第3話 覚醒
目を醒ましたテオドーラは、見覚えのない天井と視線を交えた。
気怠い体をゆっくりと起こすと、そこは明らかに自室——というより実家ですら無い。
そんな質素な一室でぼんやりとする彼女は、心の中で微かに芽生える予感と共に重い腰を上げる。
「——……!」
すると、机の上にある一枚の置手紙と袋が目に入る。
手紙は丁寧に折りたたまれており、紙の上には、万が一風で飛ばされないよう袋が重し代わりになっていた。
手紙を開き内容を確認する。
直後、呆けていた頭が瞬時に覚醒した。
——————
テオドーラ様へ
教育係として何の力にもなれなかった私をお許しください。
私奴に出来る事はこれくらいしかありませんでした。
願わくば、この先お嬢様が進む道に《光》があらんことを……
——————
手紙が手から滑り落ちた。全身の力が、一気に抜けるのと同時に。
重しになっていた袋の中身は——五枚の金貨。
十中八九、ヘセドの懐から差し出されたもの。
「は……ははっ……ははは……」
テオドーラは思わず、乾いた笑い声を震わせる。
——夢だと信じていた。昨日のアレはただの悪い夢だと。
しかし、目の前の現実はどうしようもないくらいに真実を告げていた。
現実から逃避するように、何度も手紙の文字を目でなぞる。
その時——
「ん、起きたみたいだな——」
突然、ドアが開く。ノック音にも気づかなかった少女は咄嗟に身構える。
「っと! 慌てるな。この宿の主だ」
現れたのは顎髭を蓄えた
食事の乗ったプレートを手に、怯える少女を落ち着かせる。
彼は、これまでの事情を説明しはじめた。
「様子を見に来たんだ。昨日の夜、執事みたいなヤツが気絶したお前さんを突然、連れてきたもんだからよ」
「……あ……えっと」
「訳アリだろ? 迷惑料として多めに貰っているから、金は心配せんでいい」
「……ありがとう、ございます」
男は、俯いたまま返事をする少女に朝食の乗ったプレートを差し出す。
プレートの上には、バツ印のクープが入った大きめのパンと、湯気が立ち昇る豆入りスープの皿が一つ。
テオドーラは、自分が『平民』になったのだと痛感した。
「連泊する予定なら銀貨一枚。昼までに用意できるなら部屋はそのまま空けとく。両替は出来ないからな」
少女は意気消沈した顔で頷く。
そしてすぐにハッと意識を取り戻し、覇気のない声色で男に尋ねた。
「……最後に何か、言ってましたか……」
「ああ、意味はよくわからなかったが……『学園には既に報告済み』とだけ」
その言葉が静寂と生み、重い空気が二人を包んだ。
直後、カタカタと微かな金属音が響きわたる。
その様子に同情した男は、彼女の肩を優しく叩き静かに部屋を去っていった。
肩に伝わった温かな感覚すら、心痛に変換される。
(立ち去った時に持っていた書類は……)
父との最期が頭を過り、その意味を悟る。
そして同時に、昨日まで着ていたはずの学生服が平民用の服に変わっている事に気付き、無意識に乾いた笑いを響かせる。
それから無理矢理頭を切り替え、頭の中で計算を始める。
——手持ちの全財産は金貨五枚。
(銀貨・約六十枚相当。食事付で一泊銀貨一枚だから、単純計算で六十日分……)
それが残りの寿命に等しい。少女は執事のポケットマネーに深く感謝する。
だが問題は、この金が尽きる前に仕事が見つかるかという話。
(もしも、私が男なら……)
日々勉強漬けだったテオドーラに出来る力仕事などあるはずもなく。
勉強ばかりで社会を何も知らない、にも関わらずその魔法すら使えない。そんな小娘に務まる仕事など、魔法で発展し続けたこの世界には皆無に等しい。
あるとすれば、この身体を売ることくらいか——
テオドーラは自身の胸に手をかざす。次第に、堪えていた涙が頬を伝う。
どれだけ考えても先の見えない未来。
静かな嗚咽を漏らしながら食事に手を付けた。今日を生きるために。
食事を終えてすぐ、階段を下り、宿の扉を開ける。
すると視界に飛び込んで来たのは、各種屋台や商店の波であった。
