告白調停機関 ~その恋、きれいに終わらせます~

チャーハン@新作はぼちぼち

第1話 依頼

「昨日の夜から今朝までで、彼から届いたメッセージの数。……どう思います?」


 放課後の空き教室。

 白国雪しらくにゆきは、目の前の女子にスマホの画面をずいっと突き出した。


「…………」


 女の子は、自分のスマホをぎゅっと握りしめた。

 画面の端には、「ごめん、今どこ?」「既読つかないけど」「怒ってる?」みたいな通知が、豆粒みたいにびっしり並んでいる。


「これ、あと一週間このままにしたらどうなると思います?」


「……ストーカー、とか……」


「正解。もしくはクラスで『あいつに遊ばれた』って逆ギレの噂まき散らされるか。またはラインを超えた噂をされるかもね。どっちにしても、ゲームオーバー」


 雪は腕を組んで、いかにも「専門家です」みたいな顔をした。


「そうならないように手を打つのが、私たち。――学園非公認・告白調停機関」


「……なにそれ。名前からして怪しいんだけど」


 女子が引き気味の声を出す。

 まあそうだろう。初見の反応としては正しい。


「簡単に言うと」


 雪がノってくる前に、俺は口を挟んだ。

 ここから先を喋らせると、パンフレットでも配りかねない。


「告白の“後始末”屋。『好きです』『ごめんなさい』のあとでこじれそうなとき、間に入ってブレーキかける係」


「……別れさせ屋?」


「そこまで悪どくない。もっとこう……ソフトな清算屋?」


「ネーミングセンスないわね」


 雪が素で引いた顔をする。

 いや、そのクソ長い正式名称考えたのお前だからな?


 俺は天城瞬 《あまぎしゅん》。とある県立高校二年。

 恋愛経験ゼロ。恋バナ興味ゼロ。胸がドキドキしても「多分走りすぎたせい」で片づけるタイプ。


 そんな俺が、よりによって「恋愛の後始末係」をやっている理由はひとつ。


 ――『告白された子の彼氏役、やってくんない?

