第2話 震える彼女と深海ランチ


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムと同時に、気怠げな声が教室に響いた。


「はい、お前ら席に戻れよー」


 数学教師の数村かずむらが、出席簿を脇に挟んで入ってくる。

 クラスメイトたちがぞろぞろと自席へ戻る中、俺、青柳 湊あおやぎ みなとはため息交じりに教科書を開いた。

 ふと隣を見ると、赤羽 雫あかばね しずくがカバンをごそごそと漁っている。出てきたのは数学の教科書とノート。


(……また出るな、グソちゃん)


 机の端に鎮座ちんざしたのは、昨日も見かけたダイオウグソクムシの「グソちゃん」グッズの文房具だ。筆箱かと思いきや、背中の甲羅がパカッと開いて修正テープが出てくる仕様らしい。


 文房具もそれなのかよ、


 と心の中でツッコミを入れる。


 授業が始まると、赤羽の様子が一変した。背筋をピンと伸ばし、黒板の数式を猛烈な勢いでノートに書き写していく。ペンの走りに迷いがない。どうやら勉強はかなり得意なようだ。 これなら心配ないか、―――そう思った矢先だった。


「じゃあここ、んー、赤羽。答えてみろ」


「ひいっ!?」


 数村かずむら先生に指名された瞬間、彼女は防衛大臣グソちゃんを胸に抱きしめ、石のように固まった。  ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がるが、膝が笑っている。


「あ、あ……う……」


 口はパクパクと金魚のように動いているのだが、声が出ていない。  クラス中の視線が彼女に集中する。沈黙が痛い。


「ん? どうした赤羽。分からんか?」先生がチョークでコツコツと黒板を叩く。


  「違う」 ――俺は心の中で否定した。


 隣の席の俺からは、彼女のノートが丸見えだった。そこには完璧な途中式と、正しい答えがすでに書き込まれている。 分かっているんだ。分かっているのに、注目を浴びたショックで喉が締まり、声が出せなくなっているだけだ。 このままじゃ、答えられないまま「授業を聞いていない生徒」扱いされてしまう。


(……見てらんねぇな) 俺は小さく息を吐くと、片手を軽く挙げて口を開いた。


「先生。赤羽さん、答え出てますよ。ノートに書いてあります」


「あ?」


「えーと、頂点の座標は……(2、-3)ですね」


 俺は赤羽のノートを覗き込み、そこに書かれた正解を読み上げた。 数村先生は眉をひそめ、黒板の答えと照らし合わせる。


「……正解だ。赤羽、分かってるなら最初から言え」


「は、はいぃ……」


 先生の視線が外れると、赤羽はへなへなと机に突っ伏した。 そして、ちらりと上目遣いで俺を見る。その瞳は、「また助けてくれた」という感謝と尊敬の念に満ちていた。

 その後も赤羽は四回ほど白目を剥いて気絶しかけたが、なんとか四時間目を乗り切り、待ちに待った昼休みがやってきた。


 チャイムが鳴るや否や、クラスの女子数人が赤羽の席へ向かった。


 「ねえ赤羽さん、一緒にお昼食べない?」


 転校生への洗礼というか、興味本位の勧誘だ。だが、彼女たちが席にたどり着いた時、そこに赤羽の姿はなかった。 代わりに置かれていたのは、グソちゃんの頭に「2号」と付いた謎の身代わり人形。


「えっ、いつの間に!?」


 早業すぎる。忍者か。


『おーい青柳ぃ!!! 飯食おうぜー!!!』


 今度は野太い声が飛んできた。クラスの陽キャ代表、黄金井輝だ。その後ろには陰キャオタクの薮下茂も控えている。 あいつらに捕まると、間違いなく面倒なことになる。俺の平穏なランチタイムが、バカと早口オタク語りで埋め尽くされてしまう。


