第4話

 あまりの不気味さにマルティスは思わず後ずさりしながらも、反論した。


「しかし、それはオーベとやらが本当に、相手を選ぶ力があればの話だろう? 選ばれてもいない者が触れた場合、飛ばされるという説が本当でなければ、不思議でもなんでもない」


 マルティスがそう言うと、興を削がれたようにカミルが口を尖らせる。

 行動の一つ一つが子供っぽくて不気味だった。


「まあ……そうなんだけどさ……。でもおもしろいと思わない? もし、本当に、精霊神界が言っていることが全て嘘だったとしても、それに真実味を持たせていたのが、一人の神官に一つのオーベ、だったわけだよ? それを、精霊神界自身が覆して、青の神官は全てのオーベの所有者である、という公表をしたんだから、変でしょ? 嘘だった場合、そんなことを公表する意味がどこにあるわけ? それも、いまの時代に」


 カミルの論にマルティスは言葉に詰まる。

 確かに、そうなのだ。

 一向に収まらない戦争のせいで、国の財政は逼迫し始めている。これは軍務界に在籍するマルティスにも心苦しいところだが、都市部はともかく、戦場に近い地方では、戦争の弊害が国民生活に出始めているのだ。

 そんな時代にあって存在意義を失い始めた精霊神界が、自らの神秘性を覆すような公表をする理由がない。


「どちらにしろ、本人に会えばわかることなんじゃないのかな。……四つの精霊を従わせる最高神官。……さぞや、神秘的な方なんだろうね~」


 夢見心地になるカミルを置いて、マルティスは書斎という名の倉庫を抜け出した。



 パルシュ国では毎月一度、軍務界、司法界、精霊神界が司法庁舎に集まって定例会議が行われていた。

 司法界から出席する者はいつも決まっていたが、軍務界と精霊神界はそうではない。

 軍務界は仕方がない。

 定例会議に出席するのは大将以上と決められていたが、戦場に出ている者も多く、12人の大将や2人の上級大将、1人の総大将、総勢15人がいつも出られるはずもないからだ。


 だが、精霊神界は違う。

 精霊神界は、5人の最高神官が出席を義務づけられている。

 そして最高神官は、王都にあるそれぞれの神殿にいるという。金の神官だけは王都にあるベイカ侯爵家で暮らしているが、5人全員、いつだって出席可能な場所にいるのだ。それにも関わらず、マルティスがガーランドに付き従って出席した定例会議に於いて、5人の最高神官が揃っているのを見たことがない。

 それどころか、三カ月に一度、国王の御前で行われる御前会議でさえ、揃ったことがない。

 精霊神界の出席者はいつも決まっていた。赤の神官と青の神官だ。赤の神官が緋鳥将軍と進軍している時には黄の神官と、青の神官となる。しかし、定例会議で二人以上の最高神官が揃っていたことはない。


 マルティスは定例会議で何度も見かけた、青い神官服を着て、青いベールを頭からすっぽりと被り俯いている、青の神官の姿を思い出す。

 軍務界が問い質しても、司法界が問い質しても、答えるのはいつも赤の神官か黄の神官。名指しされても青の神官はびくりと震えるだけで、一言も言葉を発したことはなかった。

 厚いベールに覆われた顔など見たこともないが、カミルが言うような神秘性を感じたことは一度もない。

 マルティスは、ふっと、鼻で笑った。

 あのカミルが、あの青の神官を見て、一体どういう反応をするのか今から楽しみだ。



「……何だ、その話は」


 案の定、神秘だの魔物だの精霊だのといった実態のない話を、ガーランドは鼻で笑った。


「まあ、カミルも実際に会ったわけではないですから、始終、らしい、で結ばれるのですが……」


 マルティスも、魔物にも精霊にも幽霊にも会ったことはない。


「もっと確定的な話はないのか。こう、政治的な内容だ」

「確定的……とは言えませんが、気になる話がありました」


 カミルがどこかの司書から手に入れた噂話だ。


「赤の最高神官ジェレミヒ・アミラ・コーエン侯爵夫人が赤の最高神官に選ばれたのが9年前、侯爵夫人が21歳の時でした。……あくまでも、噂ですが……」

「構わん」


 噂話だろうと、憶測であろうとも、ガーランドは耳に入れる。一つの真実が十の虚実に隠れて存在しないとも限らないのだ。


「当時、赤の最高神官としてオーベとやらが選別したのは3人ないし5人はいたそうです。ですがコーエン侯爵夫人に決まったのは、彼女がカンリロール侯爵令嬢であったからだ、と言われています」

