Dark in love
あおあん
第1話 11月24日 月曜日
やっと終わったという安堵の溜め息に気付かれないように歩いていた。
「なんかごめんな」
「謝ることないよ」
私は、如月 百花(きさらぎ ももか)もうすぐ28歳になる働き盛りの会社員。今日は彼氏の、皆藤 祥太(かいとう しょうた)30歳の実家にご挨拶に行った帰りだ。
「明るいご両親だね」
「まあね。彼女なんて連れて行ったことないから、相当浮かれてたな」
自分に結婚願望あるかなんて分からない。普通にもっと働き続けたいし、子どもが欲しいと思ったことは一度も無い。今の生活になんら不満がない私にとって、今日のイベントは意味不明なレベルでただただ疲れた。
「……親に言われたからってわけじゃないけど、結婚も……そろそろ視野に入れてもいいかもと思うんだけどどう?」
「どうって言われても」
「出産とか考えると、百花も焦るんじゃない?」
一般的に出産には適齢期があると言われているのは知っている。
高齢になればなるほど、母体にも産まれてくる子にもリスクが高くなるのでしょう?
そんなこと、知識としては知っているけど、実感レベルでは『さっぱり分からない』……だって私、まだ若いよ?
「まだまだやりたい事あるし。別に焦ってはないかも」
真っ暗な夜道を街灯と自販機の明かりを頼りに進む。
祥太が送ってくれて良かった。慣れた道とはいえ、一人じゃ怖かったかも。
マンションの自転車置き場の近くで「それじゃ」と祥太が小さく手を振った時、『バチンッ』と大きな音がした。
「え?なになに?」
祥太と身体を寄せ合い、両方の手の平を縦にして指を絡ませ合う。
「なにか爆発したよな?」
「したした」
体の正面をピッタリとくっ付け合って、きょろきょろと見回すと、街灯の向こうに人影が見えた。
「良平じゃね?」
「まさか」
轟 良平(とどろき りょうへい)30歳は私の会社の同僚で、隣のマンションに住んでいる。
女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「ヒドイ!信じらんないんだけど!」
泣いてるみたいだ。
「良平が女泣かせてる」
「だね。どうする?」
「見てようぜ」
悪趣味なのは分かっているけど、息を潜めて祥太と盗み見してしまった。
声が小さくて途中から会話は聞こえなかったけど、女性の仕草は明らかに涙を拭っていて、両手をだらりと下げたままの良平を置いて走って行ってしまった。
「こここ、こっち来るよ」
私と祥太は手を握り合ったまま、あたふたと足踏みをしていたら、案の定見つかった。
「見てた?」
「てか、見えちゃったんだよ」
気まずそうに祥太が答えた。もともと私たちは3人は同じ会社で働いていた。その会社が買収されたことをきっかけに祥太は退職し今は別の会社で働いている。良平と祥太は元同期の同僚であり、友達だ。
「あのさ、あの子、一人で行かせていいの?もう暗いけど……私ならちょっと……」
「俺が送ってくって言って、喜ぶと思う?」
「あ、いや、ごめん。そうだよね」
そう言って良平の顔を見て驚く。
「え……血が……出てるよ?」
左の頬がぷぅーんと腫れ、唇の横が切れて、血が流れた跡がある。
「まじで?」
良平が手の甲で拭ったけど、もう乾いていて何も付かなかった。
「ああ。まじで。お前、女にぶたれたの?」
「思いっきしやられた」
「何したの?」
「何もしてないよ」
「何もしてない奴が、そんなに殴られるほど恨み買う?」
「何にもしなかったから、恨みを買ったんだよ。積年の恨みを晴らしたって感じだろうな」
「うわぁ、くずなこと言ってる」
男二人の会話に付いていけない。
「なぁ、ちょっと飲みに行かない?」
良平に誘われた。
「俺は明日早いから遠慮しとく、百花は?」
「私は……帰り送ってくれるなら付き合ってもいいよ」
3人で並んで駅まで歩いて戻る。
「あの子、お前の彼女だったの?」
「まあな」
「どれくらい?」
「2年くらいかな」
一緒に働いてた時は3人でよく飲みに行ってたけど、祥太が転職してからは、私と良平は仕事絡みでの飲み会で顔を合わせる程度になっていた。
「お前らは長いよな」
「ああ、もう5年?」
私はこくこくと頷いて返事した。
「いいの?お前の彼女に俺の愚痴付き合わせて」
「いいよ。別に。お前と百花じゃ……なんも起きねえだろ」
「じゃ、ちょっと、お借りします」
「貸すだけだから、ちゃんと返せよな」
「私はボールペンじゃありません」
軽口を叩きながら歩いていると、駅前の居酒屋に到着した。祥太は「お先に」と言い残し改札に消えていった。祥太の家はここから電車で45分はかかる。
「それにしても……百花、今日の格好変じゃね?」
「え!なんで?!」
今日の為に、淡い花柄のワンピースにテイラードジャケット、バレーシューズのようなぺったんこのパンプスに、小ぶりの丸っこい肩掛けバッグを買い揃えた。ちゃんとした印象に見えるようにと必死で考えて、買い物に2週間かけて探し回った渾身の出来なのに……
「いつもと違くね?」
「うん。違うよ。祥太の実家にご挨拶に行くのに、印象良くしようと思って」
とりあえず生ビールを2つ。
大きく切られたキャベツがどーんと置かれ、塩だれを付けて食べる。
「印象操作?」
「ちょっと、それは人聞きが悪くないですか?真剣に交際してるんだから、これくらい彼女として当たり前の努力です」
「ふーん。なるほどね」
「なによ、その微妙な言い方」
「いいや。さっき殴られた理由が腑に落ちたって言うか……俺が全く相手のお願い聞いてやる努力をしなかったからキレられたんだろうなって……」
「そうなの?」
「たぶんな」
ウサギのようにむしゃむしゃとキャベツを食べながらビールを2杯ご馳走になり、家まで送ってもらった。
「じゃ、また明日」
「おう、会社でな」
良平と別れて部屋に戻り、お風呂の準備をしながら祥太に帰宅の旨を報告した。
『今帰ったよ。今日はありがとうね。次はいつ会えそう?』
『お疲れ。しばらく忙しいから、また連絡するよ』
寂しいのとほっとしたのと半々な気分。
脱衣所で鏡に映る自分を見ながら、良平に言われた事を思い出す。
確かに変だ。
私らしくない。
こんな格好も髪型もメイクも、ちっとも好きじゃない。
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