リュミア裁判編06

第7話 白光の揺らぎ ― 静かな革命

白光の揺らぎ ― 静かな革命


一 白光のあと


 神意結界が融けたあと、

 誰もが数秒間、何も言えなかった。


 白い光はまだ漂い、

 青い光は、淡い余韻だけを残して消えていた。

 世界が確かに息を呑み、そして――何事もなかったかのように呼吸を再開した。


 裁判官は木槌を一度打ち、判決を宣言した。

 「神意の示すところ、罪の確証なし。被告人、無罪。」


 それだけ。

 民衆の歓声も、記録官の混乱もない。

 結界の外では、パン屋がいつものように開店の鐘を鳴らし、

 子どもたちが石畳の上を駆け回っていた。


 ――奇跡は起きた。

 だが、誰もその意味を知らない。




二 報告書


 翌朝、セレスティアは神意庁の記録室にいた。

 前夜の裁判の映像記録が、冷たい光晶盤の上で回転している。


 白と青。

 交わり、消えた、二色の光。


 その横で、同僚の記録官が低く呟いた。

 「映像の改ざんは……」

 「不可能よ。」セレスティアは静かに答えた。

 「神意結界の記録は、私たちの手では消せない。」


 記録官はため息をつき、書簡を差し出した。

 「上層部は“通達”を求めています。

  封印ではなく、最低限の整理を――ということです。」


 セレスティアはその紙を受け取る。

 そこにはこう記されていた。


 『神意結界下において発現した新たな魔法現象について、

 これを異端と断定するには至らず、

  当該魔法士の今後の結界下活動を妨げないこととする。』


 それだけ。

 無罪の報告よりも短い。

 内容はまるで、記録の片隅に置かれる凡例のようだった。


 彼女は読みながら、

 (これでいい――)と思った。


 神意庁が理を受け入れたわけではない。

 ただ、「否定できなかった」だけ。

 それが、唯一の真実だった。




三 静かな会議


 数日後、神意庁司法院の奥で非公開会議が開かれた。

 議題は「青光現象」。


 上級神官の一人が言った。

 「民の間では噂になっていない。幸いだ。」

 「現場の観衆も少なかった。神意結界は外界から見えにくい。」

 「異端視は避けられた。今のところ。」


 セレスティアは黙って聞いていた。

 長官が彼女に視線を向ける。

 「結界の管理責任者として、報告を。」


 セレスティアは立ち上がり、短く答える。

 「神意結界に異常はありません。

  干渉は検出されましたが、神意はそれを拒まず、静かに吸収しました。」


 「では、再発の恐れは?」

 「ありません。あの魔法士が、再び結界に立たなければ。」


 誰かが苦笑した。

 「なら、問題はないな。」


 会議はそれで終わった。

 彼らにとって、理の光など取るに足らない一件だった。

 ――“下級魔法士が少し珍しい現象を起こした”。

 それだけの記録として、棚の奥に閉じられる。



四 封じられないもの


 セレスティアは帰り道、庁舎の廊下で立ち止まった。

 結界管理局の扉を振り返る。


 あの青い光は、もう見えない。

 だが、目を閉じれば瞼の裏に焼き付いている。


 白の中に、確かに理は存在した。

 それを否定しようとした瞬間、

 ――神意結界が、彼女の魔法を拒んだ。


 神意は、神意庁よりも広い。

 法よりも古い。

 そして、理をも包む。


 そのことを理解してしまった自分を、

 セレスティアは恐れていた。


 (あの男――ユマ。

  彼の言葉が、神意に届いた。

  私が十年祈っても動かなかった光を、

  あの一言が揺らした。)


