第2話 在りし日と今を重ねて
雑木林の前にあるベンチにて。
沙也加はそこに腰掛けて、たぬきはその隣で伏せの状態で、彼女の晩御飯であったのり弁を食べていた。
ちなみにカロリーが高い揚げ物や、塩分の強い漬け物などは、彼女が食べた。
「……美味しい?」
「クキュ……ハグ――ッ」
(って、凄い勢いで食べてる)
時折、沙也加の言葉に反応しながらも生きる為にガツガツ食べている。
「ちゃんと生きようとしてるね〜! 偉いね〜!」
食べているのを邪魔しないように体には触れることなく、優しく声を掛ける。
実家にいたポチもそうであった。
目の前に出された物を凄く美味しそうに食べるのだ。
(でも……びっくりだなー! まさかのり弁食べるなんて……あ、でもポチもおじやとか好きだったな〜! あんまり食べてるとカロリーが高いからとかで、お母さんに怒られてたけど)
自身の母に叱られて、おじやを前に涎をぽたぽた垂らすポチ。そんな在りし日々を思い出して自然と顔が綻んだ。
そんな沙也加の視線に気が付いたようで、たぬきは顔を上げた。
「……クキュ?」
「ごめんごめん、何もないよ! ちょっと昔を思い出してただけ」
雰囲気は、子犬とそんなに変わらない。
けれど、飼い犬であったポチとたぬきとでは決定的に違う部分がある。
それは――。
(キミは、野生だもんね……きっと大変な思いをしてここまで来たんだろうね……)
特に今年の秋から冬にかけては、自然に生る木の実が少ないらしい。それにより山や森などの自然豊かな場所で、熊や猪などが人里に下りてきたニュースばかり。
だから、きっと――。
このタヌキも食べる物がなくて、家族と一緒に人里へと下りてきて、それが何かの拍子ではぐれてしまったのだろう。
そんなたぬきが生きるためとはいえ、天敵であるはずの人間から差し出された、冷めたのり弁をなんの躊躇いもなく食べているのである。
さらには口元に米粒を付けて、のり弁をくれたこと。
そして助けてくれたことを、まるで感謝を伝えるかのように黒くてまんまるな瞳をキラキラと輝かせている。
それは控えめに言って――。
(……なにこれ、めちゃ可愛いんだけどっ!)
可愛いの権化である。
「一生懸命で可愛いな〜!」
密度の高い毛をさわさわ、ここぞとばかりに癒し成分をその手から補給。
もはや出逢った瞬間に抱いていた不審感や驚きなど、地平の果てに飛んでいっていた。
実はこのお疲れOL可愛いものには目がないのである。
特に動物関連ショート動画は、職場からマンションを往復するだけの沙也加にとって唯一無二といっていいほどの癒しなのだ。
「クキュ、クキューン♪」
その思いに応えるように彼女が触るたび、撫でるたびに甘え吠えのような鳴き声を響かせて、ベンチの上をコロコロ――コロリン。
「――うちに来る?……たぬきさん」
呼吸をするように、反射的に出た本音である。
ほんの一瞬、それこそ流れ星が夜空を駆けるくらいの時間――野生動物の保護なんてものも浮かんだ。
しかし、
(いや、たぬきだけど、たぬきって言えないよね? だって、日本語わかってるっぽいし)
一体、誰に聞いているのかわからない。
けれどそう自らに言い聞かせて、目の前できょとんとしているたぬきを抱きかかえた。
「キュ?」
「キミさ、帰るところないでしょ?」
沙也加の言葉に、ゆらゆらさせていた尻尾を下げてシュンとするたぬき。
(わ、わかりやすい! ほとんど犬じゃん!)
