第34話


 先般、私は進化したことにより気配低減及び気配察知能力を手に入れた。


 だが、そもそも、これら名称内の『気配』とは何か。


 私は魔素だと思う。


 何故そう思うに至ったか。


 転生してから魔素の味に親しんできたせいか魔素の匂い 


 ―― 『魔味』に対応させるなら『魔臭』か? ―― に関しても


 他の匂いと弁別し漠然とではあるが認識できるようになってきた。


 確か匂いというのは空気中に漂う分子だという曖昧な知識が残っている。


 この世界の魔物のみならず動植物も保有する魔素。


 おそらく、それは生命体の呼気や体表面などより微粒子として発散されており


 自身の体からのものを抑えるのが低減能力


 範囲内の一定濃度もしくは何らかの条件に合致した魔素

 

 を感知し表示するのが察知能力なのではなかろうか。


 そう仮定するならここでいう『気配』と魔素の匂いは


 ほぼ同じものと考えてよいのかもしれない。


 だが、何故唐突に気配に関する考察を自らに開陳し始めたかというと


 気配察知能力と鼻で感じ取れる魔素に齟齬が見られるからだ。


 現在、森の中を逃走中なのだが


 しばらく前から若干ではあるが魔素の臭いが強まった気がする。


 立ち止まっても速足になってもその濃度が変わらない。


 だが脳内の気配レーダー上ではその前後で特に大きな変化は見られない。


 ここから考えられることは、レーダー範囲外に一定の距離を常に保ちつつ


 私についてきている何かがいるということだ。


 人か魔物か。何が目的だ。


 監視か襲撃のタイミングを見計らっているのか。


 さて、どうする?


 一度、凶悪な魔物がいる森の中層、深層のある西へ向かってみるか。


 モンスターだろうが人だろうが危険を避けてついてはくるまい。


 進路を西に取り歩き始める。


 私の挙動の変化に何の反応も見せないのは実に不気味だ。


 やがて森の中に、成人男性の胸下あたりまで伸びた植物の生い茂る草原が現れた。

 

 隠れながら進むには丁度いいかと立ち入ろうとした足が止まる。


 イメージとしては背丈の低いトウモロコシ畑の上から


 上半身だけの案山子のようなものが二つ ――


 いや、動いた。あれは人間だ。


 かなり前、小道を横切るため見送った二人組ではないか。


 間を大きく開けて立っており一人は禿頭、もう一人は顎鬚と頬髯の目立つ男。


 鼠一匹たりとも見逃さないという気迫に満ちた様子で辺りを見回している。


 あれでは通れない。再び北上する。


 あの二人の存在で私を尾行しているのは人間である可能性は高まった。


 頬に汗の流れるような感覚を覚えながら歩いてゆくと


 今度は節くれだち曲がりくねった大木の密集しているのが見えてきた。

 

 あの中に飛び込めば撒けるかもしれない。


 その時、突然の風切り音と土を穿つ音。


 下を見ると踏み出そうとした左足のすぐ先の地面に刺さる一本の矢。

 

 次に左側をかすめる二の矢。


 見上げると枝上に弓を構えるウェーブのかかった髪の女性。


 呆気にとられる私の左肩に何かがぶつかる。


 ガラスが割れる音と同時に体が薄紫色の水に濡れた。


 もしや毒か。いや、色付きの液体はまずい。


 木陰で動くあの人物が投げたのかなどと考えている暇はない。


 苛烈になった矢の雨から逃れるため右手方向へ


 枝葉が体に当たり揺れるなど気にせずひた走る。


 移動中の光学迷彩など無いも同然。


 悪あがきのわずかな蛇行さえ飛来する矢や投げナイフに阻まれる。


 追跡者たちの魔臭が徐々に濃さを増している。


 包囲網が狭まっているのか。いや、違う。囲みに一か所だけ穴を開け


 そこへと追い込まれているのだ。


 高速で後ろに流れていく森の景色、そして前面に立ちふさがる暗緑の茂みを


 かき分け外へと飛び出した。


 そんな私を待っていたのは、巨大な火球。


 炎と呼ぶことさえ生ぬるい。


 高温の溶けた鉄か、はたまた煮えたぎるマグマか。


 そばに立っているだけでも圧倒される熱気と殺意。


 骨肉どころか魂までも滅却せんばかりの地獄の業火を凌駕する破壊の権化。


 掲げた右掌の上でそれを蠢かす黒髪の少女の無感情な双眸。


 血の気が引いた。


 音もなく少女の右腕が軽やかに振り下ろされる。


 紅蓮に輝く悪魔が私に襲い掛かる。


 



 こんな所で殺されてたまるか!


 心からの絶叫に本能は反射的に答えた。


 生存のため、全身の筋繊維という筋繊維を引き絞り


 尻尾の先端、手足の指先、あらゆる末端に走る毛細血管一本一本から


 魔素を吸い上げる。


 それらは胴体内の臓器、心臓、頸動脈を経由し口腔内に集中していく。


 体内の全細胞が擦切れそうなほど素早く掻き集められ凝縮し


 眩い光を発する。


 赤熱の球体が私を吞み込まんとしたその時、あぎとが自然と開き、それは放たれた。


 吹きすさぶ氷雪、白銀の奔流 ――


 極低温と極高温、大出力の魔力と魔力のぶつかり合い。


 耳障りな雑音と無数のスパークが周囲を暴れ回ったその刹那


 轟音が響き渡り、爆風、そして濃密な水蒸気が一帯に吹き荒れた。


 男と女の悲鳴が入り混じる中、白一色の視界を必死に探る。


 立ち込める靄のわずかな切れ目から覗く穏やかな水面。


 一縷の望みに賭けて私は走り出す。


 気配察知を活用し人間たちの隙間を縫い、両腕、両脚を振りに振り


 濃霧を抜け出た先に現れた川岸を踏切版に見立てて強く蹴った。


 時がゆっくりと流れるような感覚の中、美しく弧を描き飛び込んだ私の体は


 直後、激しい衝撃とともに水底へと沈んでいった。




 深く、深く、ただ、深く ――





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る