第8話「甘い戸惑いと独占欲」

 熱に浮かされた夜が明け、僕は柔らかなシーツの海で目を覚ました。

 窓から差し込む朝の光が、部屋を優しく照らしている。体の怠さは嘘のように消えていて、代わりに、満ち足りたような幸福感が全身を包んでいた。

 隣で、穏やかな寝息が聞こえる。

 そっと視線を向けると、リオード様の寝顔がすぐそこにあった。普段の厳しい表情はどこにもなく、まるで子供のように無防備な顔で眠っている。

 昨夜の出来事が、夢ではなかったことを告げていた。


『お前が、俺の『番』だって』


 彼の低い声が、熱っぽい囁きが、耳の奥で蘇る。

 僕たちは、運命の番だった。そして、結ばれた。

 その事実に、頬が燃えるように熱くなる。嬉しい。恥ずかしい。でも、それ以上に、どうしようもなく愛しいという感情が、泉のように湧き上がってくる。

 僕は、そっと手を伸ばして、彼の黒髪に触れた。指先に絡む柔らかな感触が心地いい。

 すると、彼がゆっくりと瞼を開けた。目が合う。溶かした金のような瞳が、朝の光を反射してきらきらと輝いていた。


「……おはよう、カイ」


「お、おはようございます。リオード様」


「リオードでいい。様はいらない」


 そう言って、彼は僕の体を力強く抱き寄せた。たくましい腕の中は、僕が世界で一番安心できる場所だった。

 額に、優しいキスが降ってくる。


「気分はどうだ。辛いところはないか」


「はい、大丈夫です」


「そうか。良かった」


 彼は心底安心したように息をつくと、僕の髪を何度も優しく撫でた。

 その手つきも、声も、眼差しも、すべてが昨日までとは違っていた。氷の仮面が剥がれて、その下から現れたのは、ただ一人の男をひたすらに愛し、慈しむ、甘くて優しい顔だった。

 その変化に、僕の心臓は戸惑うように速く鼓動した。


 その日から、僕の扱いは劇的に変わった。

 朝、リオード様と一緒に寝室を出ると、廊下で控えていた執事やメイドたちが、一斉に深々と頭を下げたのだ。


「おはようございます、当主様、カイ様」


 カイ様、という呼び方に、僕の立場が昨日までとはまるで違うことを突きつけられたようで、違和感しかなかった。

 リオード様は、そんな僕の肩を抱き寄せると、使用人たちに向かって、はっきりと宣言した。


「聞け。カイは、俺の番になった。今この瞬間から、この屋敷のもう一人の主だ。当主である俺に対するのと同様に、敬意をもって接しろ。カイを傷つける者は、俺が許さない」


 凛とした声が、静かな廊下に響き渡る。

 使用人たちは「はっ」と短く返事をすると、さらに深く頭を下げた。彼らが僕を見る目には、もう侮蔑の色はどこにもなかった。ただ、畏敬と、ほんの少しの好奇心が混じっているだけだ。


 食事も、今までのように使用人用の食堂ではなく、リオード様と同じテーブルでとることになった。

 彼が僕の皿に料理を取り分け、僕が食べ終わるまで、じっと優しい目で見つめてくる。

 仕事場である準備室に行こうとすれば、「俺の執務室でやれ。お前のそばを離れたくない」と言って、僕のためだけに大きな机を用意させた。

 夜は、当たり前のように同じベッドで眠る。僕が眠りに落ちるまで、彼は僕を腕の中に抱きしめて、髪にキスを繰り返した。

 それは、まるで夢のような日々だった。

 奴隷だった僕が、こんなにも大切にされていいのだろうか。

 幸せすぎて、怖くなる。これは全部、僕が見ている都合のいい夢で、目が覚めたらまた、あの冷たい厨房の床で震えているんじゃないか。

 そんな不安が、時々、胸をよぎった。


 ***


 その夜も、僕はリオード様の腕の中で、なかなか寝付けずにいた。


「眠れないのか」


 僕の心を見透かしたように、彼が静かに問いかける。


「……なんだか、夢みたいで」


「夢じゃない」


「でも、僕は……奴隷で、オメガで……あなたに相応しくない」


 ぽつりと漏れた本音に、彼が僕を抱きしめる腕の力を強めた。


「カイ」


 耳元で、名前を呼ばれる。


「もう一度言う。お前は奴隷じゃない。俺の番で、俺の唯一だ。それ以外の何者でもない」


「……」


「お前が自分を卑下するたびに、俺の胸が痛む。俺が選んだ相手を、俺自身がお前のせいで貶めることになるんだぞ」


「そんなつもりは……」


「わかっている。だが、お前が自分を大切にしないのなら、俺が何度でも教えてやる」


 そう言うと、彼は僕の唇を優しく塞いだ。

 何度も角度を変えて繰り返される、深く、甘いキス。息が苦しくなって、彼の胸を弱く押し返すと、ようやく唇が解放された。


「お前は、俺のものだ」


 金色の瞳が、強い独占欲の光をたたえて、僕を射抜く。


「誰にも渡さない。お前のすべて、俺だけのものだ」


 その熱のこもった眼差しに見つめられて、僕はもう、何も言えなくなった。

 不安や戸惑いが、彼の熱に溶かされていく。

 この人は、本気なんだ。僕を、心から愛してくれている。

 その事実を、ようやく僕は、受け入れることができた。


「……はい」


 僕は、彼の首に腕を回して、こくりと頷いた。


「僕も、あなたのものです」


 その言葉に、彼が満足そうに目を細める。

 その夜、僕はようやく、心からの安らぎの中で、彼の腕に抱かれて眠りに落ちることができた。

 彼の独占欲は、僕を縛る鎖なんかじゃない。

 僕を、この上なく甘やかで優しい世界に繋ぎとめてくれる、愛の証だった。

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