第2話 : 護衛の慟哭


 視点:結城 暁人


 俺の心臓は、教室の喧騒を遠くに追いやりながら、ただ激しく脈打っていた。


 目の前にいる。 あの華奢な姫君が、今は「天野奏多」という、小柄で柔らかな雰囲気を持つ男子高校生として、俺の隣に座っている。


 第一声で、俺が安堵と混乱と喜びで笑みにもならない表情を浮かべた瞬間、数十年にわたる探求は終わりを告げた。だが、安堵は一瞬で消え去った。


(男……男の姿で生まれ変わったのか。)


 戸惑いが、俺の心を乱す。俺が愛したのは、一国の姫として気高く、俺にすべてを委ねてくれた、あの女性だ。しかし、この柔らかな茶髪、小動物のような雰囲気、そして時折見せる、どこか儚い表情。魂の輝きは、確かに彼女のものだった。


 俺の誓いは何だった? 「星が瞬く限り、あなたが誰になろうとも、必ず見つけ出します」


 性別も、姿も、何もかも関係ない。俺の誓いは、あの魂に向けられたものだ。


 俺は席に着き、机と机の間に隙間がないほど、奏多の机に自分の机を寄せた。これは無意識の行動だ。護衛としての本能が、彼を守るための空間を、一寸たりとも与えるなと命じている。


「結城くん、ちょっと机が近すぎないかな? 荷物が入らないかも」


 奏多が困ったように、ゆるふわとした声で言った。その声を聞いた瞬間、俺の脳裏に激しい閃光が走った。


  ――――――――――――――――――――――――――


 


 ――回想:崩壊の夜


 燃え盛る城の中で、瓦礫が崩れる音を背中に聞きながら、俺は姫を抱きかかえていた。


「暁人……あなたの手が、震えていますよ」


「滅相もございません、姫様」


 しかし、俺の心臓は激しく悲鳴を上げていた。城はもう、俺たちの居場所ではない。逃げ道は塞がれ、外は敵兵に包囲されている。


「お逃げください。私がお囮になります」


「馬鹿を言わないで。あなたは私にとって、この国以上に大切な人です」


 姫の細い腕が、俺の首に回される。力が弱く、震えている。 姫は、病弱だった。戦火の緊張と、逃避行の疲労が、その命を容赦なく削っていた。


「私の声が、あなたの耳に届いているでしょう?」


 その声は、現世の奏多の声とは、まるで違う。強く、凛としていて、国を治める姫君としての威厳に満ちている。だが、その根底にある優しさと一途さは、目の前の奏多のそれと完全に一致していた。


「生きて、再び会えなくても……あなたは私の護衛でいてくれますか?」


 姫の願いは、生き残ることでなく、俺の忠誠心だった。俺は、血と汗に塗れた顔を彼女の髪に埋め、誓った。


「永遠に、俺の主は姫様だけです。魂が塵になろうとも、必ず探し、お守りします」


 その直後、城壁が崩落し、大量の土砂と火の粉が俺たちを襲った。俺は姫を抱え、身を盾にした。強烈な衝撃と痛み。姫の声が、遠いこだまのように聞こえた。


「――約束ですよ……星が、煌めく限り……」


 それが、俺が最後に聞いた、姫の声だった。




 ――――――――――――――――――――――――


 


 ――現世:教室


「結城くん?」


 奏多が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。どうやら、俺は無言で数分間、硬直していたらしい。


「すまない」


 俺はすぐに表情を引き締め、口を開いた。感情を殺し、剣道部のエースとしての、あの冷たい顔に戻る。


「問題ない。単に、荷物が多そうだから、俺が少し寄せてやっただけだ。天野は、ここで動くな」


 言葉を選んだつもりだったが、奏多の顔はさらに怯えたように固まった。無理もない。初対面のクラスメイトに、上から目線で「動くな」と命令する奴などいない。


 しかし、俺にはこれが「護衛」としての、最も自然な行動なのだ。この柔らかな身体。この無防備な雰囲気。前世の姫のように、彼もまた、周囲の悪意から身を守る術を持たない。


(俺が、周囲のすべての危険から、彼を覆い隠さなければならない。)


 その危険の一つは、もちろん、俺自身だ。


 放課後。クラスメイトが帰り支度を始める中、俺は竹刀袋を手に、奏多の机の前で立ち止まった。彼はまだ、のんびりと星のキーホルダーをいじりながら、リュックに教材を詰めていた。


「天野。今日から、俺が登下校を共にする」


「えっ? あ、ありがとう。でも、結城くんは剣道部の練習があるんじゃ……」


「問題ない。お前を護衛することに、優先順位で勝るものはない」


 思わず口から出た言葉は、完全に「護衛職」のものだった。奏多はキョトンとした顔で首を傾げた。


「護衛? 俺、そんなに頼りなく見える?」


 その無自覚な言葉が、俺の胸をチクリと刺した。頼りない? そうではない。俺の最愛の主が、戦火をくぐり抜けてたどり着いた、大切な今生の器なのだ。


 俺は、彼のリュックから、まるで宝石のように輝く星のキーホルダーをじっと見つめた。


「星が好きなのか?」


 奏多は少し顔を赤くして、恥ずかしそうに頷いた。


「うん。夜空を見ていると、すごく落ち着くんだ。なんだか、懐かしい気がして」


「遠い昔の景色……」


 その言葉に、俺の胸は激しく高鳴った。記憶のないはずの彼が、無意識に「星の約束」に繋がる言葉を口にしたのだ。


(星が導く場所で、必ず見つけ出す。)


 それは、俺たちの運命が、確実に動き出している証拠だ。


 俺は再び、冷静な仮面を被り直した。


「そうか。ならば、星が見える場所に、お前を連れて行かなければならないな」


「え? どういうこと?」


「いいから、準備を急げ。外に、お前に近づくべきではない奴がいる気配がする」


 俺は窓の外をちらりと見やった。中庭を、派手な茶髪の男子が、こちらを見上げて立っていた。その顔は、人当たりの良い笑みを浮かべているが、その瞳の奥に、俺は知っている――前世のあの、執着に満ちた冷酷さを。


 藤堂隼人。


 姫を巡って俺と対立し、戦の原因を作った隣国の王子。彼もまた、現世でこの学校にいるとは。


 最悪だ。


 奴は、俺の姫に再び手を伸ばそうとしている。


 奏多は、俺が急に殺気立ったことに気づかず、きょとんとしている。俺は、竹刀袋を握る手に力を込めた。


(許さない。今度こそ、誰にもお前を奪わせない。この命に代えても。)


 俺は、奏多の前に立ち塞がるように、ドアへと続く通路に立ち、待った。外の藤堂は、まだこちらを見上げて笑っている。


「結城くん?」


「早くしろ、天野。俺から離れるな」


 俺の心は、すでにクールな優等生の枠を超え、最愛の主を守る護衛として、敵対者への激しい敵意で満たされていた。


 奏多が、俺の異様な態度に混乱しながらも、急いでリュックを背負った。その背中を、俺は力強く守らなければならない。藤堂の存在は、俺たちの再会が、ただのロマンティックな運命ではないことを示唆していた。


 それは、前世から続く、愛と因縁の戦いの再開だ。

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