 「悪い、ちょっと用事がある」


 俺は適当な言い訳を残し、素早く教室を脱出した。購買で争奪戦をくぐり抜け、【我が高校の名物「落花生バターパン」】を確保すると、静寂を求めて屋上へと向かう。


 屋上の扉を開けると、そこには先客がいた。 ベンチにちょこんと座り、幸せそうに弁当箱を広げている小さな背中。赤羽雫だ。俺に気づいていないようなので、屋上の端でパンをかじりながら様子を見ることにした。


 彼女の箸が持ち上げたのは、鮮やかな赤色のウィンナー。だが、形がおかしい。足が八本に広がり、耳のような突起がついている。


「……ぶふっ」


 俺は思わず吹き出した。メンダコだ。あれはタコさんウィンナーならぬ、メンダコさんウィンナーだ。  その音に、赤羽がビクリと肩を跳ねさせた。恐る恐る振り返り、俺だと気づくと警戒心は解けたようだが、小動物のように震えている。俺は苦笑しながら近づいた。


「それ……メンダコ?」


「!!」 赤羽さんがバッと顔を上げた。その瞳がキラキラと輝き出す。


「わ、わかりますか……? メンダコ……深海のアイドル……」


「いや、まあ、形は特徴的だし……」


 まさかキャラ弁ならぬ、深海生物弁とは。 よく見ると、隣のおかずもタコというよりは、足の長さ的に完全に「ダイオウイカ」の造形だ。こだわりが強すぎる。


「自分で作ったの?」


「は、はい……。早起きして……足の吸盤を、ゴマで……」  


 モジモジしながら言う姿は、普通の女子高生っぽくて可愛い。弁当の被写体さえ普通なら、確実に惚れていただろう。


「すげぇな。器用なんだ」 俺が素直に感心すると、赤羽さんは「えへへ」と照れくさそうに笑った。


 その瞬間――


 『おーい! 青柳ー! どこ行ったー!』


 階下の廊下から、黄金井のデカイ声が響いてきた。あいつ、俺を探してここまで来たのか。


「ひぃッ! ほ、捕食者……!」  


 赤羽さんがパニックを起こした。慌てて弁当の蓋を閉めようとして


 ――手が滑った。


 スローモーションのように、深海生物弁当が空中に舞う。


 俺は反射的に手を伸ばした。  ガシッ。  間一髪、空中で弁当箱をキャッチする。しかし、勢いで具材が一つだけ、コロンと転がり落ちてしまった。 黄色い玉子焼きだ。俺は空いた左手で、それをなんとか受け止める。


「セ、セーフ……」


「あ、あう……ご、ごめんなさい……!」


 真っ青になって謝る赤羽さん。俺は手の中の玉子焼きを見た。床に落としたわけじゃないし、捨てるのももったいない。


「これ、もらっていい? 戻すのもあれだし」


「えっ、でも……毒はありませんよ……」


「毒あったら困るよ」


 俺は苦笑しながら、その玉子焼きを口に放り込んだ。


 ――ん?


 口いっぱいに広がる、優しい出汁の風味と、ほんのりとした甘さ。 見た目は奇抜な深海生物ばかりだが、味は驚くほど繊細だ。


「……美味い」思わず本音が漏れる。


「これ、すごく美味いよ。料理上手なんだな、赤羽さん」


 俺がそう言うと、赤羽さんはポカンと口を開け、それからみるみるうちに顔を赤くした。頭から湯気が出そうなほど真っ赤だ。


「こ、光栄です……」 蚊の鳴くような声でそう言って、彼女は弁当箱を大事そうに抱きしめた。


 『おーい! ここかー!?』  


 ドタドタと足音が近づいてくる。黄金井だ。


「行こう。あいつに見つかると、そのメンダコもいじくり回されるぞ」


「ひぃ! に、逃げます……!」


 赤羽さんは《脱兎》のごとく立ち上がり、ペコリと俺に頭を下げると、ものすごい速さで反対側の扉へ走り去っていった。 その背中はやはり少し震えていたけれど、俺の口の中には出汁巻き卵の優しい味が残っていた。


(変な子だけど……悪いやつじゃないんだよな)


 口の中に残る出汁巻き卵の優しい余韻だけを頼りに、俺は黄金井たちの待つ騒がしい日常へと足を踏み出した。

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