運命のからくり
野鳥倶楽部
第1話 戦いの始まり
今朝は誠に冷え込んだ。
刃のような鋭い寒気が冴える夜明け前に、カラス班が畑を襲うとは、蜂班の誰も予想していなかった。
身を切るような寒さを物ともせず、人参と白菜欲しさに彼らはやってのけたのだ。
日の出後、太陽が凍える空気を温め始めた頃、蜂班の爺やたちは鍬を担いで悠々と畑に向かったのであるが、爺やらを待ち受けていたのは掘り替えされた土と、踏み荒らされた畝、無数の長靴の跡であった。
他の者たちを代表し、五十六爺やが鍬を放り出して、透吾の元に駆け付けた。
部屋に躍り込んだ爺やへと、椅子ごと振り向いた透吾は、爺やの勢いに押され、背もたれにぐっと背中を押し付けて、これ以上は無理なくらいに身を引いた。
透吾はのけ反りながらも、爺やの剣幕は致し方ないと、うんうん頷きながら爺やの言葉に耳を貸していた。
カラス班が持ち去ったのは、数日後には収穫する予定であった彼らの糧なのだから。
「透吾さん」
爺やはメダカのような目をぎょろつかせた。「罠をしかけなきゃいけません」
「罠?」
透吾は丸い眼鏡の奥で瞬いた。
「カラス班の奴ら、またきっとやって来る。こっちの畑にはこれから収穫を待つ大根がうわってるんだ」
「従来通りの見回りだけじゃ、足りない?」
「そう!」
爺やは大きく頷いた。
あんたらが昨夜の冷え込みに怖気づいて、夜の警らを怠ったから、カラス共にしてやられたんじゃないか、と指摘したつもりであったのだが、やや婉曲過ぎたようだ。
「罠を考えて下さいよ」
「僕が?」
「そりゃあ、透吾さんはわしらの班長なのだから」
透吾は大きく息をついた。
この班に属す爺や婆やは、何か考えないといけない段になると、反射的に班長である透吾に投げてくる。
透吾が着用している国から支給の濃紺の詰襟は、彼らの統括者であることの象徴であり、それが彼の仕事であるから止むを得ないが、罠くらい自分たちで考えれば良いだろう。
そう言って追い返したい気もするが、皆の班長さんではあるけれど、爺やにとっては孫くらいの透吾の意見など、はなから聞く耳は持たぬ。
先ほどのため息さえも承知の合図と捻じ曲げて、
「今晩までにお願いしますよ。こう寒くっちゃ、日が暮れてからの見回りなんぞ、老体には堪えられねえ」ぶつぶつ文句を言いながら、背を向けた。
五十六爺やが建付けの悪い引き戸をぴしゃりと閉めるのを確認してから、透吾は回転椅子ごと、くるりと机に向き直った。
両肘をついて組んだ手の上に顎を乗せ、窓へと目をやった。
二階の窓まで伸びる枇杷の深い緑色が、冬の澄み切った青空に映えている。
この枇杷に実がなる季節には、カラス班は枇杷の実欲しさにこの部屋のすぐそこまで侵入してきたりするのだろうか。
それまでに状況が改善されていることを願うが望みは薄い。
遥か遠くの小さな国で内戦が始まったのは二年前であった。
あれよあれよという間に、世界中へと飛び火したが、当初は対岸の火事の火の粉くらいにしか思っていなかった。
そのため、突如、徴兵検査が全国一斉に始まった時も、学生たちが関心を向けたのは、百年近く前の世界大戦当時と同様に、身体機能の評定に甲乙丙丁という単位が採用されているという点であった。
荷物を持つのを手伝ってくれたお礼を言うと、友人は「なんせ僕は甲種合格だからね。体力には自信ありだ」と言い、透吾は「落第に等しい丁を貰った僕は、堂々と楽できるってわけだ」と答えて、二人で大笑いしていた。
しかし、それから半年もすると甲種の者に次々と召集令状が届き、彼らは大学を休学して様々な地に散らばって行った。
透吾の友人は、召集令状片手に、基地へと向かう電車に乗り込む直前でさえ、しきりに首を傾げて、狐につままれでもしたようだった。
「これって、どれくらいの期間で帰って来られるのかな? 俺、今度の学会に参加申し込みしているんだけど、一か月くらいで帰してくれないと準備が遅れるよ」
彼は困ったように笑っていた。
返答に窮して、見送りの透吾も薄ら笑っていることしかできなかった。
駅の見送りから一年ちょっと、友人が今どこにいるのか、透吾には見当も付かない。
片足が不自由な透吾は、戦地に送られる代わりに、蜂班の班長としてこの地に派遣された。
