第27話:『天才的なる混乱――「不器用な令嬢」の舞踏と、隣国王子の誤解』

ゼフィルスの港は、かつてないほどの活気に満ち溢れていた。 色とりどりの旗を掲げた船がひしめき合い、異国の言葉が飛び交い、スパイスや香木の匂いが潮風と混じり合う。独立経済特区となったゼフィルスは、わずか数ヶ月で、世界中の商人の羨望の的となっていた。


その日、港に一際豪華な船が接岸した。 隣国アークランドの第一王子、カイト・フォン・アークランドが視察に訪れるのだ。彼は若くして卓越した商才を持ち、「冷徹な戦略家」として知られていた。


「エリエット様! 王子殿下の船が到着いたしました! 大至急、歓迎の挨拶を!」


テオの声が、領主館の執務室に響き渡った。 しかし、エリエットは目の前の惨状に、頭を抱えていた。


「……ない。ないわ、テオ! 昨日徹夜で書いたはずの、あの『アークランド王子への歓迎スピーチ原稿』がどこにもないの! 白い羊皮紙に、金色のインクで書いたはずなんだけど……」


机の上には、未整理の契約書、領民からの進言書、そしてなぜか食べかけの干し肉が散乱している。 エリエットは、普段から「注意力のなさ」を自覚しているが、こういう肝心な時に限って、その特性が牙を剥く。


「お嬢様、落ち着いてください。先ほど、お嬢様が『この紙、大事だから特別に目立つところに置いておくわ!』と言って、鉢植えの下に敷いていらっしゃいましたよ」


「ええっ!?」


エリエットは、慌てて部屋の隅に置かれた、植木鉢を持ち上げた。 案の定、その下から、金色のインクが輝く羊皮紙が、土に少しだけ汚れて顔を出した。


「ああ、あった! よかった、これさえあれば……」


その時、応接室の扉がノックされ、テオが焦った声を出す。


「エリエット様、カイト王子殿下が、もうこちらへ向かわれていらっしゃいます!」


「なんですってぇぇええっ!?」


エリエットは、焦りのあまり、羊皮紙を片手に、足元に散らばった書類の山を飛び越えようとした。 しかし、運悪く、床に転がっていた魔法理論書につまずき、盛大に転びそうになる。


「きゃあっ!」


体勢を立て直そうと、腕を大きく振り、足はまるで滑るように複雑なステップを踏んだ。 その時、執務室の扉が静かに開かれた。 そこに立っていたのは、透き通るような青い瞳と、銀色の髪を持つ若き美丈夫――カイト王子だった。 彼の傍らには、冷徹な表情の護衛騎士が控えている。


カイト王子の青い瞳が、エリエットの、まるで予測不能な「舞踏」のような動きを捉えた。


エリエットは、転びそうになった勢いのまま、宙に浮いた左手で金色の羊皮紙を掲げ、右足は勢い余って大きく蹴り上がり、くるりと一回転。そのまま、床に散らばる書類の山をまるで避けるように、華麗に着地した。


「……あ、あの……はじめまして、アークランド王子殿下。ゼフィルス領主、エリエット・アルスターにございます……」


息を切らし、顔を紅潮させたエリエットの姿に、カイト王子は瞠目した。 彼の口元に、冷徹な戦略家らしからぬ、驚きと、そしてどこか陶酔したような笑みが浮かぶ。


「……素晴らしい。まさか、このような歓迎が用意されているとは。ゼフィルス領主殿、まさか、これがあなた様の『歓迎の儀式』なのですか?」


「え? 儀式……?」


エリエットは、自分が転びそうになっただけだとは、口が裂けても言えなかった。 (だって、王子様、なんだか目をキラキラさせてる……)


「ええ、その……これは、我がゼフィルス領に代々伝わる『自由と創造の舞踏』でございます。王族の方々への、最高の敬意と、そして我が領の未来への情熱を表現する、特別な舞」


