ログインボーナス
がねこ
1
いつもいつも私の仕事の邪魔をする人がいた。
「あっ、お姉さん! この子の頼んだやつを俺にも!」
「高野さん……。一緒に食べるつもりはないんですが?」
女と見たらすぐ声をかけるナンパ野郎としてこの会社で有名なこの人は、営業部のエースとしても名を馳せている。
なのに、社員食堂で私がなけなしの休み時間でありつけたランチを邪魔しにくるのだ。
私が拒否しても、平気な様子で椅子を引いて隣に座る。しかもこちら側に寄せて座る。
自分の椅子を座ったまま引きずって距離を取っていると、ため息交じりにへらへら話しだした。
「遠慮すんなって。俺、みさきちゃんとメシ食べるの好きなんだよ」
「遠慮しかありませんし、はっきり言うと一緒に食べたくありません」
また笑った。本気で嫌がられてるのに、笑うのはどうかしている。私を舐めてる証拠だ。
顧客相手にこれをしていたらエースにはなれないだろうから、やっぱり私が舐められてる。
だからだろう。私が拒否の姿勢を出しても、なぜかまったくダメージを受けない。
「そんな冷たくすんなよ〜。俺、今日めっちゃ頑張ったんだよ?」
「他の日は頑張ってないんですか?」
「ほら、今日締め日じゃん? 営業トップ取ったご褒美に、君の隣座ってよくない?」
「営業部の成績と私に何の関係が?」
「いやぁ、会社のためになってるじゃない」
「あと『隣に座らせて』というのは座る前に言うべきでは?」
「……今日も言葉が鋭くていいねぇ! 元気な証拠だ」
褒めているつもりらしいが、こちらは一切元気ではない。むしろこの人のせいで昼休みの半分が休むどころじゃなくなってる。
ご飯の味もよく分からないまま、とにかく口へかき込むしかないのだ。
「そんな嫌わなくてもさー? 俺、みさきちゃんにだけ優しいって言われるよ?」
「……ふっ、それを言ってる人を是非目の前に連れてきてほしいです」
「毎日こうして顔見に来てるのにー」
「ログインボーナスじゃないんで。私にとってマイナスしかないです」
言い返すと、この人は妙に嬉しそうに目を細めてくる。なぜそこで喜ぶのか本当に意味が分からない。
私がどれだけ拒絶しても、この男は一切引かない。理解不能だ。
「ご褒美だと言うならここで食べずに、外で特別美味しいものでも食べる方がよっぽどご褒美ですよ」
「えっ、一緒に行く!?」
「行かないです。電話番もあるし早く戻らないといけないので失礼します」
「あー、そっか。頑張ってね!」
「……」
何が嫌って『(電話番)頑張ってね!』と言ってくることだ。……私が電話番苦手なのを知っている。
対応している私を見て気づいたのか、人づてに聞いて分かったのかは知らないけど、あの人にバレるのは悔しかった。
……私の方が年齢も含めて社会人として全くの後輩なのに、なんでこんなに悔しいが先に出るんだろう。酷いことを言っている自分が嫌になる。
上司は会議で昼過ぎまでいないし、他の同僚も忙しくて本当にフロアに一人で電話番をするのはあまりない。だからいやだったけど、仕事なのでしょうがない。
電話が鳴ったのでふっと息を吐いて、受話器を取った。
「お電話ありがとうございます、株式会社――」
『あの、さっき電話したものだけど? 全然折り返さなかったな、ああ!?』
開口一番、怒鳴り声が聞こえた。引き継ぎメモを探したが、該当するものが見当たらない。
一度受話器を少し耳から離す。心臓がバクバクと音を立てる。
「申し訳ございません。お客様はどのようなご用件で――」
『だから! さっき説明したって言ってんだろ! 何回言わせんの!?』
「恐れ入りますが、先ほど対応した者とは別の者でして――」
『は? 引き継ぎもできてねぇの? どんな会社だよ!』
前の担当者はさっき交代したけど、もしこのような電話があったなら必ず伝えるはずだし、引き継ぎをしないわけがない。むしろ何もなかったとしか聞いてないので、電話もなかったのでは……。
でもそれをこういう人に言えはしないので、まず確認をしなければ。