活気ある街の喧噪は少女を圧倒させる。
初めて体感するその景色——テオドーラは傷ついた心を癒すように街を巡り束の間の至福を得た。時間を忘れてしまうほどに。
だがそれはほんの一瞬。紛れた気は、すぐに現実へと引き戻る。
「どうしよう……宿の事忘れてた……」
人生初の経験が仇に。少女は完全に目的を失念していた。
既に陽は傾き、人の波は引いていく。浮き足立つように宿探しを始めるも、通りの店はすでにどこも満室であった。
(ああどうしよう、どうしよう……)
表通りに構える最後の宿を追い出された時には、あれだけ活気溢れる街も一転して、不気味な様相を呈していた。
(こっちならまだ空いてるかも……。でも……でも……)
いくら世間知らずとは言え、裏路地の危険性は彼女ですら理解している。
葛藤しながら辺りをウロウロし始める。
瞬間——背後から不意に肩を叩かれた。
「お嬢ちゃん、こんな時間に何してるの?」
耳に届いたのはやや軽薄そうな男の声と、下品な笑い声。
思わず鳥肌が沸き立つ。
即座に振り返って身構えると、印象通りの男達が微笑んでいた。
長身、中肉中背、小太りと特徴的な三人の男。世間知らずの小娘ですら感じ取れる危険性が、表情から滲んでいる。
テオドーラは怯えるようにその場を離れる。しかし彼らはすかさず手を伸ばし、征く手を遮った。
「おっと、一人で歩くのは危ない! お兄さん達と一緒に行こう……」
「宿が見つからなかったんだろ? 大丈夫大丈夫! こっちには秘密の宿があるんだ」
「今日はそこで、お兄さん達と休もうね」
男達はまくし立てるように言いながら、震えるテオドーラの腰に手を回して強引に暗い路地へと誘導した。
少女の心臓が内から激しく打ちつけるよう。
冷たくなっていく手足。そうして動けずにいると、つけ上がった男の手がスッ……と、撫でる様に動いた。
「——嫌ッ!」
パチンッ!——弾ける音と共に、
刹那。男達の顔が豹変。
全員の時が止まる。
意を決したテオドーラは、全力で裏路地を駆けだした——
「このガキッ——!」
「追うぞ。装いは平民だが髪質からみて貴族だ。あの金髪は高級娼館で売れる」
「顔も良かったしな。平民でもきっと高値が付くぜ……」
リーダーと思われる長身の男が追いかけると、残りの二人は散会して追い詰めていく。地の利に長ける彼らが、体力も無く道にも明るくない彼女を捕らえるのにそう時間は掛からなかった。
「あ~ら、残念ッ!」
「いつの間にか袋小路ッ」
目の前に立ちはだかる壁。
行き止まりに追い詰められた彼女の足はガクガクと震えはじめた。
「ひでぇ目に遭いたくなきゃ、大人しくしてな」
喉には空気が詰まったような感覚。助けを求めようにも、上手く声が出せない。
まさに絶体絶命。
テオドーラは辺りを見渡し、近くのゴミ箱を投げたりと、懸命に起死回生の一手を模索する。
そんな必死の行動を本性を露わにした男達は、いやらしい笑みを浮かべながら楽しんでいた。
「世間知らずのお嬢ちゃんっ、鬼ごっこの次は何しようかぁ?」
「鬼に捕まった人間達がどうなっちゃうか、わかるかなぁ?」
「金持ち生活から一転——! 変態共の性奴隷ってトコですかぁ!?」
ギャハハハッ——
そんな下卑た声は、少女をさらなる絶望へと導いた。
もう諦めるしかないのだろうか。思考を放棄しかけたその時——
『魔法』という言葉が過る。
その最後の希望は
彼女は過呼吸になりかけていた呼吸を整える。
そして、学んできた魔法を一つずつ思い出した。——冷静に、現状を打開するために最適の魔法。内に宿る魔力を全身で感じた。
「お嬢ちゃんっ、おてて伸ばして何しているんだい?」
「……なぁにボソボソ言ってんだ?」
両手を伸ばし、悟られないよう詠唱文を紡ぐ。
二人の男が訝し気に彼女を見ている中、何かを察したリーダーが咄嗟に叫んだ。
「——コイツ、魔法使いか! お前ら、止めろ!」
二人の男がその言葉で一瞬怯む。
その隙を見逃さなかったテオドーラは、怯える声帯で力いっぱい叫んだ。
(——お願い……! 発動して!)
