第2章 第2話 ギルドの影と、微かな異常

 探検家ギルドの内部は、使い込まれた木の匂いと、鼻を突く機械油の香りが入り混じった、いつもの“生きた空気”に満ちていた。それは、静かな活気とどこか殺伐とした熱気が同居する、この街特有の体温だった。


 ハクトはカウンターの隅で、淡々と物資の整理を行っていた。その視線の先では、ギルドが誇る査定士たちが、持ち込まれた発条石を一つひとつ慎重に検分している。彼らは高度な計器を使うまでもなく、ただ石に指を触れ、その震え方の微かな差異を感じ取るだけで、瞬時に取引価格を決めていく。この街の日常は、電力という近代のエネルギーと、発条石という古代の鼓動が、決して混ざり合うことなく、かといって反発しすぎることもない、どこか乾いた均衡の上に成り立っていた。


 そこへ、遺跡技術研究局から派遣された助手が足早に現れた。彼は事務的な手つきで書類を提示すると、ギルドがストックしていた最高純度の発条石の塊を、文字通り根こそぎ、大量に購入していった。

 伝票に記された取引額が、一瞬にして跳ね上がる。一般の探検家たちが一生を費やしても目にすることのない、あまりに桁違いな数字。その羅列を目の当たりにして、ハクトの胸の奥には、重苦しい沈黙が広がった。


(ギユウ君が泥にまみれ、何日もかけて必死に集めたあのクズ石とは、比べるまでもないんやな……)

 ギユウの瞳に宿る、純粋な探求心は本物だ。けれど、この世界が突きつける「金と技術の壁」というものは、いつだって無情で残酷だった。ハクトの脳裏に、かつてギユウが熱を込めて語ってくれた、自作の小型ロボットの話が蘇る。あの小さな部品一つひとつに込められた情熱も、国家規模の潤沢な資金と、最新の研究設備の前では、あまりに無力で儚いものに思えてならなかった。


 その頃、街の喧騒から隔絶された遺跡技術研究局の解析室は、重苦しい失敗の気配に支配されていた。

 タカセ博士は、巨大なモニタに投影された「墨脈回路」のデータを凝視し、苦々しく目を細めていた。数多の最新技術を投じてもなお、その核心部分は依然として沈黙を保ったままである。

 事態が動いたのは、助手が投入量を調整するために、あの巨大な「黒い箱」を持ち上げた時だった。タカセは、箱の表面に付着した、ごくわずかな赤い粒子に気づいた。


 それは、ギユウが蔵で箱を発見した際、負った擦り傷から滴り落ちた、すでに乾ききった血の跡だった。

 タカセ博士の瞳が、驚愕に硬直する。

 過去の遺跡調査においても、発掘者の血が遺物に付着することなど珍しいことではなかった。通常、古代の墨脈回路と現代の電力システムは、決定的な非互換性を持っている。その不一致が、回路全体に高密度の静的ノイズの壁を張り巡らせ、現代技術による解析を阻む鉄壁の防壁となっているはずだった。


 ところが、その血の粒子が回路の接点に触れた瞬間、墨脈回路が深く、そして不規則に震え始めたのである。

「……この反応は?」

 背後でトモエが、信じられないものを見るような声を上げた。

 鉄壁であったはずの墨脈回路の壁。それが、静的ノイズのわずかな隙間に、“血という生体情報”を“第三の媒介”として、一瞬だけピタリと嵌め込んでしまった。


 それは決して、動力の正常な起動などではない。古代の技術体系ですら想定していなかったであろう、極めて不純で、しかし奇跡的な、回路の「揺らぎ」だった。

「レオ、電源系統を見て! 墨脈の反応が異常に跳ね上がっているわ!」

 トモエの鋭い声が解析室に響き渡る。


 血が持つ固有の生体情報――その微細な揺らぎは、箱の内部に深く眠っていた古代の残留思念に対し、意図せぬ“共振”を引き起こしていた。

 不意に、研究所の照明が激しく瞬き、電源系統に異常な負荷が跳ね上がる。

 レオが緊急対応のためにコンソールへ駆けつけた、そのわずか一瞬のことだった。


 現代電力が生み出す不安定なノイズと、解析のために投入された発条石の強烈な鼓動が、計算不能な確率で重なり合った。その結果、古代の墨脈回路と現代のAI回路が、物理的・論理的な防壁を越えて、ほんの数フレームの間だけ、奇跡的に繋がってしまったのである。


 パッ、と。

 モニタが真っ白に弾け、タカセ博士が反射的に顔を覆う。その刹那、現代の電磁波に巧みに擬態した「異常な信号」が、スーパーコンピュータを、まるですり抜けるように通過していった。

 放たれた信号は、街の地下に張り巡らされた電力線や、空に浮かぶ浮遊都市の広大な通信網へと瞬く間に拡散した。その異常は、街のあちこちに配置された古代カラクリたちの墨脈回路にも波及し、地下深層に眠る未知の遺構にまで、不穏な波紋を広げていった。

 研究局は、嵐が去った後のような、言葉を失った静寂に包まれた。

 誰一人として動くことができない。

 まるで、この世界全体が、血という不純物から始まった“現象”の行く末を、静かに、そして息を呑んで見守っているかのようだった。

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