第16話 審美眼
「ふぅ……これで、今日の分の掃除は終わり」
私は掃除用具を持って1階の応接間を出た。
この部屋はこの屋敷内で一番広いので掃除が大変だが、今日はここが終われば掃除は終わりだ。
(掃除用具を片付けて……次は……)
この屋敷の全体を毎日一人で掃除するのは大変なので、私は数日で全部の部屋を掃除できるように割り振って掃除をすると決めている。
私は今日の分の掃除を終わらせて、キッチンに向かった。時計を見て思わず呟いた。
「ハロルド……遅いな……」
もう昼は過ぎたがハロルドは、まだ戻らない。
(洗濯物取り込めるものはあるかな? 見に行こう)
まだハロルドが戻らないので、昼食の支度もできない。だから洗濯物を見に行くと、シーツやタオルは乾いていたが、他はまだ乾いていない。
「他はあと少しかな……」
乾いている分だけ取り込んで畳んで、それぞれの場所に片付けて一息ついた時だった。
2階のクローゼットを出て廊下をゆっくりと歩いていると、外から蹄の音が聞こえて、ハロルドが戻ってきたことを知った。
「戻られたのね……」
時計を見ると、お昼を1時間ほど過ぎていた。
(今回は、随分時間がかかったな……どこに行っていたのかな? それとも一人で出かけるといつもこのくらいゆっくりなのかな?)
ハロルドと一緒に買い物にでかけても、いつもは1時間ほどで帰って来る。
だが、彼が家を出てすでに4時間は経っていた。
ちょうど玄関の扉が開いたので、私は階段を下りて、ハロルドを出迎えた。
「おかえりなさいませ」
ハロルドは嬉しそうに微笑んだ。
「ただいま戻りました」
そして、開け放たれた扉から荷馬車が見えて、私は身体が硬直した。
(何……あれ……)
荷馬車の上に高く積み上げられた箱や袋を見て驚愕した。どれも服飾関係だとわかる箱ばかりだ。
私は震えながら尋ねた。
「ハロルド……の物を……購入されたのですよね?」
ハロルドは私の頬に片手で触れながら美しく微笑んだ。
「ふふふ、全てアリシアさんの物ですよ。あなたに似合いそうな物を用意しました」
「え……」
私は再び荷馬車を見つめた。
(これ……全部……私の?)
足が震える。
どうしてこんなにたくさん買ってもらったのか意味がわからない。
ハロルドは私から手を離して嬉しそうに言った。
「とりあえず、中に運びましょう」
「は、はい」
私はハロルドと一緒に買ってきた箱を屋敷内のエントランスに入れた。
(運んでみると想像以上に多い……これを全部私に?)
本気で震えながら箱を中に運んだ。
一つ一つは軽いのに、なぜだろう、酷く――重く感じる。
するとキッチンより広いエントランスの半分が箱で埋まりさらに驚愕した。あの荷馬車は私の想像以上に物が入るようだ。
(こんなに……買ってくれたの? ど、どうして……?)
ハロルドは最後の荷物を運ぶと輝くような笑顔を向けながら言った。
「それでは、私は馬を休ませてきます。とりあえず、荷物はここに置いて食事をお願いします。お腹が空きました」
「あ、はい。お食事……すぐにご用意いたします」
私はエントランスを逃げるように出て、キッチンに食事の支度に向かった。
大量の荷物を見て、私はどうすればいいのかわからない。
もしかしたら、私は元婚約者のジャンに婚約破棄を伝えられた時よりもずっと動揺していたかもしれない。
(これはどういうこと? ジークと同じ理由で買ってくれた……わけじゃない……?)
ジークと同じように『この屋敷に相応しい服装をしてほしい』という雇い主の意向というのとは、違うように感じる。箱を見る限り、服だけではなく、バッグや靴そして装飾品の箱もあった。
バックや靴、装飾品は下働きの人間には必要ない物だ。
それに巨大な箱がいくつかあった。
あれは絶対にドレスだ。しかも夜会にも行けるような本格的な物だろう。そうでなければあれほどの大きさになる箱はない。
(どういうこと? 私はすでに、ハロルドにとってパートナーのような存在になったということなの?)
私はまだはっきりとハロルドに返事をしたわけではない。
彼とのキスは嫌ではない。
でも、ハロルドの置かれている環境がわからないのに安易に思いに答えてもいいかどうかわからない。
なぜなら、ハロルドはあれほどの物をポンと買えてしまえるほどの財力と、権力を持つベルク伯爵家の人間なのだ。一方、私は男爵家の人間で、婚約破棄をされた過去がある。
貴族同士の結婚とは、本人の意志だけで決めることができるとは思えない。
もしも無理やり本人の意志を貫くのなら、貴族籍を抜くか……既成事実を作るしか方法はないだろう。
(既成事実か……うっ……)
修二と花蓮や、ジャンとミシェルのことを思い出して、心が淀みそうになるのを必死で振りほどいた。
「とにかく今は、食事を作ろう。今日はパスタだし、すぐにできる」
またしても現実逃避かもしれないが、今の私には料理を作ることしかできそうもない。
とにかく私は料理に集中することにした。
パスタを茹でる間に、すでに切って準備してあった食材を別の鍋に入れてソースを作る。
軽快に鍋を振ってソースが出来る頃にちょうど、パスタが茹で上がった。
(パスタも、そろそろいいかな)
あとは、パスタとソースを絡めれば完成する。
お皿を用意して、フォークとスプーンを並べた。
(ハロルド、まだかな?)