エリエットは咄嗟に嘘をついた。彼女の「注意力散漫」な頭脳は、ピンチの時にだけ、驚くべき速さで架空の設定を捏造する。


「なるほど……! あなた様は、既存の概念に囚われない、型破りな御方だと伺ってはおりましたが、これほどとは……!」


カイト王子は、感動に打ち震えるように、一歩エリエットに近づいた。 彼の青い瞳は、エリエットの「不器用な動き」の裏に隠された「天才性」を見出そうと、強く輝いている。


「その、先ほどの舞には、どのような意味が込められているのでしょう? 特に、あの書類の山を飛び越えるような、あの複雑なステップは……」


(あれは単なるつまずきですが……)


エリエットは、頭の中で必死に意味をこじつける。


「……あれは、ゼフィルス領が抱える『旧弊な慣習』や『積み重なった困難』を、軽やかに乗り越え、新しい未来へと飛び立つ『挑戦』のステップでございます。そして、この手に掲げた羊皮紙は……」


エリエットは、泥で少し汚れた歓迎スピーチ原稿を、まるで秘宝のように高く掲げた。


「この羊皮紙は、我が領が掲げる『透明性と、世界との対話』を象徴しております。些細な汚れも隠さず、ありのままの姿で、真摯に交流を求める――それがゼフィルスの精神です」


カイト王子は、感動のあまり、震える声で呟いた。


「……恐れ入りました。噂に違わぬ、天才的なる発想……! 私はこれまで、様々な国の要人と会ってきましたが、あなた様ほど、己の理念を全身で表現する方は見たことがない。……まるで、社交界のルールさえも、あなた様の手にかかれば、一つの芸術になってしまうかのようだ」


「あ、ありがとうございます……」


エリエットは、汗をダラダラと流しながらも、内心ではガッツポーズをしていた。 (まさか、転びそうになっただけなのに、こんなに褒められるなんて……! 私の『不器用さ』が、こんな形で役に立つとは!)


「ゼフィルス領主殿。あなたのその『自由と創造の舞踏』。もし差し支えなければ、ぜひアークランドの宮廷でも披露していただきたい。きっと、我が国の社交界に、新しい風を巻き起こすでしょう」


カイト王子の瞳は、エリエットの「無意識の奇行」の全てを「計算され尽くした芸術」だと誤解し、もはや盲信に近い熱狂を帯びていた。


「ええ、喜んで……! では、まずはこの汚れた机の上を片付けさせていただければ……」


エリエットは、慌てて机上の書類を異空間倉庫へ放り込もうとした。 しかし、その動きさえも、カイト王子には「一瞬で空間を操る、類稀なる能力」として映った。


「おお……! 今の動きは、まさか空間魔法の応用! 物を収納するのではなく、まるで空間そのものを操って、一瞬で状況を整理する……。あなた様の才能は、私の想像を遥かに超えている!」


カイト王子は、その場で恭しく一礼した。 彼の護衛騎士さえ、主のただならぬ興奮に、戸惑いを隠せない表情で立っている。


「ゼフィルス領主殿。私の求めていた『新しい時代の盟友』は、あなた様のような御方です。……どうか、アークランドとゼフィルスの未来を、共に創造してはいただけませんか?」


差し出された王子の手は、エリエットの泥だらけの手を、まるで宝物のように優しく包み込んだ。 ミントの香りがするネペタの花々が、テラスからひっそりと、この奇妙な「外交」を見守っている。


(私の『注意力散漫』と『不器用さ』が、まさかこんな形で……! これ、どこまで通用するんだろう……!)


エリエットの心は、歓喜と、少しばかりの罪悪感、そして無限の可能性で満たされていた。 不器用な彼女の行動は、次々と新しい誤解を生み、そしてその誤解が、世界に「エリエット・アルスター」という名の新しいトレンドを巻き起こしていくのだ。


「ええ、喜んで! アークランド王子殿下。……ゼフィルスの『自由と創造の舞踏』は、これからが本番でございますわ!」


エリエットは、満面の笑みで答えた。 彼女の「奇妙な動き」が、アークランド宮廷の社交界で、新たな「最先端のダンス」として流行する日も、そう遠くはないだろう。


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