第13話:最後の獣性、無慈悲な鎮圧
## エピソード:最後の獣性、無慈悲な鎮圧
### 壊れた人形の絶叫
建人の、あまりにも醜悪で、見え透いた芝居。
そして、ありさの、悪魔のように冷たい囁き。
夏美の頭の中で、張り詰めていた最後の糸が、ぷつりと切れた。恐怖、罪悪感、そして夫への絶望的な軽蔑。それら全てが、沸騰した憎悪となって、ただ一点、目の前の女に向けられた。
(化け物…)
(この女が、すべてを狂わせた…)
(この女さえいなければ…!)
もはや、そこに理性はなかった。残っていたのは、追い詰められた獣が、死を覚悟で見せる、最後の攻撃本能だけだった。
**「うわあああああ! 死にやがれ! 化け物がぁ―――っ!!」**
金切り声と共に、夏美はありさに襲いかかった。黒い喪服の袖が乱れ、その指先は鉤爪のように歪んでいる。彼女は、ありさの喉笛に食らいつかんばかりの勢いで、その華奢な身体に飛びかかった。
参列者たちから、悲鳴が上がる。誰もが、血を見ることになると覚悟した。
### 舞うような、あしらい
しかし、その凄惨な光景は、訪れなかった。
ありさは、その狂乱の突進を、まるでスローモーション映像でも見るかのように、冷静に見つめていた。そして、夏美がその身体に触れる寸前、
すっ、と。
舞うように、ただ半身を引いただけだった。
夏美は勢い余って、ありさがいた空間を通り過ぎ、数歩よろめく。体勢を立て直そうと振り返った夏美が振り上げた手の、その手首を、ありさは、いとも容易く、背後から掴み取った。
力任せではない。関節の動きを正確に読み、最小限の力で、最大の効果を生む、流れるような動き。
「――っ!?」
夏美の腕は、ありさの華奢な指に捕らえられ、まるで鋼鉄の万力で締め上げられたかのように、ぴくりとも動かなかった。
### 冷え切った問いかけ
ありさは、掴んだ手首を捻り上げるでもなく、ただ、静かに、夏美を自分の方へと引き寄せた。そして、暴れることもできずに喘ぐ夏美の顔を、心底、不可解なものを見るかのような、冷え切った瞳で覗き込んだ。
彼女は、少しだけ小首を傾げた。その仕草は、純粋な疑問を投げかけるようでありながら、相手を人間として見ていないかのような、無機質な残酷さを宿していた。
**「…なんなの?」**
その声は、平坦で、何の感情も乗っていなかった。
それは「どうしてこんなことをするの?」という問いではない。
「あなたという生き物は、一体何?」
「この、意味のない行動は、何?」
という、理解不能な物体に対する、純粋な分析者のような問いかけだった。
夏美の狂気と激情は、そのたった一言で、まるで冷水を浴びせられたかのように、急速に萎んでいく。自分の全てを懸けた、最後の獣性が、赤子の手をひねるように、軽くいなされた。そして、返ってきたのは、人間に対するものではない、虫けらか何かを見るような、無感情な問い。
これ以上の屈辱はなかった。
これ以上の絶望はなかった。
建人は、ただ腰を抜かし、二人の女の、あまりにも不均衡な対峙を、呆然と見つめるだけだった。
参列者たちは、息を呑んでその異様な光景を見守る。
夏美は、捕らえられた腕の痛みよりも、ありさのその冷え切った瞳がもたらす心の痛みによって、完全に、戦意を喪失した。
彼女は、ただ、自分を支配する「化け物」の前に、捕らえられた獲物として、なすすべもなく立ち尽くすしかなかった。
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