「カンリロール侯爵と言えば……南の大領地、ミョウザ領主か。なるほど、ミョウザ領は港運業でかなり羽振りがいいらしいな」

「ええ、そうです。ミョウザ領の隣はミマトル国で、彼の国と我が国は交易も盛んです。カンリロール侯爵は5人のお子様に恵まれましたが、娘はコーエン侯爵夫人のみですからね」

「なるほど。一人娘に甘い父親か……。娘を赤の最高神官にさせるためならば、いくらでも金を出したことだろう」


 ふん、と馬鹿にしたようにガーランドが笑った。

 軍人の世界でも金が力を発揮することはある。武力も統率力もない者が、金の力だけで大将になることもある。

 だが所詮、金で得た地位だ。実戦では何の役にも立たない。昔ならばいざ知らず、現在のように戦争が激しくなっていれば、実力者でもない大将など害毒にしかならない。

 ガーランドはそういう者を殊更に嫌い、できるだけ早く戦場へ送り出し、できるだけ早く取り除くことに尽力した。


「で、こちらも……あくまでも、噂なのですが」


 マルティスは赤の最高神官がその地位を射止めた噂より、こちらの方を嫌悪した。


「青の最高神官がその地位に就いたのが5年前。当時14歳で、それは精霊神界始まって以来の最年少だということです。こちらもオーベを持てた者が数人いたそうですが、現在の青の最高神官がその地位を射止めた理由は……体を使ったからだ、と言われています」

「……何だ? それは……」


 ガーランドの声の高さが一段下がった。


「精霊神界の重鎮方に、自らの体を差し出して、自分を推すよう依頼したということです。精霊神界は男社会で、女性で精霊神界に入ったのはコーエン侯爵夫人が初めてで、青の最高神官は二人目だそうです」

「……隔絶された男社会に女が二人か……。しかもその内の一人は侯爵令嬢で、手を出すわけにはいかない。確か精霊神界は、金の神官以外は独身者が決まりではなかったか……?」

「厳密に決まってはいないそうです。ただ、結果的に独身者が集まっています」

「それは……狼の群れに、子羊を投げ込んだようなものだろうな」


 ガーランドが冷たく嗤う。


「逃げまどう子羊なら可愛げもあるが、自らその身を差し出したか。……で、私は、精霊神界の汚れ者を引き受ける、ということか」


 身に合わない地位を得ようとする者をガーランドは嫌ったが、それ以上に、簡単に体を使う女を毛嫌いした。

 しかもこの噂が真実であれば、青の神官は目的のために体を使っただけではなく、結果的に、身に合わない地位までをも得たことになる。

 定例会議での席上。

 末席に座り、俯く姿からは想像し難いが、案外、ああいう女が男を堕とすのかもしれないと思った。


「もう一つ、カミルからの提案ですが」

「何だ……」


 これ以上の悪い話がまだあるのかとガーランドが溜息を吐く。


「今回のご結婚ですが、行政府に届け出るのを保留してはどうか、ということです」

「……どういうことだ?」


 椅子に凭れていた背をがばりと起こし、ガーランドが前のめりに聞いてくる。


「陛下からのお口添えでの結婚ですから、直ちに行政府へ届け出なければなりません。ですが、半年後に、皇太子殿下がご成婚なされます。……臣下たるもの、主より先に伴侶を娶る無礼は犯せない、と申し上げれば必ずや、受け入れられるでしょう……と」

「そうか! その手があったか!」


 ぱん、と膝を叩いてガーランドが笑う。


「よし、では殿下がご成婚されるまでの半年で、あの女の尻尾を掴むんだ! 男と寝てその地位を得たような女だ。私にも擦り寄ってくるだろうが、あんな貧相な女に騙される私だと思うなよ!」


