現代ダンジョンのF級探索者の俺、常に美少女魔王が1m以内にいるせいで一人になれず詰んでいる。

水乃ろか

第1話 出会いは迷宮暴走と共に

 その朝、俺――灰咲はいさきマオは、いつもと変わらず初心者用ダンジョンの二階層で、スライムをハンマーで叩き潰していた。


 俺の仕事は、肩書きだけ見ればF級探索者だが、実態は『ダンジョンの掃除屋』だ。

 十八歳の探索者としては、おそらく最低ランクだろう。


 危険とはほぼ無縁。華々しさなんて欠片もない。

 ただ黙々と、ハンマーを振り下ろしてスライムを潰して回るだけの、底辺中の底辺職だ。

 

 才能もない。まともな装備を揃える金もなかった。そうした結果として、俺はこの仕事に落ち着いた。

 人付き合いが苦手な俺にとって、こうして一人きりで作業を続けられるのは、精神的に楽という点では悪くなかった。


「まあ……今日も何も起きないだろ」


 独り言を呟きながら、俺は雑魚スライムを次々と討伐し、ダンジョン内部に溜まる魔力を散らしていく。

 魔物を放置すれば、ダンジョン内の魔力はやがて飽和し、『迷宮暴走スタンピード』を引き起こす。

 

 このダンジョン清掃という仕事は、その魔力過多を防ぐための、地味だが重要な業務だ。

 

 そして何より――安全であること。


 それが、この仕事を選び続けている最大の理由だった。

 だからこそ今日も、『何も起こらずに終わる』はずだった。


 ――ピコン!


 ポケットに入れていた携帯端末スマホが鳴った瞬間、得体の知れない嫌な予感が胸をよぎった。


 「また、給料カットとか、クレームの連絡じゃないだろうな……」


 内心ビクビクしながら画面ロックを解除すると、表示されたのはダンジョン探索者用アプリだった。


 <取得アイテム:スキルカード(不明)>

 <識別エラーが発生しました>


「識別エラー? ……って、スキルカード!?」


 思わず声が漏れる。

 スキルカード。それは、俺みたいな底辺探索者が一生触ることもない、まさに夢のアイテムだ。

 

 数秒遅れて、俺は異変に気づいた。

 つい先ほど倒したスライムの残骸の跡に、ぽつんと宝箱が落ちている。


「……おいおい、初心者ダンジョンで宝箱なんて、確率何%だよ!?」


 一気に気分が高揚する。

 

 俺の仕事はダンジョン清掃。

 ダンジョン最下層を攻略するほどの実力も、希少な魔道具を狙ってレアドロップを狩る財力もない。

 ただ毎日、雑魚スライムを潰して回るだけだ。


 金にも夢にもならない。だが、生活だけはギリギリ保たれている。


 だからこそ、“宝箱”は俺にとって、ボーナスどころか“奇跡”に等しかった。

 そもそも宝箱自体が希少だ。そのうえ、初心者ダンジョンで遭遇するなんて、稀中の稀である。


 俺は慌てて宝箱に駆け寄り、蓋を開けた。

 中には、間違いなくスキルカードが収められていた。


「……スキルカード。本物だ」


 喉がごくりと鳴る。

 

 探索者なら誰もが喉から手が出るほど欲しがる希少品。

 探索者カードのスキルスロットにはめ込めば、ダンジョン限定とはいえスキルが使用可能になる。

 

 たった一枚で人生が一変すると言われている代物だ。

 

 安くても数万円。高額なものなら数億円。


 ……このスキルカードで、俺の夢が叶うかもしれない。


 俺が今まで、経験したことがない事ができる夢。


 前から、旅行というものに行ってみたいと思っていた。

 

 あと山にキャンプとかどうかな? 静かで、癒されるかもしれない。

 キャンプで食べる料理は美味しいんだろうなぁ。カップ麺でも美味しそうに見えるから不思議だ。

 

 それに、彼女を作ってみたい。

 ……いや、そもそもどうやって作ればいいんだ?


 それで彼女とオシャレなカフェとか……いや、うーん。これはまぁ、いいか。

 あ、でも水族館は行ってみたいな。一度は魚が泳いでいる姿を見てみたい。


 でも彼女って、どんな会話をすればいいんだろ?

 ……分からないな、想像すら出来ない。


 やっぱり俺は、一人の方が落ち着くのだろうか。


 あとはそうだ。

 装備を買いたい。俺はこのハンマーでダンジョンに来ているが、これは武器ですらない。

 ちゃんとした武器を買って、いつかはダンジョンのフロアボスを倒し、制覇してみたい。

 

 それに、配信ドローンを買って配信してみたいな。

 ダンジョン配信、めちゃくちゃ流行ってるし。俺もよく他の探索者の配信を見ていて、憧れている。

 でも配信ドローンって高価なんだよな……


 俺の名前は『マオ』だから、「こんマオー!」とか言っちゃったりするのだろうか。

 ……いや、まぁ人気が出たら、有りなのかな……?