いつもはすぐに戻って来るのに今日はずいぶんと遅くて心配になって、外に続く扉を開けようとした時だ。
「あ~~いい匂いですね」
ガチャリと廊下に続く方の扉が開いて心臓が跳ねた。
見るとハロルドが、にこにこと機嫌良さそうに入ってきた。
馬小屋から戻ってくると想定していたので、てっきり外から戻ってくると思っていたが、中の扉から入って来て驚いた。
私は動揺を見せないように伝えた。
「もうできますよ。手は洗いましたか?」
私が声をかけるとハロルドが声をあげた。
「まだです。手を洗ってきます」
ハロルドが隣の洗面台に手を洗いに行ったので、私はパスタとソースを絡めて仕上げをした。
「出来た」
そしてハロルドが戻って来て、椅子に座ったので、彼の前にパスタを盛りつけたお皿を置いた。
「今日はパスタですね!! 嬉しいな」
ハロルドは弾んだ声を上げながら私を見上げた。
上目遣いで本当に嬉しそうに見上げられて、私も嬉しくなる。
「ふふふ、たくさんあるので好きなだけ食べてくださいね」
「はい!!」
私も席に座ると、二人でお祈りをして食事を始めた。
「おいしいです!!」
相変わらずハロルドの食べる姿は癒される。
心の底からの笑顔でおいしそうに食べてくれるので、作ったかいがある。ハロルドの幸せそうに食べる顔を見ていたら、だんだんと心が落ち着いてきた。
「おかわり、お願いします」
「はい!」
私は少し落ち着きを取り戻して、ようやく冷静にハロルドの顔を見られるようになった。
その後食事は終わり、私はハロルドに尋ねた。
「食後のお茶をご用意いたしましょうか?」
ハロルドは満足そうに言った。
「はい、お願いします」
私はお茶を入れて、ハロルドの前に置いた。
「おいしいです」
のんびりとした空気のハロルドを見て私ものんびりとした気分になった。
ところがその空気は一瞬で崩れた。
「そろそろ、買って来た服を見ていただけませんか?」
私はごほっとむせそうになってカップを置いた。
(そうだった……大量の服……)
私は現実を思い出した。
「わかりました」
私はハロルドを見てうなずいた。するとハロルドが椅子から立ち上がり、私の手を取った。
「行きましょう!」
「……はい」
(ああ、一体どんな物があるのだろう……私は何を返せばいいのかな……)
私はハロルドに手を引かれて、少し重い足取りでエントランスに向かった。
だが、先ほど置いたはずなのにエントランスからは箱が消えていた。
(あれ……荷物がない……どこかな?)
不思議に思ったが、ハロルドは止まることなく歩き続けて、どうやら1階西側のアトリエに向かっているようだった。
(……アトリエ? どうして? いつの間に運んだのかな?)
なぜアトリエに向かっているのかわからない。
そして私は、ハロルドにアトリエの奥のいつも絵を描いている大きなベッドのある部屋に連れてこられた。
「ここです」
ベッドの奥に空き箱が山積みになっており、すでにベッドに大量の服が置いてある。
しかも服だけではなく、バッグや帽子、靴など夜会にでも行くのかと疑問に思うほどの質の良い物もある。
(やっぱり、ドレスもある……しかも……え……下着まで!? どうして!?)
驚いたのが、服やバッグなどだけではなく寝着や下着も用意されていたことだった。
普段は身につけないような大人びた下着まであって顔に熱が集まる。
(こんな布の少ない下着付けたことないよ……でも、下着まで……もしかして全部揃えてくれたの??)
どうやらハロルドは、私の身につける物を全てそろえてくれたようだった。
困惑を隠せずに言葉を失って立ち尽くしていると、ハロルドは夜会に着て行くような豪華なドレスを手に取った。
「どうですか? サイズは先ほどの服を持って行ったので問題ないと思います」
そして、ハロルドは手を引いて、私を大きな姿見の前に立たせた。
鏡の中には、ボロボロの服を着た私が映っていた。
そんな私にハロルドが薄い赤のドレスを当てて見せてくれた。
一瞬で私の見た目が変わり目を疑った。
(シンデレラの魔法使いみたい)
それほど、劇的な変化だった。
私の深緑と茶色の髪に、薄い赤いドレスはよく映えた。こんな色の服を人生で一度選んだことがない。
ハロルドは鏡の中の私を見て満足そうに「うん、やっぱりよくお似合いですね」と言って嬉しそうに笑った。
私も鏡を見て驚いていた。
(私……こんなドレスが似合うんだ……)
さすが画家というべきか……服を選ぶセンスが抜群だ。
自分では選ばない色だが、いつも以上に上品に見えた。
私は鏡を見ながら自分でもよくわからないまま口を開いた。
「正直に言って、自分でも驚いています。新しい自分に気付けて嬉しいですが……こんな素敵な服を着る機会がありません……ですのでせっかく買っていただいても申し訳なくて……」
ハロルドは私を鏡越しに見て微笑んだ。
「ふふふ、着る機会がないなんて、そんな心配はいりません。では次です」
「え!?」
着て行く場所がないというのは、結構重要ではないだろうか?
私はそんな疑問を持ったがハロルドに次々に服を合わせられ、その度に自分がよく見えるので驚いていた。すでに冷静な判断が出来なくなっていたのだった。
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