 10代前半の初体験よりいままで、数多の女性と浮き名を流したガーランドがいまさら、女の一人や二人に騙されるとは誰も思わない。


「マルティス、執事長を呼べ! 選りすぐりの侍女をあの女に付けて、悪巧みを暴いてやれ!」

「承知しました」


 主がようやく本来の元気を取り戻し、マルティスはほっと安堵した。



              ※



「どうするんですか。こんな時間になってしまいましたよ」


 批難するようなマルティスの声が背中に刺さったが、ガーランドはそれを無視した。


「急ぎの用事でもなかったのに、どうしてわざわざこの日に限って軍務府庁舎などへ行くのですか」

「こんな日だからこそ、行かねばならないだろう?」


 とっぷりと陽は暮れ、空には大きな満月が浮かんでいた。急がせる必要もなく、ガーランドはゆっくりと馬を歩かせる。


「……どういうことです?」


 月明かりに照らされて、いまは副官となった幼馴染みが聞いてくる。その後ろからは、ガーランドの私兵がマルティスやガーランド同様、馬に乗って付き従っていた。

 ガーランドは常に、数人の私兵と共に動く。アルトゥニス侯爵家の領地、ヤコウ領はパルシュ国でも治安のよい土地だが、それでも警戒を怠ってはならない。長い戦乱で、パルシュ国には他国から数多の刺客が送り込まれていると言われている。


「私が屋敷にいて、いそいそとあの女を迎え出るわけにはいかぬだろう? かといって、陛下からの賜り物を無視するわけにもいかぬ。とすれば、外出以外に手はない。それも軍務界の、外すに外せない事情があるとなれば、誰も文句は言えぬ」

「まあ……それはわかりますが……」

「それに、トバースには小さな動きも決して見逃さないよう、命じている。あの女が、私がいないことを幸いにと、何をするのか見極めるのも必要だろう?」


 アルトゥニス侯爵家には5人の執事がいる。皆、5代は前からアルトゥニス侯爵家に仕えている執事の家柄だ。

 その執事を束ねるのが執事長であるトバース・ファイルである。マルティスのコール家同様、ファイル家はアルトゥニス侯爵家が築かれた当初から仕えている。

 アルトゥニス侯爵家には千年の長きに渡って、内外に不穏分子を抱えないための規則がある。ガーランドでさえ全てを知っているわけではない、多くの決まり事だ。

 外の懸念材料に関してはマルティスの生まれたコール家が、内の懸念材料に関しては執事長のファイル家が潰す。

 両家にはそのための規則が綿々と受け継がれているのだ。


「……そうですね。さすがに初日から事を起こすとは思えませんが、ガーランド様がいらっしゃらないと知り、拙速に動く可能性もあります」


 生まれた時から傍にある心強い副官の顔を見てガーランドは頷く。



 暗闇の中、遠くにぼんやりと灯りが見えてきた。アルトゥニス侯爵家の本屋敷だ。多くの窓から灯りが漏れ、このような深夜にも拘わらず使用人の多くが立ち働いているのがよくわかる。

 傍らにある副官だけではない。

 背後に仕える私兵だけでもない。

 あの屋敷で働く使用人の全てが、いや、このヤコウ領民の全てがガーランドの守るべきもので、また、ガーランドを守る者たちだった。

 戦場で敵の正面に立ったときのような高揚感を覚え、ガーランドは掴んだ手綱をしっかりと握り直した。



 馬の微かな蹄の音だけで執事長トバースが迎えに出てくる。


「客間でお待ちでございます」


 ガーランドは重々しく頷くと、マルティスとトバースを伴い屋敷へと入っていった。

 三人で静かな屋敷内を進み、客間の扉の前に立つ。

 マルティスはガーランドの意思を確認するようにじっと見ると、小さく頷き、客間の扉を押し開いた。


 客間の開かれた窓からは、夏の初めの涼しい風が入り込んでいた。

 アルトゥニス侯爵家の客間はいくつかあるが、トバースが案内したのは玄関扉近くの、一番狭い客間だった。それは扱いの軽い客人を案内する部屋である。

 青一色に身を固めた人物が扉の開く音で椅子から立ち上がり、ガーランドに頭を下げた。ガーランドは、全く視界にも入っていないという風にその前を通り過ぎ、どっかりと椅子に座る。