わかりやすいということは、認めるとして、断じてほとんど犬ではない。ほとんどたぬきである。
そんな良いように思考を巡らせる沙也加であったが、そのほとんどたぬきは、言葉を理解したのか、彼女の手をペロペロと優しく舐めた。
「クキュ、キューン」
「か、可愛い……」
身体中に電気が走るような感覚。
例えるならそれはペットショップで店員に、目の合った犬や猫を手渡された時、なんかわからないがビビッと来てしまうあれである。
ようはお疲れOL沙也加が、目の前のたぬきにハート射抜かれた瞬間だ。
なんともチョロいOLである。
それはそれとして。
そもそも、たぶんこの可愛いの権化をこのままにしていたら、生きていけない。
人通りが多いといっても、たぬき以外に野生動物はいる。カラスにイタチ、猫に野犬だって出るかもしれない。
さらには――。
(のり弁、美味しそうに食べてたし……)
半額シールの貼られ冷めたのり弁、それをとても美味しそうに食べていた。
ここは外、そして別に一緒に食卓を囲んだわけではない。
それも夜が更けてきたことにより、肌寒くて下を見れば枯れ葉が地面に散らばっている。
温かな食卓とは、程遠い。
けれど――。
(いつぶりかな……こうやって晩御飯を誰かと一緒にするなんて)
それは両親と一緒に暮らしていた学生時代以来のことだった。
(あの頃は、帰ってきたらご飯があるのが当たり前だったな〜)
学校からの帰り道、家に近くまで来るといい匂いが漂って、玄関を開けるとエプロン姿の母親が「おかえり」と言ってくれる。そこには歳の取ったポチもいて。
(ふふっ、あの頃はポチとお母さんを見ると、自然とお腹が鳴ったんだよね♪)
その後、少し暗くなった頃に父親が帰ってきて、家族三人で今日あったことを話し合いながら、母親の手料理を口へと運び、足元では食欲が落ちたことにより、おじやを混ぜたドッグフードをカリカリと音を立てて食べるポチがいた。
とてもあたたかで、思い出すだけで――顔が綻ぶ、心の拠り所。
(そっか……あれが以来なんだ……誰かと一緒にご飯食べるの……)
思い出は色褪せないのに、なぜか同時にどうにもならないさみしさが胸を締めつける。
けれど――。
「あはは〜! そんなに美味しかったの? のり弁」
のり弁という言葉を聞いた瞬間。
口の周りに米粒と揚げ物の衣を口ひげのように、たくさん付けたたぬきが、ハッハッと息遣いを荒くした。
「キューン」
まだ、食べ足らないのか、それとも催促なのか、沙也加の隣にあるのり弁を釘付けだ。
なんとも食欲旺盛なたぬきである。
であれば――。
「ね? たぬきさん……私の所こない?」
「クキュ?」
首を傾げながらのり弁から、再び沙也加の方へと視線を移動させるたぬき。
(ふふっ、ちゃんと聞いてくれてる♪ やっぱりちゃんと話すと通じるよね! だって、ポチと同じイヌ科だし!)
だいぶ飛躍してるような気がしないでもないが、腕の中にいるたぬきへと語り続けた。
「ほら、のり弁食べたいでしょ? 私と一緒に暮らしたら、のり弁食べ放題だよ! 半額シール付いてるけど……」
それは色んなことを差し置いて、心から出た紛れもない本心だった。
だというのに――。
(って、私ったらおかし〜! たぬきを誘うなんて……そもそも家に連れて帰ってどうするんだろう)
こんな、まるでファンタジーのような展開を否定してしまう大人の自分がいた。たぬきは野生動物、人間に懐くことは基本的にない。
それにどんな病気を持っているかもわからない。
だが、大人だからこそ、あり得ない日常があってもいいのではないか? と思って、
(うん、こんなことがあってもいいよね! いつもは地続きの日常なんだからさ……)
沙也加は、そう心の内で呟くと、きょとんとしているたぬきを持ち上げた。
「えーっと、その……たぬきさん……あれです! 私と一緒に暮らしませんか?」
言葉を濁すことなく、真っ直ぐな三度目の誘いである。
長く外に居たからだろう、つま先や指先はすっかり冷えてしまって寒い。
しかし、そのおかげで沙也加の意識はハッキリしていた。
やはり、どう考えてもどうかしている。
それでも、彼女は自分の直観を信じた。
(よくわかんないけど、一緒に居たいって、思うんだよね!)
それは理屈じゃない部分――冷えた体とは違って胸の辺りが、じんわりと温かかったのだ。
かつて、脇に愛犬ポチ、両親と他愛もない話をしながら、食卓を囲んだように。
「ど、どうかな? 私、自分で言うのもあれだけど、割とあたりの方だと思う……よ?」
なにを言っているのか、自分でおかしいと思いながらも、今後の生活を想像して笑みが溢れた。
そんな彼女に対して、たぬきはまるで返事をするように「キュイ!」と鳴き声を響かせた。
こうして、お疲れOLである江ノ上沙也加二十五歳と、迷子のたぬきとの不思議な同居生活が始まった。
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