「大変申し訳ございません。改めて、お名前とご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
『お前ら、本当に仕事できねぇのな! 俺の時間なんだと思ってんの!?』
だめだ。全然話にならない。頭が真っ白になる。息が苦しい。
明らかにこれはクレーマーだと思ったが、でも相談する相手もいない今、こちらから電話を切るわけにはいかなかった。
「申し訳ございま――」
『謝ればいいと思ってんの? こっちは忙しいんだよ! お前のせいでどれだけ俺の時間無駄にしてんだ!』
「……お客様、内容がわかりませんとこちらも対応が――」
『さっき言ったんだから今すぐ解決しろよ! 給料もらってんだろ!?』
「はい。ですのでよろしければお名前やその内容を――」
『はいはいって言えばいいと思ってんのか? お前は何もできねぇのかよ!』
声が震えそうになるのをこらえる。まだ相手の怒声は止まらない。
『お前みたいな無能なんで働いてるんだよ!? 頭おかしいんじゃねぇの!?』
「申し訳ございません――」
『またそれ!? 何なの!? とにかくお前じゃ話にならねぇよ! 名前は!? 名前言え無能!』
「……私は山木と申し――」
『山木ね。覚えとくわ。お前のせいでどれだけ迷惑被ったか、ちゃんと社長に報告すっから!』
ブッ、と電話が切れた。受話器を置こうとしても、震えてうまく置けなかった。
――電話が切れた後、私はしばらく動けなかった。
静まり返ったフロアで、時計の音だけが聞こえる。上司も同僚も戻ってこない。
こんなに広い場所なのに、世界に自分ひとりだけ取り残されたみたいだった。
手は震え続け、汗はだらだら流れ続けて、デスクに落ちた。受話器を置いたまま、ただ呆然と座っている。
その時。
「……みさきちゃん?」
いつもより低い声が、すぐそばから聞こえた。
ゆっくり声の方へ顔を向けると、そこには高野さんが立っていた。
ついさっきまでの、へらへらと、嬉しそうに笑っていた顔とは大違いの表情で。
昼休みが終わる前に、また、私の邪魔でもしに来たのだろうか。
「……なに、どうした? ちょっと……」
私の手を見て、顔を覗き込んでくる――いつもと違うこの人と目が合ったと思ったら、私の目から涙がこぼれた。
「……だ、大丈夫……です」
本当はそうじゃないのに、口からはそれしか出なかった。
彼は私を見て息をのみ、たちまち眉を寄せた。
「大丈夫なわけねぇだろ! 手も、顔色も……何があった? 誰から?」
『誰から、何をされたか』。言いたいけれど、それが分からない。
「……おそらく、クレーム、です……。名前や内容を何度も……確認したけど言ってくれずに……怒鳴られて……それで」
ちゃんと続きを言おうとしたが、そこまで言った瞬間、また視界がぼやける。
「……っ、すみ……ません……」
涙がまた勝手に落ちた。
泣きたかったわけじゃない。安心したわけでもない。ただ悔しくて、情けなくて、でももう抑えられなくなっただけ。
横では、あの人が深く息を吐いていた。
流石に分かる。私のことで怒って、その怒りを抑えようとしている。拳を握りしめて、それから、ゆっくりと緩めた。
「……みさきちゃん、大丈夫。何も悪くない」
みさきちゃんと呼ぶ声も、その後も軽さが全くなく、でも優しい声で、私に語りかける。
「電話、録音されてる?」
「……はい」
「じゃあ、後で確認させて。名前も用件も言わないで一方的に怒鳴るなんて、クレームにしても悪質だ」
彼はポンポンと二度私の肩を叩いた。
「俺がなんとかする。絶対に」
静かに、でも目には今まで見たことのない強い光を宿してこちらを見つめる。
いつものムカつくような笑みとは違って、口角を少しだけ上げて微笑んでいた。
「まずはしばらくここから離れて……ちょっと休んだ方がいい。な?」
そう言って彼は背中を向けた。
ちらりと見えた横顔は、ちっとも笑っていなかった。
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