 マルティスは黙ってガーランドの背後に立ち、トバースは扉の前に静かに立つ。


 誰も、青い人物に声をかけなかった。

 ガーランドは押し黙ってじっくりと青の神官を観察した。

 小柄な、子供のように細い体だった。濃い青色のベールを頭からすっぽりと被り、そのベールの長さは腰にまで達する。濃い色に隠されて、顔は一切わからない。

足先まで隠す神官服は、ベールより少し薄い青色だった。

 しかしこちらもゆったりと体を包み込み、体の線がわかりにくい。だがその身長と肩幅は隠しようがなく、華奢な体つきをガーランドに教えていた。


 ガーランドはふん、と鼻で笑う。どこもかしこも好みではなかった。

 ガーランドは豊満な女を好んだ。張りだした胸、括れた腰、そして丸く大きな尻。派手な顔をした明るい女が好みだ。才覚があり、それを隠そうともしない、そんな自信に満ち溢れた女が好きなのだ。

 精霊神界など、パルシュ国に巣くう害虫のような集団だ。一刻も早く存在自体を消し去って、毎年こんなくだらない集団に払われる予算を軍務界に廻したいと思っているのだ。


 腕を組み、立ったままの神官をじっと見上げた。

 この女がどういうつもりでこのアルトゥニス侯爵家に来たのか、その意図を推し量ろうというように。

 或いは、精霊神界がどういう企みをもとに、この女を金獅子将軍であるガーランドの元に送り込んできたのか、その意図を探るように。

 背後のマルティスは微動だにせず、トバースは壁に徹していた。アルトゥニス侯爵家の忠臣らしく二人とも、この女と精霊神界の真意を量ろうとしていた。


「あ……あの……」


 押し潰されそうな沈黙に、耐えきれなくなったのは神官の方だった。

 これしきのことで情けない。ガーランドは腹で笑う。

 そして、そもそも精霊神界などという詐欺集団と、実戦で鍛え抜かれた軍人とを比べる方が間違っていたかと再び嗤う。


「あの……わ、私は……シルフィールと……もうします。よ……よろしく、お願い……します」


 聞き取りにくい、消えそうな声でたどたどしくそう告げると、青の神官はぺこりと頭を下げた。

 ガーランドはマルティスをちらりと見上げた。

 目で命じる。

 お前が話せ、と。

 マルティスは軽く頷くと、口を開いた。

 初顔合わせとも言えるこの場でガーランドが、いや、軍務界が主導権を握るためにはこの女に侮られてはならない。


「御家名を、教えていただけますか」

「え……?」

「家族名です。貴女は、シルフィール……何様とおっしゃるのでしょうか」


 感情を消した声でマルティスが訊ねる。

 女はおたおたと青いベールの裾を両手で揉んだ。細い指だった。


「あ……あの……シルフィール・ルクスです」


 女が口にした家族名に、マルティスとガーランド、そして女を挟んでトバースが目を合わせる。

 ルクス家。そういう名の貴族はいただろうか。三人とも怪訝な表情を浮かべて、首を横に振る。アルトゥニス侯爵家の執事長が知らない貴族がこの国にいるはずはない。つまり、この女はやはり、平民の出だった。先の報せでは青の最高神官としか書かれていなかった理由がこれでよくわかる。


 ガーランドはきつく腕を組み、ぎりり、と奥歯を噛みしめる。

 アルトゥニス侯爵家も馬鹿にされたものだ。仮にも建国に功労のあった名家に平民を押し付けるとは。

 マルティスも纏う空気を変えた。女の後ろ、トバースの顔は強張っている。長い年月、アルトゥニス侯爵家に仕えているという自負を、この青い女が傷つけたのだ。


「顔を、見せてください」


 マルティスはもう、言葉を気遣うことを止めた。

 女はびくりと震え、ベールを掴む。


「あ……あの……」

「貴女が本当に青の最高神官なのかどうか、貴女の顔を知らない私たちにはわかりかねますが、それでも同じ屋敷に暮らす以上、顔を見せていただかないことには信用できません」


 常に顔を隠し、俯くその姿勢を揶揄する。

 だが女はマルティスのそんな皮肉にも気付かないのか、ただベールを握りしめておろおろとするだけだった。

 重い沈黙が再び部屋を覆う。だが誰も女に助け船は出さなかった。三人の男が黙って、女の出方を待つ。


 やがて女は諦めたのか、おずおずとベールを取り払った。

 現れたその顔を見て、三人ともが息を呑む。


 銀色の髪は流れる小川のように艶やかで、長く伸ばされた前髪は緩くカールして顔を縁取っていた。同じように毛先も緩くカールしていたが、その他は真っ直ぐと言ってもいいほどの美しい髪だった。

