第11話 間奏


 翌朝——

 あれからすぐに就寝したヴァンドーラは、すっきりした朝を迎えていた。

 寝不足気味であった体に活力がよみがえって、腹の虫を室内に響かせる。


「そういえば、何も食べていなかった気がするわね」


 ベットから起き上がって自室を出た彼女は、廊下から差し込む光に目をしばしばさせる。

 早朝時、物音一つない静かな頃合い。他の生徒はまだ夢の中。

 自然石と古木の回廊に朝日が差し、以前は感じ得なかった心地よさを彼女に与えた。そうして歩いていると、進行方向から思わぬ人物と相見える。


「っち……何でお前がここに」


「随分な言い草ね」


 視線を交わらせるや否や舌打ちをするカーラー。

 朝が苦手なはずの彼女。失神させられた影響からか、いつもより起床が早い。


「その様子だと、よく寝られたみたいね」


「うるせぇクソが。次はぶっ殺す」


「ふふっ、出来る?」


 朝から虫の居所が悪いカーラーにも遠慮せず言い返す。

 完膚なきまでに叩き潰された彼女は、昨日の出来事を思い出しながら複雑そうに拳を握りしめた。


「……この借りはいつか必ず返す」


 そう、吐き捨てた彼女は早足でその場を後にする。

 その背を静かに眺める。内で燻る火の粉がやや萎えていくよう。


「いつか……気の遠くなる話ね」


 少女は彼女の軌跡を眺めながら囁いた。

 カーラーが退いて、ヴァンドーラは進む。たったそれだけの朝の一幕。

 しかしそれは、両者の間に明確に引かれた『格』という名の境界線であった。


 さらに回廊を進むと、今度は香ばしい匂いが鼻をくすぐり始める。

 食堂に足を踏み入れた少女は、厨房の奥から聴こえてくる包丁の音や、フライパンで焼かれる食材たちに空腹を刺激された。


「おや? 初めて見る黒髪美女だっ」


 厨房の女性スタッフは、初めて見る少女に陽気に話しかけた。


「おはようございます。昨日転入してきたばかりで」


「ああ、そうかい。朝早いわねぇ」


 ヴァンドーラが軽く応答して、厨房カウンター上部のメニューの目を向ける。

 そこには朝食用のメニューがずらりと並んでおり、これまで朝を抜いてきた彼女は一番人気のメニューを試すことにした。

 

 それから二言三言雑談した後、すぐに食事の乗ったプレートを受け取る。

 人気のないフードコートカウンターに腰を下ろすと、少女は無意識に生唾を呑み込んだ。

 選んだメニューは、響蜂ソノ・ヴェスパの蜂蜜パンケーキに、古牙の森産ハーブとキノコのオムレツ。サイドには季節のフルーツが散りばめられたサラダが添えられる。テオドーラ時代には一度も頼めなかった朝限定メニューであった。


(今思うと、出来もしない魔法の特訓をしていたのが馬鹿みたいね)


 そんな豪華なメニューを見てヴァンドーラは自嘲した。

 しかし、オムレツから立ち昇る湯気が硬直する顔を撫でると、ハッと瞼を開いてすぐに気持ちを切り替える。

 それからパンケーキを口に運んだ彼女は、一口目で肩の力が抜けた。


(——!!)


 過去の自分を殴り飛ばしたくなるほどの美味さ。

 一転して上機嫌になった彼女は、咀嚼と嚥下を繰り返す機械と化す。そうしてあっという間に全てのメニューを平らげた後、食後の一杯として森のハーブティーまで嗜んでいた。

 少女が満足そうな表情を浮かべていると、背後からスタッフではない別の足跡が聴こえてくる。


「早いわね。アンタも食事目当て?」


 現れたのは、一番の落ちこぼれ女学生ネリコ。目つきの悪さが二割増しなのは、寝起きだからか、それとも。


「たまたま早く目覚めただけよ。貴方は?」


「食事目当てに決まってるわ。無料で提供されるのに使わない手はないでしょ? それに、早朝に来れば出来立てを並ばずに食べられる」


「無料じゃなくて、学食代も学費に含まれてるだけよ」


「知ってるっての、細かいわね」


 そういってネリコはカウンターの方へ向かい、すぐに同じメニューのプレートを持ってきた。

 ちなみにここの学食のは貴族すらも舌鼓を打つほどらしく、平民の彼女がこの食事をどう思っているかなど想像するまでもない。卒業した者の中には、学園にいた時期こそが人生で一番幸せだったと言う者すらいるほど。

 心を弾ませながらパンケーキを口に運ぶ彼女を眺めるヴァンドーラは、何気なしに問いかけた。


「……学園の生活はどう?」


 食器を持つ手の動きが止まる。その表情は一瞬にして曇った。


「最悪よ……。この瞬間以外はね。落ちこぼれだの負け犬だの、私が無属性の平民ってこともあって外野は好き勝手言ってくる」


「努力すればいいじゃない。食事で早起きするくらいなら」

(才能持っているクセに)


 彼女の泣き言が少しかんさわってしまったヴァンドーラは、意地悪を吐いた。

 その言葉が心に深く突き刺さったようで、カトラリーの持ち手が小刻みに震える。


「私だってねぇ……、好きで落ちこぼれてるわけじゃない。食事くらいは楽しまないとやってらんないってーの」


 力無く吐露した声色は、消え入りそうなほどに語尾を霞ませる。

 朝食を運んできた時に見せた顔は見る影もなく。

 そしてネリコは溜息を溢した後、瞼を擦って呟いた。


「……きっとすぐに、テオドーラと“同じような”事になるんでしょうね」


 神経質で平民という立場のネリコには、中傷を無視したり、言い返すことのできる余裕などなかった。彼女は傷ついた心を満たすよう、自暴自棄に食事を頬張る。

 二人の間に、しばらく食器音だけが流れた。


 ヴァンドーラは、何となく特徴のある食事風景を眺める。どうやら食べ進め方にこだわりがあるようであった。

 必ず、パンケーキ→サラダ→オムレツ→サラダの順で進行し、最後にハーブティーで流して最初に戻るのだ。こんなところにも人の性格が表れているのかと感心していると、最終的にネリコは、全てのメニューをぴったりと同時に処理し終える。


 打って変わって満ち足りた表情となった彼女を見届けたヴァンドーラは、まるで小さい子を見ているような微笑ましい気持ちになって、満足気に立ち上がる。

 ビクリ——と、無意識に身体を反射させたネリコを後目に、ヴァンドーラは意味深な言葉を告げた。


「——貴方が“そうなる”事は無いわ。……決して」


 顔を上げたネリコは困惑して様子を伺う。

 そんな彼女を一瞥した後、去り際にもう一つ置き土産を残した。


「試験は初日で終わる。だから二人にも伝えておいて。試験よりも進級した後のことを考えておきなさい——って」

 

 まるで、既に決まった事のよう。

 ネリコは思わず呆気にとられる。上から目線でそう言い残していった背中から、しばらく目が離せずに。

 

「何よ、偉そうに……」 


 不機嫌そうな、しかしどこか頼もしげに感じながらぼやいた。

 カーラーを瞬殺したヴァンドーラの才能と実力に、ネリコは内心嫉妬している。しかし味方となった今、その言葉がこれほど頼もしいものであるか心から理解し、自身が情けなくもあった。

 それからしばらく俯いたまま沈黙していると、突然我に返ったようにハッとして、いなくなったヴァンドーラへ向かって叫んだ。


「ていうかアンタ——テオドーラのこと知らないでしょうが!」


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