第8話 私とデバックモードを体験してみよう 1/2

「昼前に出勤とは、かぁー。いい御身分ですな。開発リーダー殿」


 昼前に目を覚ました俺は、冷や汗をかきながらプロジェクトルームに走った。

 部屋に入った瞬間、プロジェクトマネージャの屑原に呼ばれて、会議室で、たっぷり、ねちねちと嫌味を言われている状況にある。


 こういうときは鬼の首をとったように言ってきやがる。


 ほんと性格悪いな、こいつ。

 見上げると、屑原の嫌味な顔が見えた。


 にやにやと俺のことを見下してくる。


 だが、俺も起きたら11時半でした。


 などという新入社員でもやらないようなミスをしたため、何も言えない。

 黙って、屈辱に耐える。


「目覚まし時計の設定方法はわかりますかな?開発リーダー殿」


 しかし、いつまでこのいびりが続くんだよ、クソが。


 だいたい目覚ましは鳴っていた。

 だが魔力がゼロになったときのブラックアウトは、眠気で寝てしまったときよりは、泥酔したときの気絶に近いようで、まったく気が付かなかったのだ。


 数十人は入れそうな会議室に、屑原と俺ふたりきりで、説教を受けているという状況。まあ、緊張感のある状況というやつだ。

 当然俺は立たされており、屑原のやつは偉そうに腰かけている。

 と、その時。


「デイリーミッション4日目だよー!」


 お気楽な声が鳴り響いた。


 場違い感半端ないが、残念なことにこの声は俺にしか聞こえていないのだ。

 思わず反応しそうになるのをぐっと堪える。


「昨日はあえてミッション出さなかったので今日が4日目なんだよー!」


 意外と柔軟なデイリーミッションに破顔しそうになるが、屑原の手前、そんなことはできない。

 顔をしっかりと引き締める。


 一応、屑原の顔をみるが、憎たらしいニヤニヤは全く変わっていない。エフィの声は聞こえていないという証拠だ。

 べらべらとお説教が続けられている。


「みてみて、みてー」


 エフィがなぜか羽を生やして、俺の視界内をぶんぶん飛んでいる。

 めちゃくちゃ気になるが、ここで声でもあげようなら、余計に説教時間が長引くだけだ。


 それか幻覚でもみていて、酒か、やばい薬でもやっているなどと、大きな問題にされそうな気もする。


 いや、こいつならやる。

 昨夜の恨みも忘れていないだろう。


 屑原のやつのお説教は、全く聞いていなかったがどうせ大したことは言っていまい。

 俺は、タイミングを見て、喉から絞り出すような声でいった。


「すみません。今後気を付けます……」


 もちろん表面だけの演技。


「顛末書を書け。原因と対策をレポートにして送れ。我々も示しがつかないんでね。君のところの営業にもクレームいれとくのでそのつもりで。本来なら契約打ち切りだが、この寛大な措置に感謝したまえ」


 お前こそ、事前計画なしに仕事を受けて、俺たち開発メンバーを徹夜仕事させるということを繰り返していることについて、原因と対策をレポートにしてまとめろ。と言い返したくなるのをなんとか耐えて、しぶしぶ承諾した。


 ようやく説教から解放される。

 まじでうざかった。


 自分のミスは誤魔化すくせに人のミスにはとことん厳しいな。

 

 はあ。

 辞めたい。


 ◆


 説教が長引きすぎて、すっかり昼休みになっている。


 みんな、昼飯に出かけたのだろう、プロジェクトルーム内は、がらんとしていて、ほぼ誰もいなくなっている。

 数名、机の上で爆睡しているやつもいるけど。


 この隙を見計らって、無視したのが響いているのか、口を尖らせて拗ねているエフィに小声で話しかける。


『んで、今日のデイリーミッションの内容ってなんなんだ?』


 チャットで問うと、パッとエフィが顔を輝かせる。


 ほんと、こいつ、俺にデイリーミッション受けたがらせるよな。

 俺がミッションコンプリートすると、こいつにとって利益でもあるのかね。


「それは、私とデバックモードを体験してみよう。です」


 毎回思うのだが、いちいちミッション内容に「私」を入れてくるあたり、かなり自己顕示欲が強いことを感じる。

 ちなみにエフィの声は脳内に響くのでチャットの必要はない。チャット上は俺が一方的に書いているだけだ。

 エフィ自体は、俺の視界内にいたり、スマホにいたり、移動している。


『なんだそりゃ』

「実行、デバッグモードって言ってください」

『……チャットでは?』

「魔法プログラムの実行は、口で言う必要があります」


 仕方ない。囁くような小声でいう。


「実行、デバッグモード」


 俺の視界に見える世界が溶けるように変わっていく。


 世界は、緑色のグリッドで覆われ、視点の先に現れるフォーカスポイントが光だけでなく、座標のような数字やオブジェクト名が表示される。


 オブジェクト名とは、たとえば窓をみると、窓と表示され、椅子をみれば椅子と表示される感じだ。それらの位置が、俺を0としたときの相対的な位置として、数字表示されているのが座標とおもわれるものだ。