 

 まぁでも単純に、強くなりたい。F級だけど、俺はこれでも探索者なんだし。

 こんなスライムだけじゃなくて、ダンジョンのボスとか倒してみたいよ。


 寝る前によく、ダンジョンボスのドラゴンを倒す妄想をしていたり、学校に入ってきたテロリストを倒す妄想をしているけど、実際にそんな事ができたら凄いかっこいいよなぁ。

 

 探索者としては、やはりS級ダンジョンの最深部の『魔王』と云われているボスを倒すのが、みんなの目標だろう。

 なんか昔は居たとか云われているけど、記憶は曖昧だ。魔王を倒した者は、『勇者』という称号を国から貰えるらしい。

 そして『魔王』なんてものを倒したら、富も名誉も思うがままだとか。


 未だに最深部に到達できた探索者はいない。だからこそ、探索者はこぞってダンジョンを制覇しようとしている。

 

 しかし……本当に『魔王』なんて、実在するんだろうか?

 俺もいつかは魔王を倒し、勇者なんて呼ばれてみたいものだという願望を抱いてしまう。

 

 ……こうして、一瞬にして俺の脳内はたくさんの妄想で溢れていた。

 

 だが――


 俺が手にしたそのカードは……完全に文字化けしていた。


「……エラッタ、かよ」


 がっくりと項垂うなだれる。

 

 エラッタ。

 魔力の塊であるスキルカードが生成される際、何らかの障害が起きた結果、効果を失ったカード。

 絵柄は黒く塗りつぶされ、カードの名前は『譛亥?縺ョ鬲皮視』と、意味不明な文字列。


 本来の効果が発揮されない、ある意味で超レアな“ハズレ”だ。


 価値ゼロ。

 むしろ、ただのゴミだ。


かぁ……まあ、初心者ダンジョンだし、こんなもんなのか……」


 肩を落としながらも、俺はエラッタカードをカバンに放り込んだ。

 コレクターが買う可能性がゼロとは言い切れない。千円くらいにはなるかもしれない。


 いつもの仕事に戻ろうとした、その時――


 ――ビー!

 

 *異常魔力反応を検知*

 *階層構造が不安定化しています*


 探索者用アプリから、聞いたことのないアラートと共に警告文字が流れた。


「……なんだ、これ?」


 初めて見る警告が、連続で点滅している。

 “異常魔力反応”?

 初心者ダンジョンで異常なんて、聞いたこともない。


 その時、ズン、と足元が揺れた。

 背筋に、嫌な予感が駆け上がる。


 そして探索者用アプリの表示色が赤色に変わり、けたたましいアラート音が鳴り響いた。


 ――ビー! ビー! ビー!


 *警告:スタンピード発生予兆*


「は……? 初心者ダンジョンで……スタンピード?」


 理解が一拍遅れた。だって、おかしい。

 

 初心者ダンジョンは魔力密度が低く、スタンピードは起こりにくい。

 そもそも、俺の仕事自体がスタンピード防止のためのものだ。


 ――ビー! ビー! ビー!


 *緊急退避を推奨します*

 *ダンジョンの魔物生成量が異常です*


「嘘だろ……初心者ダンジョンなんだぞ!?」


 心臓が暴れ、呼吸が乱れる。

 “安全”だと信じていた唯一の拠り所が、音を立てて崩れていく。


 その時、下の階層から“音”がした。

 スライムの跳ねる音じゃない。


 もっと重く、もっと数が多い――地鳴りのような響き。


「これ、マジのやつじゃん……逃げないと!」


 俺は一階層へ続く階段へと、全力で駆け出した。


 ――ビー! ビー! ビー!


 *高魔力を検出*

 *階層構造の崩壊を確認*


 アプリが次々と新たな通知を出してくる。

 

 そして、最後の通知。


 

 

 ――ビー! ビー! ビー!


 


  ***** 落下に備えてください *****


 



「……落下? いや、備えろって言われても――」


 その瞬間、床が崩れた。


「うわああぁぁぁ……!!」


 俺の身体は、魔物たちのうめき声と土砂の音に混じって、暗闇の空間を落下していた。


 どこまでも続く落下に、意識が遠のきそうになる。


 ――終わった。


 どこまで落ちているのか、何秒、いや何十秒落ち続けているのか、まったく分からない。


 分かるのは、このまま落ちたら確実に死ぬという事だけだ。


 そう思った瞬間――頭の中に声が響いた。


『チッ、運の悪い奴だ。せっかく人間を見つけたのに……おい、このまま落ちれば肉塊になるぞ』


 唐突に、頭の中に直接響く声。

 それは少女のようでいて、どこか皮肉めいた調子だった。

 