『 ——光弾《フォトン》! 』
咄嗟に防御姿勢を取る男達。
しかし、何も起こらなかった——
すると男達は全員、目の前で顔歪ませる彼女に思わず吹き出す。
「おいおい……ビビらせんじゃねーよ!」
「へへっ! なるほど落ちこぼれか」
それでも最後まで魔法を信じ、唱え続けた。
『——光盾《シールド》!』
魔法が使えないのだと悟り平静を取り戻す男達が少女へにじり寄る。
(盾でも、結界でも目くらましでも何でもいい……! 出て……!)
『出てよ! 結ッ——』
「はぁい、夜は静かにしようね? お嬢ちゃんっ♡」
それでも何も起きなかった。
そうしてすぐに羽交い締めにされ、口を覆われる。
テオドーラは必死にもがき、異変を知らせるよう声にならない声を上げ続ける。 しかし、口を覆うその手はすぐに首へと回った。
「——かっ……ぁぁッ……!」
絞みついた腕が声帯を閉め上げ、声すらも失う。
少女は本能的に腕を解こうと
「……静かにしねぇとぶっ殺すぞ」
ドスの効いた低音がテオドーラを完全沈黙させた。
少女の腕が力無く、垂れ下がる。
まるで嘲笑うかのように身の周りを静寂が支配した。
されるがままになった彼女は、衣服を剥ぎ取られ、縄で手を縛られる。
ついに絶望し、生気を失ったその瞳で、ただ静かに夜空を眺めていた。
——そして彼女は、この世のすべてを憎む。
父だった男に始まり、己の無才、嘲笑する学園の人間、目の前の犯罪者たち。
さらには学んできた魔法。そして……最期まで信じていた《光》すらも。
彼女の内に確かに宿る光の根源が、闇のように黒く——染まっていく。
もはや悲しみという感情は消え失せた。
その代わり、感じたことのない激しい怒りが、焔となって燃え盛る。
直後、テオドーラの心は静かに決壊した。
何かが爆ぜる音共に、思考は崩れ、ただ感情だけが残る。
——なんとくだらぬ人生だろうか。
今日まで必死に生きた一四年——
愛すら受けず、言いなりで過ごすだけ。……その結末がこのザマとは。
——なんとくだらぬ世界だろうか。
『魔法が使えない』——ただそれだけで、こんなにも見下され、生きる術も知らぬまま家族にまで捨てられ孤独に朽ち果てる。
そんな地獄のような世界であったとは。
……なんと醜く、なんと歪んだ世界だろう。
こんな世界、決して認めてなるものか。
私を貶めるだけのこんな世界に、価値などあるものか。
なんと
もしも——
もしもこの私に、力さえあれば……
こんな無意味な世界・人間・その他一切合切、全て……
『 すべて、圧し潰してくれるわ————!!!!!! 』
その時、僅かに輝く根源は完全に黒く染まり、両目に魔法陣が浮かび上がった。
刹那——グシャリと鈍い音と共に、取り囲む男達が一斉に圧し潰れて肉塊へと姿を変える。
吹き出した鮮血が、大量の雨となって一面を紅く染めあげた。
運命か呪いか——テオドーラは『発現条件』を満たした。
この世界に『新たな原初そのもの』として、生まれ変わるための条件を——
「——はっ! あっはははッ……! あーっはっはっはっは!!」
けたたましい高笑いが夜空を切り裂く。
そして、自身を纏う正体不明の暗黒が翼となって、少女を空高く舞い上げた。
自由を奪っている縄は、暗黒によってボロボロと崩れ落ちる。
月光に照らされて赤く煌く少女。
それから突如、どこからともなく聴こえてくる言葉に意識が集中する。
(——これは……!)
少女は小さく嗤った。
「これが、神から与えられる名——《
ヘセドから聞かされた伝説を思い出す。
それをその身で味わうことになった彼女は、余韻に浸りながらその言葉を脳内で反芻させた。
まるで、地獄の監から解き放たれたかのような気分。
大手を広げた小さき原初は、覚醒させた力を試すように風を感じ、その後、天に向かって新生した自身の存在を刻みつけた。
「我が新名は《ヴァンドーラ》……全てを無に帰す“原初の闇”——」
漆黒の羽が星のように輝きを放ちながら天高く舞い上がる。
——それは、この世界へ向けた宣戦布告のように。
これより、世界を憎んだ幼き魔女の復讐が始まる。
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