「さてクイズです!なぜ私は飛べるでしょうか?」


 エフィが再び、どや顔で俺の前に立った。腰に手を当てているポーズ。

 当然俺にしか見えていない。


「そりゃ、羽生えてるからだろ」と応えようとして、


 遮られた。


「沢木さん、デバッグモードってなんすか笑」


 どうも俺の小声を聞きつけたらしい、隣の席で寝ていたはずの小太りの後輩、高井戸がからかってきた。

 突然のことに一瞬固まるが、なんとか笑みを浮かべて適当なことを返す。


「い、いや、ついな。昔こんなことを言いながらコード書いてたなって」

「必殺技みたいですね。沢木さん、昨日まじ飲みすぎですよ、昼休みは休んだほうがいいっすよ」


 そういうと後輩は再び眠りの姿勢に入った。


 ……あぶねえ。


 深く追求されなくてよかった。

 やっぱり、外でエフィと話すのはきついんだよな。

 はあ。


「また無視!?」

『いやいや、色々あるんだよ。人間にはさ』


 そういうがどうやら、エフィは気を悪くしたらしく出てこなくなる。

 めんどくせえ!お前は人間の女か。そういうところはエミュレートしなくていいんだよ。


 ……そういえば、デバッグモードを消し方がわからない。


『エフィ、デバッグモードどうやって辞められるんだ?』

「……」

『おい、エフィ!!!』


 こ、こいつ、拗ねてやがる。

 エフィは、ぷいっと顔を背けると俺の視界から出て行ってしまった。


『お、おい!おーい』


 チャット上にて、土下座スタンプを連打で送るが、既読にすらならない。

 こ、この小娘……。


 小声で試す。

 停止、デバッグモード。

 デバッグモードは止まらない。

 

 呪文が違うようだ。

 

 さらに終了、デバッグモード。などと適当に思いつく呪文を唱えるが、一向にデバッグモードが解除されない。


 ああ、今日1日中このグリッドの世界で過ごすっていうのかよ。

 情報があちこち入ってきて気になるんだよな。


 パソコンの画面を見ているだけでも、PCの産地や、解像度など余計な情報を拾ってしまい、注意が散漫になる。

 これなんとか、不要情報を非表示にできるフィルターみたいな機能はないかな。


「あ、沢木さん!大丈夫でしたか!」


 軽やかな鈴の音のような声。


 美宮さんがコンビニの袋、片手に駆け寄ってきた。


 美しい長い髪を揺らし、嬉しそうに駆け寄ってくる。

 間近でふわりと香る、華の匂いにどきりとする。


「美宮さん、どうかしたんですか?」


 とっさに俺は彼女の方向をみてーーデバッグしてしまった。


 思わず硬直する。


 Entity: Yoshimiya Suzu 

 {Property: 23歳、160cm、46kg、88-59-65 }

 {Status: ???}


 いけないものを見てしまった感がある。


 俺は目を隠すように、頭を抱えるが、もう見てしまったものは仕方ない。

 なんというスタイル。


「私心配してたんですよ。まさか沢木さんが無断遅刻だったんで昨日飲み過ぎました?……屑原係長のお説教終わりました? あれ、どうかしました?」

「……いや。まあ、なんとか終わりましたね」

「これ、おにぎりです。お昼ご飯まだですよね」


 とコンビニの袋を俺に差し出してきた。一緒にコーヒーもくれる。


「マジですか!ありがとうございます」

「こちらこそ、昨日は本当にありがとうございました」

 

 まじ女神。


 美宮さんの情報をみてしまったのは不可抗力というやつだ。

 狙ったわけじゃない。

 っていうか。結構あるな。


 ……身長がね。


 彼女は空いていた隣の席に腰かけ、お弁当を広げている。

 どうも一緒に食べようとしているらしい。


「……美宮さんのお弁当もうまそうですね」

「えへへ、そうですよね。おかずいります?」


 思わず、その笑顔に吸い込まれそうになり、目をそらすと胸の方をまた見てしまった。


 88。


「!」

 まったく慌てたわけではないのだが、俺はうっかり、コーヒーをこぼしてしまい、袖にシミができてしまった。


「沢木さん、大丈夫ですか」


 美宮さんが咳き込む俺に、おしぼりを差し出してくれた。

 だめだ。デバッグモード本当に余計な情報を出してきやがる。


「これはこれは沢木殿」


 その時だった。俺の説教の後もしばらく会議室に籠っていた屑原が部屋から出てきた。

 そして、俺たち二人が仲良く並んでお弁当を広げているのを見て、顔色が一変したのだ。

 つかつかと、激しい足音を立てて、こちらに歩んでくる。


 



 

 

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