 よく手入れをされているのだろう。ガーランドの恋人にも髪を異常に大切にする女がいたが、この女もその類か。だがガーランドの数多いる恋人の誰よりも、この女の髪は美しかった。


 しかし、三人に息を呑ませたのは女の髪の美しさではなく、隠されていたその容貌である。

 白い、白い、白い肌だった。

 一度も陽の光を浴びたことのないような美しく、肌理の整った白い肌だった。遠目でこれほどであれば、近くで見ればどれほどなのだろう。

 顔でこれほどであれば、あの神官服に隠された体はどれほどなのだろうと思わず想像を働かせてしまうほどに、美しい肌だ。


 そして、髪でも肌でもなく、女の容貌は非常に、いや、異常に美しかった。

 大きな紫の瞳は不安に揺れて濡れていて、男を惑わせる色を浮かべている。薄紅の唇は小さく、それでいてぷっくりと膨らんでいた。細い眉は憂いに寄せられ、嫌味ではないほどに高く、筋の通った鼻、丸みを帯びた頬、小さな顔。全てが作り物めいていた。

 名工が持てる技の粋を凝らして作り上げた、完璧な人形のようであった。


 ガーランドは我知らず、腹に力を込める。

 首から下は全く好みではないが、この顔。精霊神界がこの顔を武器にしようとすれば、落とせぬ男はいないだろう。

 それほどまでに壮絶に、美しい顔であった。

 ガーランドはぐっと腹に力を込め、惑わされそうになる心を踏みつける。

 こんな顔の一つや二つに堕とされてどうするというのだ。人の顔など、その薄い皮一枚剥けば誰もがただの骨だ。

 戦場で飽きるほど見た骸骨を思い浮かべる。女の顔に無理矢理骸骨を貼り付けて、揺れ動きそうになる己の心を消し去った。


 ガーランドの背後に立つマルティスを見上げた。馬鹿のように呆けた顔をしていた。

 拳の後ろで軽く腹を叩いてやる。はっと我に返ったような顔をしてガーランドを見下ろしてきた。

 しっかりしろ。こんな薄皮一枚に懐柔されてどうする。

 そう、目で叱りつけた。


「あ……。ごほんっ」


 態とらしく咳払いをしてマルティスが気を取り直す。


「それで、貴女は何をするために、この屋敷に来られたのですか」


 まだ立ち直っていなかったか。腹芸を無くし、単刀直入に訊ねている。ガーランドが黙って見上げると、しまったという顔を隠しもしない。心情をそのまま表情に表すなど、金獅子将軍の副官とも思えない。

 ガーランドは正面に立つ女を見据える。おろおろと視線を逸らすこの女の、こんな顔ひとつで、マルティスほどの者まで狼狽えるのか。

 不安気な表情も立ち居振る舞いも全て、男を堕とすための仕草だとすれば大した女だ。


「あ……あの……。私は、ガーランドさまのお……おくさまになると、き……きかされてきたのですが……」


 平民出の女は、狼狽えたマルティス以上に言葉を知らない。

 女が口にした己の名に、ガーランドの頭が一気に燃え上がる。      


「お前などが、私の名を口にするなっ!!」


 戦いともなれば総勢数万の兵を率い、その号令一つで思うがままに動かせるガーランドの怒声に耐える女など、どこにもいまい。

 案の定、目の前の女はびくりと跳ね上がり、後退ったその足を背後の椅子に引っかけて倒れた。

 無様に床に倒れ込む女を、椅子から立ち上がったガーランドは侮蔑の視線を込めて見下ろす。


「国王陛下のご命令とあれば仕方なく、お前が我が屋敷に入ることを許したが、私はお前を妻にする気など毛頭ない。お前は己の立場を理解し、私と、この屋敷で働く者たちの邪魔にならぬよう心せよ」


 そう言い置くと、ガーランドは足音高く部屋を出て行った。

 倒れたままの女の、銀色の髪を態と踏みつけてやることも忘れない。ガーランドは女の頭すれすれを、踏みつけて出ていった。

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