学生の己に、国家が何を期待しているのかさっぱり分からないまま、召集された友人をプラットホームで見送った数日後、国から支給された制服、それは中学時代の詰襟が膨張した分色褪せて蘇ったとしか思えない代物であった、に身を包んで、今度は自分自身が友人とは逆方向の電車に乗り込んだのだ。
彼が赴いた蜂班は、山間の廃村に忘れられた遺物の如く佇む、元中学校の校舎に集められた十一人の集団である。
七十歳を越えている六人の爺やと、炊事係の三人の婆や、喘息持ちで高校休学中の理人君、そして班長の伊野透吾である。
彼らの役目は廃校で共同生活を送りながら、敵国へ飛翔させる蜂型の電波妨害装置を作成することである。
この装置は見た目、本物の蜂そっくりであるが、野生的な見かけによらず、丸い胴体には電波をかく乱するための科学の粋を極めた装置が内蔵されている。
月に一回、蜂型ロボットの部品は、ドローンによってこの山間に輸送された。
年が若い理人は、最初こそ「これプラモデルみたいで楽しいね」と無邪気に言っていたが、日に百個以上、毎日毎日組み立てていると、
「蜂には飽きたな。他の型も回してくれないかな。山を越えた隣の班はカラス型の撮影用小型飛行機組み立てているんだよね? 一か月くらい、向こうとこっちの作業を取り換えてくれるように、上の人に頼んでくれない?」
透吾と顔を見合わせる度にせっつくようになった。
班長さんである透吾はそれどころではない。
高校生の理人は単純な手順にすぐ飽きてしまったが、爺や連中は何基組み立てようと一向慣れてはくれない。
毎朝、拡大鏡の焦点を合わすところから、まずはおさらいし、ようやく作業が始められる段階になった途端、細かい部品があちらこちらで机から転がり落ちる。
透吾は杖を突きつつ、机の間の狭い空間を行き来する。
ひっくり返した部品を拾い集めている向こうでは、この手順が分からないと声が上がり、そっちに駆け付けたかと思えば、あっちでは拡大鏡の焦点がずれたから何とかしろと叫んでいる。
どういう事情か、ドローンによる新たな部品の供給が途絶えた時、透吾は内心ほっとした。
もう爺やを働かせないで済むと思うと、せいせいした。
それが四か月程前であるが、それ以降も、部品は依然として届かない。
爺やの指導から解放されたことは嬉しいが、こうも本部からの連絡がないと不安で仕方がない。
部品の供給とともに、食糧や日用品の供給も途絶えた。
こちらの方が大問題である。ここは陸の孤島であるから、早急に何とかせねばならない。
とにかく食べ物を絶やさぬことが先決と、趣味は畑仕事という坂本爺やの指導の下、近くの空き地が開墾された。
爺やたちが蜂型の組み立てより、畑仕事の方に数倍熱心に取り組み、炊事係の三人の婆やも参加して、皆で楽しげに土と戯れているのを横目に、透吾は本部との連絡に躍起なっていた。
毎月飛来するドローンが来なくなった辺りから、電話もインターネットもつながり辛くなっていたのだ。
機器の配線をやり直したり、本体の中身を開けてみたり、様々に努力してみたのであるが、全て徒労であった。
そして、ある日、彼は一つの納得を得た。
爺や婆やの畑仕事の進捗を確認しに行った帰り道、半分枯れたようなセイタカアワダチソウが生い茂る原っぱの横手の道を、杖を突きつつ進んでいた透吾の目の前を虫が横切った。
はっとして目で追い掛けた、少し向こうでホバリングしているその蜂は、ちょうど西日を受けて、真っ暗な瞳を煌めかせていた。
生物の目が太陽を反射するわけがない。
それは紛れもなく我ら蜂班の製造物であった。
なぜ野生に帰っているのかと、透吾は慌てふためいた。
試運転の時に爺やが窓を閉め忘れて逃がしてしまったのだろうか、とまずは思い当たったが、検品作業は締め切った講堂で行っていたため、それはない。
つまりは、彼の傍らでホバリングしている蜂型は、遥か敵国で展開された物、それが偏西風にでも乗ってきたか、鳥にでも運ばれたのか、行程は不明であるが、大いなる旅路を経て故郷に戻ってきたのだ。
偶然一基のみ帰ってきて、かつ偶然にその一基を目撃したわけではあるまい。おそらく国中至る所に、蜂型は侵入しているのだ。
透吾は杖を握る手を戦慄かせた。
敵国をかく乱するために放った兵器が、自国を攻撃するとは何たる失策!
