第12話
◆現在:7月27日(日)20:00
夜。
机の上に、あの「黒い手帳」が置かれていた。
蒼真は、手帳を見つめていた。
開こうとしても、開かない。
鍵がかかっているわけでもない。
ただ、ページが
「……なんで開かないんだ」
呟いた瞬間、スマホが鳴った。
『今、あなたの部屋の前にいるわ』
蒼真は驚いて、ドアを開けた。
そこには、理沙と
「……どうして?」
「私たちも、同じものを持ってるの」
理沙が、黒い手帳を取り出す。
「俺も」
悠斗も、手帳を見せる。
三人は、部屋に入った。
テーブルの上に、三冊の手帳を並べる。
「……これ、何なんだ?」
蒼真が聞く。
「分からないわ。……でも、これが開けば、何か分かる気がする」
理沙が答える。
「開け方は?」
「……協力」
悠斗が呟く。
「え?」
「俺たちが協力すれば、開くんじゃないか?」
悠斗が説明する。
「このゲームは、俺たちを殺し合わせようとしてる。……でも、俺たちが協力すれば、システムにバグが生じる」
「……なるほど」
蒼真が頷く。
「じゃあ、やってみよう」
三人は、手を重ねた。
手帳の上に。
その瞬間、手帳が光り始めた。
金色の光。
温かい光。
そして、手帳が開いた。
◆現在:7月27日(日)20:30
手帳の中には、文字が書かれていた。
赤い文字。
血のような赤。
『リグレット・トライアル』
『参加者:柊蒼真、氷室理沙、宮下悠斗』
『目的:最後の一人になること』
『ルール:殺し合い』
三人は、息を呑んだ。
「……殺し合い?」
蒼真が呟く。
「そう。……これが、このゲームの真のルール」
悠斗が説明する。
「俺たちは、殺し合わなきゃいけない」
「……嘘よ」
理沙が首を横に振る。
「そんなルール、従う必要ないわ」
「でも、従わなければ……」
悠斗がページをめくる。
そこには、ペナルティが書かれていた。
『14日以内に決着がつかない場合、全員消滅』
「……全員消滅?」
蒼真が呟く。
「そう。……だから、俺たちは選ばなきゃいけない」
悠斗が三人を見渡す。
「殺し合うか、全員で消えるか」
沈黙が落ちる。
重い沈黙。
「……いや」
蒼真が口を開いた。
「第三の選択肢がある」
「第三の選択肢?」
「ああ」
蒼真が頷く。
「明里を救う」
「明里……?」
「そう。……彼女を救えば、このゲームは終わる」
蒼真が説明する。
「明里は、このゲームの『
「……本当に?」
理沙が聞く。
「分からない」
蒼真が正直に答える。
「でも、やってみる価値はある」
「……そうね」
理沙が頷く。
「私も、賛成」
「俺も」
悠斗も頷く。
三人は、再び手を重ねた。
「……
蒼真が言った。
「そして、明里を救おう」
「了解」
理沙と悠斗が頷く。
手帳のページが、また光り始めた。
そして、新しい文字が浮かび上がった。
『トゥルーエンド条件:誰も殺さず明里を救う』
三人は、その文字を見つめた。
「……これが、正解か」
蒼真が呟く。
視界の隅で、【5】が【4】に変わった。
だが、同時に、数字が金色に輝き始めた。
希望の光だ。
◆過去:8年前・7月28日(月)10:00
翌日。
蒼真は、学校の図書室にいた。
因果鍵を探すために。
古い新聞を調べる。
8年前の夏。
何か手がかりがないか。
そして、見つけた。
『桜陵高校屋上事件』
『生徒一人が転落死』
『被害者:水瀬明里(17)』
蒼真は、記事を読んだ。
明里は、8年前の8月15日に、屋上から転落死した。
公式発表は「自殺」。
だが、真相は「事故」だった。
そして、記事の隅に、小さな写真があった。
屋上の写真。
そこには、四人の生徒が写っていた。
蒼真、理沙、悠斗、そして明里。
「……俺たち、全員いたのか」
蒼真は、震えた。
俺たちは、明里の死に関わっていた。
だから、このゲームに選ばれたのか。
「……明里、ごめん」
蒼真は、写真に向かって呟いた。
「今度こそ、救うから」
そして、図書室を出た。
因果鍵を探すために。
視界の隅で、【4】が温かく脈打っていた。
希望の光が、見えてきた。
箱の中には、賞状やトロフィーが無造作に放り込まれていた。
ピアノコンクール優勝。県模試一位。習字の金賞。
輝かしい栄光の残骸。
それらの隙間に、一冊のノートが埋もれていた。
キャンパスノート。表紙には何も書かれていない。
理沙は震える手でそれを拾い上げた。
紙が湿気を吸って、波打っている。
ページをめくる。
『7月10日。今日も理沙が泣いていた。ピアノの練習が嫌だと言って』
『7月15日。理沙がテストで80点を取った。母さんは怒っていたけど、あの子は頑張ったと思う』
『7月21日。理沙が羨ましい』
時が止まった気がした。
羨ましい?
