刀の男
阪本 誠次
第1話
タイトル 刀の男
作者 阪本 誠次
第一章 目覚め
俺は一本の刀(カタナ)である。
少し錆びついてきているが、研げばまだ輝くと信じている。折れやしない。
いや、折れた時には私はこの世に居ないのだから、関係のない話だ。
五十三年間、毎日鍛えてきた。
たまにはサボったこともあったかもしれないが、そんなことは覚えていない。
使い手が良ければ、国宝級の働きをするだろう。
だが、主人はいまだ現れぬ。見た目は錆び、癖がありそうで、誰も手に取らない。
そして何より――重すぎる。
その“重さ”が、ある意味で誇りだった。
重い刀は振り手を選び、選ばれた者にしか扱えない。
私は、そんな刀であるはずだった。
――はずだったのだ。
※
ある朝、私は目を覚ました。
肌に触れるのは鞘の内側ではなく、冷えた土間の感触だった。
「……?」
起き上がると、そこには見知らぬ手があった。節のある指、皺の寄った甲。
五十三年鍛えられた鋼の肌ではなく、ただの“人の手”だった。
鏡代わりに水面を覗き込むと、そこには五十三歳の男が映っていた。
普通で、癖がなく、どこにでもいるような平凡な男。
刀だった頃の輝きは、どこへ行ったものか。
「人の姿……というやつか?」
私はしばし呆然と立ち尽くしたが、いつまでも考えていても仕方がない。
折角なので街を歩いてみることにした。
※
尾張の街を歩くのは初めてだった。
人混みはざわつき、どこか張りつめた空気が漂っている。
どうやら近々、戦があるらしい。
通りを行き交う者たちの足取りは早く、表情には緊張が浮かぶ。
荷駄を運ぶ武士たちが怒号を飛ばし、町家の軒先では女たちが噂話を交わす。
「織田の殿様が動くそうだ」
「今度の敵は美濃か、それとも……」
そんな声が耳に入るたび、胸の奥の何かがざわりと揺れた。
刀だった頃の“本能”がまだ体に残っているのだろう。
人の姿になってなお、戦の匂いは敏感に感じ取れる。
しかし、私は刀であって、人ではない。
いや、人の姿をしているが、心のどこかでまだ刀のままだ。
「さて……これからどうすればいいものか」
尾張の空は曇っていた。
その鈍い光の下、私は初めて“人としての一歩”を踏み出したのである。
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