この事実を抱えきれなかった透吾は、校舎に帰り着いたその足で理人の部屋を訪れ、彼に全てを話してしまった。
理人は粗末なベッドに腰かけて空咳をしながら、じっと聞いていたが、
「いわゆる生物兵器だよね。本物の生物じゃないけれど、生物を精巧に模しているのだから、生物兵器と言っても間違いではない。生物は人間の思惑通りにはならないよ」
高校生らしからぬ達観した言いようだった。
「困ったな。全国の電波がかく乱されているんじゃ、もう何もできないじゃないか。戦争は終わりか」
「終わればいいけど……」
理人は長い指で細いあご先をつまんで考え込んだ。「前線が戦いを止めるかな。国内とは切り離されたところに戦場というものがあるような気がする……」
それは何に由来する気配だ、と透吾は思ったが、世界の情勢と関わりなく、研究室に閉じこもって日夜研究に没頭してきた彼に世の中の動静など分かろうはずもない。
もう何を考えるべきかも分からずぼんやりし始めた透吾に、理人は笑みを向けた。
「とにかくさ、僕らは自分たちが生きていくことに集中すればいいんだよ」
「そ、そうだな」
年下に励まされ、透吾は無力な一己の学生に戻ってしまったような気分であった。
国家から支給された濃紺の制服の効果など、うわべだけの見せかけ。
彼はこの詰襟を持て余し気味だ。
「透吾さんは爺や婆やからの信頼が厚いから、彼らを上手く統制して、蜂班全員で乗り切らなきゃ」
明るく言った理人へ、透吾は俯いていた顔を上げた。
理人と目が合うと、透吾の瞳は狼狽を隠せず揺らいだ。
普段、爺や婆やは、理人は結核だと主張し、彼のことをあからさまに避けていた。
透吾が何度喘息はうつりはしないと言っても、医者でもない若造に何が分かると、いつも制服さん、制服さんとおだててくるくせに、この時だけはやたらに年の功で偉ぶってくる。
そして、透吾さんは足は不自由だが病気ではなく若くて健康だから、あんたが結核患者の世話をせい、と理人の存在をすっかり透吾に託し、自分たちは理人との関わりを一切絶っているのである。
故に、今も、理人は畑仕事には参加させてもらえず、一人、自分の部屋でぼんやりとしていたのだ。
「爺やと婆やには、いつも言っているんだけど……。結核と喘息の違いを認めないんだ。すまない」
「透吾さんが謝ることじゃないし、別にいいよ」
理人がさらりと言ってのけたため、それ以上透吾が言葉を重ねることはなかったが、理人は人知れず不安を募らせていた段階であったのかもしれない。
透吾とて、これから蜂班の生活がどう転がって行くのか、あの時は不安で仕方がなかった。
今となれば、あれ程に心を脅かせた不安にも、人間慣れるものである。
ついさっきまでは、こんな日々はいつまで続くのかと焦燥していたにも関わらず、ふと別のことを思っていたりする。
専ら、透吾の思考の隙に割り込んで、気づけば心を覆いつくしているのは、クロツグミのことであった。
彼が心待ちに待っているクロツグミが、ここ最近姿を見せない。
クロツグミの郵便屋さんに託したあの手紙が原因なのだろうか、と透吾は推測している。
鳥の足に結わえた筒に、手紙を入れた時の、指が震える程の緊張と、胸の奥が詰まるような感覚を思い出し、透吾は思わず両目を固くつむった。
クロツグミのことよりも、まずは生活のことを考えなければ。
そう自分に言い聞かせながらも、彼は開いた目を、窓の外へと向けた。
第二章 引っ越し
教室の片隅で、向かい合った透吾と理人が生徒用の席で窮屈そうに昼食を食べているところへ、五十六爺やが跳ねるようにやってきた。
「透吾さん、罠は考えてくれたかよ?」
言いながら、隣の席に腰かけ、ついでに理人へ切りつけるような一瞥をくれた。
理人は針で突かれでもしたように、びくりと立ち上がると、まだ食べ終えていない椀と、さじを持って速足にどこかへ行ってしまった。
透吾が理人の痩せた背中を目で追っているのを邪魔するように、五十六爺やが甲高い声で「罠は?」と繰り返した。
理人への同情を消化するための数秒を、透吾は眼鏡を整える振りで稼いだ後、気分を変えて五十六爺やへと向き直った。
「畑を囲むように糸を張って、鳴子でもぶらさげたら……」
「鳥おどし!」
透吾が言い終わらぬ内に、五十六爺やはかぶせるように言い放った。「で? 鳴子が鳴ったら、駆け付けるのはわしらだ。あんたじゃない。夜通し、畑の側に待機しとかなきゃならない」
これだからインテリ学生は、と五十六爺やはぶつぶつ呟いてから、
「そういうのじゃなく、ちゃんとした罠を考えて下さいよ。奴らをぎゃふんと言わせられるような罠を!」
透吾は少々、五十六爺やの勢いに怖気づいていた。
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