第7話:三人目の共犯者
## 『優しいじゃない、わたし』
### 第7話:三人目の共犯者
裁判は、泥沼化していた。
法廷という公開の場で、建人と夏美は、互いの罪と嘘を剥き出しにして罵り合った。建人は夏美の精神的な不安定さを証拠として挙げ、夏美は建人のアリサへの執着と、過去のDVを示唆する日記を提出した。どちらの証言も、真実と嘘が巧みに織り交ぜられており、陪審員たちは混乱の極みにあった。
世間の興味は、この醜悪な「痴話喧嘩」に集中していた。そして、誰もが、ある人物の証言を待っていた。
この悲劇の中心人物、被害者である、アリサの証言を。
証言台に立ったアリサは、痛々しいほどに儚げで、美しかった。黒いシンプルなドレスに身を包み、その表情には、深い心の傷が影を落としている。
「…夏美さんから、脅迫めいた手紙や、無言電話があったのは事実です」
検察官の質問に、アリサは、か細い声で答えた。
「ですが、私は、彼女が本当に、私を殺そうとするほど憎んでいるとは、思ってもいませんでした」
彼女は、被告人席に座る夏美を一瞥した。夏美は、憎悪に顔を歪めて、アリサを睨みつけている。
「…きっと、私が、建人さんを奪ってしまうと、思い込んでしまったのでしょう。…私にも、責任の一端はあるのかもしれません」
その、あまりにも健気で、寛大な言葉。
傍聴席から、同情のため息が漏れた。
次に、弁護側の質問が始まった。建人の弁護士が、核心を突く。
「証人は、建人さんがこの事件を主導したと思いますか?」
アリサは、少しの間、逡巡した。そして、被告人席の建人を見た。彼の目は、まるで迷子の子供のように、助けを求めてアリサに注がれていた。
アリサは、静かに、そしてゆっくりと、首を横に振った。
「…いいえ。彼が、そんなことをする人だとは、到底思えません」
「なっ…!」
今度は、夏美の弁護士が声を上げた。
「彼は…優しい人です」
アリサの瞳が、潤んだ。
「優しすぎて…優柔不断なところはありました。でも、人を傷つけたり、ましてや殺人のような計画を立てるなんて…。彼は、ただ、奥様を愛するあまり、パニックになってしまっただけなのだと…私は、そう信じています」
それは、決定的な証言だった。
被害者本人が、夫の無実(に近いこと)を証言したのだ。
法廷の空気は、一気に「暴走した妻と、それに巻き込まれた可哀想な夫と被害者」という構図に傾いていった。夏美の叫びは、もはや嫉妬に狂った女の、虚しい悪あがきにしか聞こえなかった。
---
数週間後、判決が下された。
夏美は、傷害と死体遺棄の罪で、実刑判決。
建人は、死体遺棄の罪で、執行猶予付きの有罪判決。
法廷に、夏美の絶叫が響き渡った。
「嘘つき! あなたたちが、私を嵌めたのよ!」
刑務官に取り押さえられながら、彼女はアリサと建人を睨みつけた。
建人は、安堵の表情で、深く頭を下げていた。アリサは、ハンカチで目元を覆い、静かに涙を流している。
その夜。
都内のホテルのバーで、アリサと建人は、二人きりで祝杯をあげていた。
「…本当に、ありがとう、アリSAさん」
建人は、何度も頭を下げた。
「君が、あんな風に証言してくれなかったら、僕は今頃…」
「いいのよ」
アリサは、優しく微笑んだ。
「あなたは、悪くないもの。悪いのは、全部、夏美さんだったんだから」
その、聖母のような微笑みに、建人の心は、完全に溶かされていた。彼は、この数ヶ月の悪夢が、ようやく終わったのだと、心から安堵していた。
「これからは、僕が君を守るよ。一生かけて、償っていくから」
建人は、アリサの手を、固く握りしめた。
アリサは、その手を、振り払うことはなかった。
ただ、その完璧な微笑みの裏で、彼女の瞳の奥が、氷のように冷たく、光っているのを、建人は気づかなかった。
(…そう。償ってもらうわ)
(これから、始まるのよ)
(夏美は、刑務所という、安全な場所へ)
(そして、あなたは…)
(私という、決して逃げられない、地獄へ)
アリサの脳裏には、友人であるエリカの、冷静な声が響いていた。
『裁判で、建人を擁護しなさい。そうすれば、彼は完全にあなたを信じ、あなたの支配下に置かれる。…本当の復讐は、そこから始まるのよ』
アリサは、建人の手を、優しく握り返した。
その手は、これから始まる、本当の地獄への、甘い招待状だった。
建人は、まだ知らない。
夏美は、たった一人の「共犯者」だった。
しかし、自分はこれから、アリサ、エリ、そして、この計画の本当の設計者であるエリカという、**三人**の共犯者が作り上げた、完璧な地獄の中で、永遠に生きていくことになるのだということを。
**(第7話 完)**
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