あの完璧超人の姉が、私を?
文字を目で追う。
姉の字は、今の理沙の字と
まるで鏡文字のように。
『あの子は自由だ。泣きたい時に泣き、怒りたい時に怒る』
『私は人形だ。期待に応えるだけの、
『理沙になりたい。……いっそ、あの子の皮を被って、あの子になってしまいたい』
ページをめくる。
次の日付。
『7月25日。明里ちゃんが白いイヤホンをくれた。「玲奈ちゃん、いつも頑張りすぎだよ。音楽聴いてリラックスしなよ」って』
『優しい子だ。あの子の笑顔を見ると、少しだけ楽になれる』
『でも、私にはもう遅い。完璧でいなければ、私は私でいられない』
明里。
その名前に、理沙の心臓が跳ねた。
8年前に死んだ、あの少女。
姉と親しかったのか?
イヤホン……白いイヤホン。
理沙は無意識に、自分の耳に手を当てた。
今はピアスをしているが、昔は姉のお下がりのイヤホンを使っていた。
白いコードの、片耳だけのイヤホン。
もう片方は、どこかに失くしてしまった。
(まさか、あれが……因果鍵?)
ゾクリ、と背筋が凍った。
悠斗が言っていた。因果鍵は二つ。
南京錠の欠片と、イヤホンの片割れ。
明里が玲奈に贈った白いイヤホン。
その片方を、理沙は持っている。
さらにページをめくる。
『8月10日。明里ちゃんが屋上で音楽を聴いていた。あの白いイヤホンをつけて、幸せそうに』
『私も、あんな風に自由になりたい。音楽に身を委ねて、全てを忘れたい』
『でも、私には許されない。完璧でなければ、存在する意味がない』
『8月15日。……今日で終わらせる。理沙を連れて行く』
最後の日付。
あの日だ。事故のあった日。
理沙を連れて行く? どういう意味だ?
事故は偶然じゃなかったのか?
姉は、最初から私を道連れにするつもりで……?
いや、違う。
理沙は気づいた。
姉は、理沙を救おうとしていたのだ。
完璧を求めすぎて苦しんでいる理沙を、その
(全部、繋がってる……)
バタン!