 本物じゃなくて、うちの“仕事用”の彼氏』


 そう笑った白国雪に、「ちょうどいいじゃん」と指名された、その一言のせいだ。


 *


「で、三浦さんだっけ。状況、もうちょっと詳しく教えてもらっていい?」


 机をコの字に寄せて、俺と雪と、依頼者の女子――三浦――が向かい合って座る。

 外ではどこかの部活が、まだ元気に掛け声をあげている。


 三浦は、うつむいたまま、ぽつりと口を開いた。


「……最初は、普通に、好きだったんです」


 よくある入り方だ。


「同じクラスじゃないんですけど、体育祭の実行委員になって、一緒に準備してて。真面目に仕事するし、フォローとかもしてくれて……それで、なんか、いいなって」


「うん」


 雪が相づちを打つ。

 俺はペンを持ったまま、三浦の表情と、手の動きと、呼吸の速さをぼんやり観察する。


 震えてるのは、恐怖。

 声がかすれてるのは、罪悪感。

 目線が俺にだけ飛んでこないのは、「ジャッジされる」ことへの警戒。


 頭の中で、ラベルを貼っていく。

 俺にとって、人の感情は最初からこうやって分解されて見える。

 パズルのピースを並べるみたいに。


「告白されたのは、向こうから?」


「はい。体育祭終わったあとに、呼び出されて……『ずっと好きだった』って。嬉しかったです。そのときは」


「そのときは、ね」


 雪がわざとらしく言葉を切る。三浦が小さくうなずいた。


「最初の一ヶ月くらいは、本当に、楽しくて。LINEも、おはようとおやすみと、たまに他愛ない会話するくらいで。休日に一回会うかどうかで、ちゃんと、距離感も……」


 そこまで話して、三浦は自分のスマホを見下ろした。

 通知の「×23」という表示が、やたらと目立つ。


「でも、だんだん……」


「増えた?」


 俺が言うと、三浦は苦笑いを浮かべた。


「……はい。最初は、『もっと話したいのかな』って思ってたんですけど。五通、十通……返信してないのに、どんどん来るようになって」


 俺は「連絡頻度:ここ一週間で相当増加」とメモする。


「最近は?」


「既読つける前から電話が来ます。バイト先も、一回だけ教えたんですけど、この前、シフトの時間に合わせて店の外で待ってて……」


 そこで、三浦の声が少し低くなる。


「『会いたくて』って笑ってたんですけど。なんか、怖くて」


 怖い。

 その感情だけ、彼氏に対して向いている。矢印の向きが、そこでくるっと反転している。


「それ、直接言った?」


 俺が聞くと、三浦は首を振る。


「言えなくて。『ごめん、最近バイト忙しくて』とか、『スマホ壊れてた』とか、適当にごまかして……やっぱり、傷つけたくなくて」


「それはもう傷つけてるわよ」


 雪があっさり言う。


「期待させて引っ張って、途中で手を離すのが一番痛いの。……っていうのは置いといて」


 雪は自分のペンをくるくる回しながら、机にメモ帳を広げた。

 そこには、太い字で「NGワード」と書かれている。


「別れ話のときに言っちゃいけない言葉、三つ。『重い』『嫌いになった』『最初から無理だった』。これアウト」


「……テレビの恋愛番組みたい」


 俺がつぶやくと、雪は肩をすくめた。


「統計よ、統計。ここ一年で、校内の別れ話二十三件、聞き取りした結果だから」


 自慢げに言うことじゃない。


「で、三浦さんの本音はどこ?」


 雪が、今度は優しい声で聞いた。

 三浦はしばらく黙って、それから、ぽつりと落とす。


「……最初みたいには、もう戻れないって思ってて。でも、『別れよう』って言葉を出した瞬間に、あの人が、なにするかわからないのが、一番怖いです」


 ああ、そこか。


 俺の頭の中で、感情の図がひとつ完成する。

 彼氏の「好き」は、もう恋じゃなくて、不安と支配欲のごちゃまぜだ。

 三浦の「優しさ」は、もう思いやりじゃなくて、罪悪感と恐怖の蓋になってる。


 このまま続ければ、その蓋はいつか爆発する。

 雪がさっき言ったとおり、「清算」じゃなくて「破壊」になる。


 俺の脳内には、その「最悪な終わり方」のパターンがいくつか並ぶ。

 教室での怒鳴り合い。

 SNSでの晒し合い。

 友だちを巻き込んだ派閥戦争。

 どれも、一回始まったら止めるのは面倒だ。


「了解。ケースとしては、まあ……中の上ね」


 雪がメモを閉じる。


「中の上?」


「ストーカー未満、でも油断したら一線越える予備軍。救済の余地はあるけど、タイミングと言い方ミスったら一気に炎上。そんな感じ」


 火事かよ。


「で、どうしたいのか。そこが一番大事」


 俺はペンを置いて、三浦をまっすぐ見る。


「別れたいのか。それとも、距離感だけ調整したいのか」


 三浦はきゅっと唇を噛んで、それから、はっきりと言った。


「……別れたいです。でも、あの人を……壊したくない」


「うん。はっきりした」


 俺はもう一度、ノートを開く。

 「目的:別れる」「条件:相手を壊さない」と書く。


