が増えるからな。」


 マイクが包帯を結びながら、ぶっきらぼうに付け足した。


「最初から変な転び方はしないでくれ。」


 イリヤは、ゆっくりと顔を上げた。


「……教えてくれるのか。」


「俺が知ってる分だけな。」


 レイモンドは肩をすくめた。


「義体兵みたいに動けってのは無理だ。  でも、線のこちら側で生き延びるコツぐらいは教えられる。」


 カイが、短く息を吐いた。


「俺もやる。」


「お前は最初からやる顔してた。」


 レイモンドは笑い、イリヤに視線を戻した。


「イリヤ。お前は?」


「……やる。」


 言葉にした瞬間、胸のどこかで何かが決まった。


「水運びだけのまま、終わりたくない。」


「よし。」


 レイモンドは、テントの外をちらりと見やった。


「じゃあ明日、水場の仕事がひと段落したら来い。  お前らに、先に見せておくもんがある。」


「見せておくもん?」


「“向こう側の人間”だ。」


 イリヤとカイは、同時に目を瞬いた。


「前に話したろ。  都市の兵隊を、一人だけ生きたまま捕まえてる連中がいるって。」


「あれ、本当だったのか。」


「本当じゃなきゃ、わざわざこんな言い方しねぇよ。」


 レイモンドは口の端だけで笑った。


「お前らにとって、その顔を見てからの方がいい。  リオを撃ったのと同じ制服着て、同じ命令聞いて動いてる側の人間だ。」


 テントの外で、また「12人」の話が繰り返されている。  数字は軽く、火の粉みたいに空へ散っていく。


 イリヤは、それを聞きながら、自分の膝を握りしめた。


 12人。  プラス、1人。


 世界が数字で回っていても、リオの鍋の重さと、あのときの匂いだけは、数字にならない。


 それを抱えたまま、イリヤは静かに息を吐いた。


「……明日、行く。」

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