突然、背後の屋根裏の扉が閉まった。
風もないのに。
完全な密室。暗闇の中で、裸電球だけがジジジと音を立てて明滅する。
「……お姉ちゃん?」
理沙は思わず呼びかけた。
返事はない。
だが、気配があった。
ダンボールの山の影から、誰かがこちらを見ている気配。
腐った百合の匂いが、鼻をかすめた。
理沙は日記を抱きしめて蹲った。
暑いのに、歯の根が合わないほど寒い。
自分の心臓の音が、姉の足音のように聞こえてくる。
ドクン、ドクン、ドクン……。
階段を上ってくる。
すぐそこまで来ている。
『理沙、ずるいよ』
耳元で声がした。
理沙は悲鳴を上げて耳を塞いだ。
左耳のピアスが熱く熱を持っていた。
それは警告ではなく、姉からの「刻印」だったのかもしれない。
視界の隅で、【3】が【2】に変わった。
カウントダウンは、最終段階に入っている。
◆現在:7月29日(火)08:00
翌日、朝のラッシュアワー。
蒼真は駅のホームに立っていた。
人、人、人。
通勤客の波に揉まれながら、彼は柱の陰で小さくなっていた。
昨日の屋根裏部屋での発見――理沙の姉の日記――について考えていた。
あの
それが、この世界の「システム」とどう関係しているのか。
アナウンスが流れた。
『まもなく、2番線に、快速電車が参ります。危険ですから、黄色い線の内側までお下がりください』
白線の内側。安全地帯。
だが、この世界に安全な場所などあるのだろうか。
ゴォォォォ……。
遠くから地鳴りのような音が近づいてくる。
レールの軋み。風の圧迫感。
群衆がざわめく。
その背中の一つ一つが、無機質な壁に見える。
ふと、背中に違和感を覚えた。
誰かがぴったりと後ろに立っている。
満員電車なら珍しくない距離感だ。
だが、その「誰か」からは、体温が感じられなかった。
代わりに、氷のような冷気と、殺気が伝わってくる。
「……え?」
振り返ろうとした。
その瞬間、背中に強烈な圧力がかかった。
ドンッ!
手ではない。もっと硬質な、例えば鉄板のようなもので突き飛ばされた感触。
「うわっ!」
蒼真の体は簡単にバランスを崩した。
足がもつれる。
世界がスローモーションになる。
黄色い点字ブロックを越える足。
迫りくる電車のヘッドライト。
警笛の音――フォォォォォッ!――が、鼓膜をつんざくほど大きく響く。
風圧が顔を叩く。熱い鉄の匂い。
死ぬ。
轢かれる。
バラバラになる。
『ダメッ!』
声がした。
同時に、腕を強い力で引かれた。
グンッ!
肩が外れそうなほどの衝撃。
蒼真の体は後ろに引き戻され、尻餅をついた。
ゴォッ!!
目の前を、鉄の塊が風を巻き上げて通過していった。
轟音。振動。
風圧で髪が乱れる。
数センチ先は死の世界だった。
「はぁ……はぁ……!」
心臓が破裂しそうだった。
全身から冷たい汗が噴き出す。
助かったのか?
「大丈夫ですか!?」
駅員が駆け寄ってくるのが見えた。
周囲の乗客たちが、遠巻きにこちらを見ている。
好奇の目。
しかし、蒼真の視線は別の場所を彷徨っていた。
誰かが助けてくれたはずだ。
あの力強い引き。
そして、ふわりと漂った香水の香り。
人混みの隙間に、白い制服の後ろ姿が見えた。
旧デザインの制服。
長い黒髪。
彼女は一度だけ振り返り、悲しげに微笑むと、通勤ラッシュの波に飲まれて消えた。
「……明里?」
蒼真は呟いた。
幻覚じゃない。
腕に残る痛みが、彼女の実在を証明していた。
あの日、図書室で「見張っていた」彼女が、今日は「助けてくれた」。
彼女は敵なのか、味方なのか。
それとも、システムのエラーが生み出した、ただの
自分の手が、怒りで震えているのに気づいた。
システムは本気だ。
なりふり構わず、物理的に排除しにかかっている。
これは世界線Warp(
視界の隅で、【2】が【1】に変わった。
だが、明里が助けてくれたことで、【1】は金色に輝き始めた。
カウントダウンは、【1】のまま点滅している。
希望の光。
◆過去:8年前・7月28日(月)15:00
目が覚めた。
また、8年前の世界だ。
蒼真は、保健室で目覚めた。
駅のホームで突き落とされそうになった記憶が、鮮明に残っている。
「……明里さんが、助けてくれた」
呟いた瞬間、視界の隅の【1】が、わずかに明るくなった気がした。
明里は、敵ではない。
彼女は、味方だ。
彼女を救うことが、トゥルーエンド条件の一つだ。
そして、決意した。
もう時間がない。
三人で協力して、明里を救わなければ。
因果鍵を使って、収束点を崩さなければ。
理沙が持っている白いイヤホンの片割れ。
それが、因果鍵の一つだ。
――【1】
その数字が、金色に輝いて、脳裏に焼き付いて離れなかった。
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