 文字にすると、途端にシンプルだ。

 やることは、その条件を満たす手順を組んで、実行するだけ。


 感情はわからない。

 ただ、構造なら、整理できる。


「じゃ、作戦会議入りまーす」


 雪が手を叩いた。


「報酬は、うちの新作どら焼きの試作品一箱ね。それで手を打ってくれるなら、この案件、うちで引き受けます」


「どら焼きで命の相談受けるな」


「バイト代わりよ。ね、瞬」


「……俺の了承も取ってくれ」


 三浦は、少しだけ笑った。

 さっきまで詰まっていた空気が、ほんの少しだけ、軽くなる。


 *


 別れ話は、段取りが八割だ。


 場所、時間、第三者の有無。

 相手の逃げ道を残すか、あえてふさぐか。

 感情が暴走したとき、どうやって止めるか。


 雪はホワイトボード代わりのルーズリーフに、さっさと項目を書き出していく。


「場所は、学校近くの公園ね。人目はあるけど、クラスメイトがうろうろするほどじゃない」


「ファミレスは?」


「感情が高ぶった人間を、ドリンクバーの前で止めるのは難しいわよ。狭いし、周りの迷惑になるし」


 妙に実感のこもった口調だった。過去にやらかしたな、これ。


「時間帯は夕方。部活終わりで人通りあるし、真っ暗じゃないから、三浦さんも怖くない」


 雪がチェックを入れていく。

 俺はその横で、三浦に質問を投げる。


「彼氏、田島だっけ?」


「はい。田島くんです」


「田島は、怒ったときどうなるタイプ?」


「……声が大きくなって、早口になって。でも、手を出したりはしないです。多分」


「多分は信用しない」


 俺は首を振った。


「もし掴まれたら、大声出せる?」


「えっと……」


 迷っている。つまり、難しい。


「じゃあ、その場合は俺が割って入る。最悪、先生呼ぶから逃げろ」


 俺があっさり言うと、三浦は目を丸くした。


「先、輩は……怖くないんですか?」


「何が?」


「田島くん、怒ったら……」


「怒ってる人見るの、嫌いじゃないから」


 本音を言えば、「怖い」とか「可哀想」とかいう感覚が、最初から薄いだけだ。

 ただ、「ああ、こういうパターンか」って観察してしまう。


 人としてどうなんだろうなとは思う。

 でも雪は、それを便利に使うことにした。


「瞬はね、人が取り乱してても動じないのよ。そういう意味では最高の盾」


「褒めてるそれ?」


「超褒めてる」


 雪はニコッと笑って、それからペンをトントンと鳴らした。


「じゃ、役割分担。三浦さんは、本音をちゃんと言う係。瞬は、暴走を止める係。私は、裏方で全体のタイミング見る係」


「裏方?」


「LINEでカウントダウンとかするのよ。『そろそろ切り上げろ』『危険度レベル3』とか送る係」


 ふざけてるようで、実際やる。こいつはそういうやつだ。


「それと、本音。そこが一番大事」


 雪はペンを置いて、三浦を見る。


「さっき、『怖い』って言ってたけど、それ以外は?最初のころの田島のこと、今でも、ちょっとは好き?」


 三浦は長く息を吐いて、それから、うつむいた。


「……嬉しかったのは、本当です。わたしなんか選んでくれて、こんなに大事にしてくれて。でも、その“大事に”が、だんだん“縛られてる”みたいに感じてきて」


 言葉を探すように、ゆっくりと続ける。


「“嫌い”になったわけじゃないです。ただ、このまま一緒にいたら、わたしも、あの人も、どこかで壊れちゃう気がして」


「それ、それ」


 雪が指を鳴らした。


「それが三浦さんの本音。『嫌いじゃない。でも今の形のままは無理』。――そのまま言えばいい」


「そんなに簡単に……」


「簡単じゃないよ」


 俺は口を挟む。


「簡単じゃないけど、そこから逃げたら、もっとめんどくさいことになる」


 図にすると、一本道なんだ。

 “言う”か、“言わないふりをし続ける”か。

 後者は、どこかで必ず破綻する。


「俺たちは、“言う”って決めた人を、途中で折れないように支えるだけ」


 そう告げると、三浦はしばらく黙って、それから小さくうなずいた。


「……お願いします」


 その横で、雪がちらっと俺を見る。


「ほんと、ずるいよね」


「何がだよ」


「そういう言い方。『めんどくさいこと』とか『一本道』とか。本当は一番しんどい選択肢なのに、ちゃんと前に押し出してあげるとこ」


 冗談めかして笑ってるくせに、目だけはやけに真面目だった。


「……ずるいって言うなら、お前だってそうだろ」


「どこが?」


「『仕事用の彼氏役』とか言いながら、俺をこういう修羅場にだけ引っ張り出してくんだろ」


「だって」


 雪は少しだけ目を細めた。


「ここにいてほしいんだもん。――“役”でもいいからさ」


 その一言は、冗談にしては重すぎて、聞かなかったことにした。

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