第10話:異世界インフレと戦略転換

第10話:異世界インフレと戦略転換


午前の柔らかい光が、ゼフィルスの市場の木製屋台を金色に染める。鉱石や希少素材、乾燥ハーブの香りが混ざり合い、微かな埃の匂いが鼻をくすぐる。エリエットは市場の一角で、品出しの確認をしていた。


「……やっぱり、この量をこのまま流通させると、都市の価格が跳ね上がりすぎるわね」

手元の帳簿に目を落とし、鉛筆で数字をなぞる。感覚過敏のせいか、周囲の市場の喧騒、叫ぶ声や馬車の車輪の音までが頭に突き刺さる。だが、集中力は途切れない。情報への異常な集中力が、整理整頓が苦手な自分を助ける、唯一の武器だ。


「エリエット様!」

声をかけてきたのは、財務担当の青年、セオドアだ。手には最新の出荷リストがある。

「はい、どうしたの?」

「都市の商人たちから連絡です。希少資源の価格が急騰、取引が滞りそうです」


エリエットは小さく息をつき、唇を噛む。「やっぱり……これじゃ市場が混乱する。単純に転売するだけじゃ、ゼフィルスも都市も困るわ」


彼女の頭の中で、現代知識がちらつく。衛生用品、ろ過装置、石鹸……誰もが必要とする実用品に、希少資源の価値を組み合わせれば、単なる希少品よりも持続的な利益を生み出せる。


「ねえ、セオドア。早速計画を変えましょう。単なる鉱石や魔道素材の転売はやめて、ゼフィルスの資源を使った実用商品を作るの」

青年は目を見開く。「え、でも、商品化って……」

「大丈夫、私には『品質鑑定』があるし、倉庫には無限の収納もある。私たちならできる!」

エリエットの声には迷いがなく、情熱がこもる。周囲の喧騒や埃の匂いも、今は計画の興奮に変わっていく。


それから数週間、ゼフィルスは昼も夜も活気に満ちた工房と市場に変わった。木製の作業台に石鹸の香りが立ちこめ、ろ過装置の金属と陶器の冷たさが手に伝わる。仲間たちは各自の能力を活かし、工程を分担する。エリエットは完成品を手に取り、微細な不純物や魔力残留を確認する。五感の全てが彼女の仕事を支える。


「これで完璧ね!」

「わあ、こんなにきれいに仕上がるなんて!」

お菓子作りが得意な少女リリアが微笑む。石鹸の表面を見つめ、泡立ちを確かめながら感嘆する。

「都市に送れば、きっと喜ばれるわ」

エリエットも微笑む。感覚過敏で耳が痛くても、手元の完成品の手触りや香りが、努力の証となる。


商品は瞬く間に都市で評判となった。「ゼフィルス奇跡の石鹸」「簡易ろ過装置」は、実用性と品質の高さで爆発的ヒットを記録する。市場では、街の人々の歓声や感嘆の声が響き渡り、香りと音が混ざり合い、まるでお祭りのような熱気を生む。


「こんなに売れるなんて……!」セオドアが驚きの声を上げる。

「ほら、私の仲間たち、すごいでしょ?」

エリエットは胸を張り、仲間たちの手を軽く握る。足りない部分を補う小さな共同体の力が、ここまでの成功を生み出したのだ。


だが、同時に新たなライバル商会の情報も舞い込む。都市で人気を博す商品をコピーし、価格競争を仕掛けてくるという。エリエットは眉をひそめた。「……困ったわね。でも、彼らには真似できない部分がある」


それは、品質の微細な違い。『品質鑑定』で見抜いた、本質的な付加価値だ。エリエットは仲間とともに、市場での販売戦略を練る。香りや手触り、泡立ち、見た目の美しさ……五感で感じる本物の価値を、顧客に直接訴えかける。


「ライバルは真似できないわ。だって、私たちには信頼があるもの」

彼女の声には揺るぎない自信が宿る。過去の発達特性による失敗も、感覚過敏や識字障害も、もはや恐れるものではない。仲間が補ってくれ、信頼が支えとなる。


市場で商品を手に取った人々の笑顔、香りに顔をゆるめる子供、使い心地を確かめてうなずく主婦たち……五感を通じて直接伝わる反応が、エリエットの胸を熱くする。

「……これが、私たちの力」


その夜、倉庫の奥で灯るランタンの光が、石鹸やろ過装置の金属に反射し、微かに揺れる。エリエットは深呼吸をし、手にした製品を胸元に抱きしめる。

「さあ、明日も頑張ろう。私たちは、ゼフィルスを豊かにするために、もっともっとやれる」


仲間たちは微笑み、笑い声が木造の倉庫に響き渡る。音、匂い、手触り……全てが今の幸福を物語る。発達特性で生まれた弱点も、感覚過敏も、識字障害も、ここでは一切の障害ではなく、異空間倉庫や品質鑑定とともに、彼女の最強の武器となっていた。


「……これからも、私たちのゼフィルスを、私たちの力で守るの」

エリエットの瞳には、希望と誇り、そして小さな共同体を信じる力が宿る。異世界のインフレやライバルの出現も、恐れるものではない。全てを乗り越え、時代を先取りする商品で、彼女はゼフィルスと共に成長していく。


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