「……な、なんだ?! だ、誰だ!?」


 必死に叫ぶが、返ってくるのは脳内の反響だけだ。

 

『誰だだと? 今しがた、貴様が拾い上げただ』


 俺の脳内に、少女のような、皮肉めいた声が響く。


「ハズレ……って、エラッタのスキルカード?」


『そうだ。生き残りたいなら、我を……拾ったカードをスキルスロットに入れろ』


 そんな馬鹿な。

 だが、思考は落下の恐怖に塗り潰されていた。


 俺には迷っている暇なんてなかった。

 死にたくない。ただ、それだけだ。


『早くしろ! 間に合わなくなっても知らんぞ!』


 急き立てるような声に背中を押され、どうやってカバンからカードを取り出したのかも覚えていない。

 ただ無我夢中で、探索者カードのスキルスロットに、それを差し込んだ。


 次の瞬間――

 眩い光が爆ぜた。

 

 そして、気づいた時には、俺は無傷で地面に着地していた。

 両足が膝のあたりまで床にめり込んでいるというのに、衝撃も痛みも、まるで感じない。


「……え?」


 驚きに息を呑んだ、その直後。

 さらに理解不能な感覚が、全身を駆け巡った。


 俺の身体が――勝手に動いている。


 床に埋まった足を引き抜き、まるで自分の身体を確かめるかのように、ゆっくりと手を動かしていた。


『ふ……ふはははは!』


 笑い声。

 それは、確実に俺の喉から発せられている。


『我、復活なり!』


「……な、なにが起きてるんだ……?」


 状況が理解できない。


 その時、暗闇の奥から、ドスン……ドスン……という重い音が響いてきた。

 次第に輪郭を現したのは、巨大な影。

 

「あれは……ドラゴン、か?」


 鱗に覆われた巨体、鋭い爪、禍々しい翼。


「いや、初心者ダンジョンに出るようなモンスターじゃないだろ……」


 ドラゴンはグルルルと喉を鳴らして威嚇しながら、こちらを見ている。

 

 だが、不思議なことに、恐怖は湧いてこなかった。


 周囲を見渡せば、ドラゴンだけじゃない。

 暗闇を埋め尽くすほどの、おびただしい数の魔物たち。


「これが……スタンピード? 多すぎないか……?」


『ふん。騒々しい下等生物どもめ』


 俺の身体が、勝手にそう吐き捨てる。

 

『我の魔力の糧としてやろう』

 

 俺の身体は勝手に宣言し――

 次の瞬間、衝撃波が弾けた。


 目の前の魔物たちは、まるで爆風に飲み込まれたかのように粉々に砕け散った。

 悲鳴を上げる間すらない。

 

 続いて俺の腕がドラゴンの尻尾を掴み、そのままグルグルと振り回す。


 ビタンッ!

 ビタンッ!


 まるで、俺がいつもスライムを潰していた時と同じリズムで、ドラゴンが地面に叩きつけられていく。


 数秒後。

 周囲に立っている魔物は、一体も残っていなかった。


『ふう、まあ魔力として悪くなかったな』


 俺の口が、勝手に言葉を紡ぐ。

 

『これでダンジョンの中に入ってきた人間どもも楽に捻りつぶせる』


 また、俺が勝手に喋っている。

 

 ……は? 人間を、捻り潰す? こいつ、人間を狙っているのか……?


「……おい。俺の身体だろ! それ!」


 必死に声を絞り出した。


『あ? まだ喋れんのか。めんどくさいな。しっかし……』


 俺の身体が『くっくっく』と、楽しげに笑っている。


『ざまぁないな! この身体は【月の魔王】たる我のものだ! 返して欲しかったら、我をダンジョンの外にでも追い出してみるのだな!』


 喉から、下品な高笑いが溢れ出る。

 

『あっはっはっは!』


 絶望が、遅れて押し寄せてきた。

 自分の身体なのに、何一つ思い通りに動かせない。


 その時。


 ――ピコン!


 俺のスマホが、ポケットの中で鳴った。


 *ダンジョンボス討伐を確認。探索者がダンジョンの外に転送されます*


 アプリの機械的な音声がそう言った時、突然まばゆい光が走った。






 

 気が付けば……俺はダンジョン入口の外に立っていた。


 そしてまたもや、俺の身体が勝手に喋った。


『え? うそ……やばい!』


 それを最後に、頭の中の少女の声は消えた。


「ん……?」

 

 身体に力を入れる。今度は、思い通りに身体がちゃんと動いた。


「な……なんだったんだ……?」


 呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。

 俺の探索者カードの中には、先ほどのエラッタカードが刺さったままだ。


 そして、気づく。


 身体が、異様に重い。

 疲労か、身体が乗っ取られていたせいだろうか?


 身体の重さは、まるで――

 重さだった。


 俺はそのまま、宿舎でもあるギルドまで体を引きずるように戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る