刀の男

阪本 誠次

第1話

タイトル 刀の男


作者 阪本 誠次


第一章 目覚め


俺は一本の刀(カタナ)である。

少し錆びついてきているが、研げばまだ輝くと信じている。折れやしない。

いや、折れた時には私はこの世に居ないのだから、関係のない話だ。


五十三年間、毎日鍛えてきた。

たまにはサボったこともあったかもしれないが、そんなことは覚えていない。

使い手が良ければ、国宝級の働きをするだろう。

だが、主人はいまだ現れぬ。見た目は錆び、癖がありそうで、誰も手に取らない。

そして何より――重すぎる。


その“重さ”が、ある意味で誇りだった。

重い刀は振り手を選び、選ばれた者にしか扱えない。

私は、そんな刀であるはずだった。


――はずだったのだ。



ある朝、私は目を覚ました。

肌に触れるのは鞘の内側ではなく、冷えた土間の感触だった。


「……?」


起き上がると、そこには見知らぬ手があった。節のある指、皺の寄った甲。

五十三年鍛えられた鋼の肌ではなく、ただの“人の手”だった。


鏡代わりに水面を覗き込むと、そこには五十三歳の男が映っていた。

普通で、癖がなく、どこにでもいるような平凡な男。

刀だった頃の輝きは、どこへ行ったものか。


「人の姿……というやつか?」


私はしばし呆然と立ち尽くしたが、いつまでも考えていても仕方がない。

折角なので街を歩いてみることにした。



尾張の街を歩くのは初めてだった。

人混みはざわつき、どこか張りつめた空気が漂っている。

どうやら近々、戦があるらしい。


通りを行き交う者たちの足取りは早く、表情には緊張が浮かぶ。

荷駄を運ぶ武士たちが怒号を飛ばし、町家の軒先では女たちが噂話を交わす。


「織田の殿様が動くそうだ」

「今度の敵は美濃か、それとも……」


そんな声が耳に入るたび、胸の奥の何かがざわりと揺れた。

刀だった頃の“本能”がまだ体に残っているのだろう。

人の姿になってなお、戦の匂いは敏感に感じ取れる。


しかし、私は刀であって、人ではない。

いや、人の姿をしているが、心のどこかでまだ刀のままだ。


「さて……これからどうすればいいものか」


尾張の空は曇っていた。

その鈍い光の下、私は初めて“人としての一歩”を踏み出したのである。

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