実験棟の影 —偽りの鬼と博士の真意—
@traumerei-
第一実験
1話目 偽物か、本物か
——金属の扉が閉まるたび、空気が一段階冷たくなる。
「ここが実験棟の地下区画だ。君に見せたいのは、この奥だよ」
黒江博士の声はいつもどおり穏やかだったが、どこか金属的な響きを帯びていた。
ハルはエレベーターを降り、湿ったコンクリートの廊下を進む。
壁の配管には赤錆が浮き、天井を走るケーブルはむき出しのまま垂れ下がっている。
(本当に……これ、国立研究所の内部なのか?)
学生インターンとしては破格すぎる“極秘実験への立ち会い”。
ハルは期待半分、不安半分で博士の後ろを歩く。
角を曲がると、照明のチラつく細長い実験室が現れた。
天井は低く、薄暗い。
壁には古びた御札がびっしり貼られ、中央には円形の金属枠が刻まれている。
まるで科学とオカルトを無理やり縫い合わせたような光景だった。
「博士……これは本当に“科学実験”なんですよね?」
「もちろんだとも。認知科学、存在論、情報工学……いくつかの境界領域を横断する研究だよ」
黒江博士は笑うが、その笑みは皮膚に貼りついているだけのように見えた。
博士が、部屋の中央にある重い鉄扉を指す。
「ここから先が、私の研究の核心だ。
——“鬼”を見せよう」
扉が軋んだ瞬間、実験室の照明が一斉に揺れた。
暗闇の奥から、ぬるりと影が溢れだす。
赤黒くただれた皮膚。
牛のように湾曲した角。
ねじれた牙が、濁った息と共に吐き出される。
――鬼。
その姿を見た瞬間、ハルの体温は一気に奪われた。
「なっ……」
声が出ない。
心臓が勝手に暴れ出し、視界が震えた。
「落ち着きたまえ、綾瀬くん」
博士の声は妙に冷静だった。
「説明したはずだろう。
この鬼は“偽物”だ。存在論的ホログラムの一種だよ。
ただし、君の恐怖が強いほど、君の脳が“本物として補完”してしまう」
ハルは喉を鳴らした。
「……でも、これ……動いてるし……呼吸してる……」
「恐怖による知覚の反映だ。
逆にいえば——“偽物だ”と理解してしまえば、まったく別物に見える」
だが、鬼は重い足音でこちらへ近づいてくる。
ドン。
床が揺れた。
ドン。
空気が震えた。
(いや、これ……偽物ってレベルじゃないだろ!?)
生臭い息が肌に触れた瞬間、ハルの膝が勝手に折れる。
「綾瀬くん。逃げたら終わりだよ」
「え……?」
「逃げる行為そのものが、“恐怖を認めた”という最悪のシグナルになる。
つまり——君が『こいつは本物の鬼だ』と認めることだ」
博士の声は、どこか嬉しそうでもあった。
「そうすれば、その鬼は“本当に”君を殺すだろう」
「待ってください!? それ実験の域を超えて——」
「立ち向かうしか、道はない」
博士の言葉を聞いた瞬間、鬼が大きく咆哮した。
鼓膜が破れそうな轟音だった。
(だめだ逃げなきゃ……!)
頭では博士の言葉を理解していても、身体は勝手に動いた。
狭い実験室を縦横無尽に駆け回る。
棚を押し倒し、計測機器を跳び越え、机の下をくぐるが——
鬼の足音はどこまでもついてくる。
どん
どん
どん
(これ……本物だ。絶対に本物だ!)
その瞬間、背後で博士の声が裂けるように響いた。
「綾瀬くん! 逃げるな!!」
だが、ハルの脳裏を最悪の思考がよぎる。
(もしかして博士は……本当は“本物の鬼”を作ったんじゃないか?
まず、なぜこの研究所に俺を呼んだ?……博士は俺を犠牲にしたいのか?——)
(もし博士が嘘をついていたら……俺はここで死ぬ)
恐怖が喉の奥で爆発し、息が荒くなる。
もう逃げ場はない。
背後で鬼が大きく腕を振り上げた。
一瞬の沈黙。
そして—
(信じるか……疑うか……!)
ハルは歯を食いしばった。
振り向き、足を止め、拳を握る。
鬼の爪が振り下ろされる直前、ハルは叫んだ。
「お前なんか——偽物だあああッ!!」
その瞬間。
鬼の輪郭が、溶けるように崩れた。
赤黒い皮膚が灰に変わり、角が砕け、牙が煙になり、
そして——ただの影法師へと変わる。
ハルはその場に崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返した。
「……よくやった、綾瀬くん」
博士の声が背後から降りてくる。
「やはり君は、この実験の“適格者”だ。
私たちの計画は、これで次の段階へ進める」
ハルは息を飲んだ。
博士の目は、喜びに満ちていた——
しかしその奥に、冷たい、何か底知れない光が宿っていた。
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