 彼女はそっと指先を見つめる。

 白い手袋の中で、まだ震えが止まらない。




五 小さな通達


 一週間後、神意庁官報の隅に、小さな記事が載った。


『第一結界廷審理における魔法干渉事例について報告。

  神意結界下において新たな発光反応を確認。

 本事例に関しては、結界および神意の安定を確認済み。

 当該魔法士ユマの今後の活動について制限を設けない。』


 それだけ。

 誰も読まない。

 読み取っても意味が分からない。


 広場の掲示板に貼られても、

 人々はただ通り過ぎる。

 子どもたちはパン屋の匂いを追い、

 商人は金貨の重みに一喜一憂していた。


 世界は何も変わらないように見えた。


 けれど――


 その小さな通達の裏側で、

 神意庁の記録システムにはひとつの新しい分類が追加されていた。


 > 【発光分類:青】

 > 【判定:不明】

 > 【備考:論理魔法】


 それは、誰の命令でもなく、

 セレスティアが自ら入力したものだった。



六 夜の風


 その夜。

 ユマは古びた事務所の窓から、

 白い塔を見上げていた。


 無罪のあと、誰も彼を称えなかった。

 神意庁の上層も、新聞も、

 誰ひとり「論理魔法」などという言葉を使わなかった。


 リュミアだけが、パンを一つ持って笑っていた。

 「先生、勝ったんだよね?」

 「……まあ、どうだろうな。

  誰も負けを認めてないから、きっとそういうことだ。」


 彼は窓の外の白光を見上げる。

 塔の頂に、わずかに青が混じっているように見えた。


 「リュミア。」

 「うん?」

 「もし誰も気づかなくても、理は残る。

  光はいつか、またあそこで――」


 彼は言葉を止めた。

 少女が眠そうにパンを抱いていたからだ。


 ユマは微笑んで灯を落とした。


 外の風が、わずかに青く光った。



七 セレスティアの記録


 その頃、神意庁の奥。

 セレスティアは自室の机で一枚の報告書を開いていた。

 タイトルの下に、彼女は静かに書き足した。


 『この件、民衆への広報不要。

 ただし、神意庁内部記録に保存のこと。

 当該魔法士ユマの再登庁の際は、結界安定措置を再確認せよ。

 神意が理を拒まぬことを、忘れるな。』


 最後の一行を書き終え、彼女は筆を止めた。

 息を整え、視線を上げる。


 窓の外、夜空にひとすじの青。

 ――誰も見ない光。

 だが確かに、そこにある。



八 誰も知らない革命


 こうして、論理魔法の最初の発現は、

 誰にも知られず、記録の片隅に残された。


 神意庁は封印も認定もせず、

 ただ「妨げない」とだけ通達を出した。


 世界の秩序は何も変わらなかった。

 祭壇の祈りも、神意の裁きも、

 今日も白い光のもとで行われている。


 だが――ほんのわずか、

 その白の中に、青の揺らぎがある。


 それに気づく者は少ない。

 けれど、それを見た者は、もう元の光を信じ切れない。


 神意の下で生まれた、ひとすじの理。

 それが後に、この世界の法を変える。

 誰も知らぬままに、確かに、

 静かに。



九 そして、日常へ


 数日後。

 ユマは久しぶりに仕事の帳簿を開いて頭を抱えていた。

 「……依頼、ゼロか。」


 リュミアがパンを齧りながら言う。

 「でも先生、無罪にしたんだよ? すごいよ!」

 「勝っても金にならないんだよ、リュミア。」


 ユマは苦笑しながら空の財布を振った。

 「神意庁の記録にも残らない勝訴なんて、

  世間から見れば、負けと同じさ。」


 リュミアは首を傾げた。

 「でも、青い光、きれいだったよ。」


 ユマは窓を見た。

 遠くに、白い塔。

 そのてっぺんに、ほんのわずかに、青。


 ――それでいい。

 理は、派手に光る必要はない。

 ただ、消えなければいい。

 前世で元最高裁判事が言っていた

 「司法とは葦である。暴風にも折れず、やめばまたひっそりと立ち上がる」という言葉をつぶやく。


 彼は机の上の古い羽根ペンを手に取り、看板に「宣伝文句」を書き込む。


《論理魔法士ユマ 法廷代理可(神意結界下対応)》


 誰も見ない小さな看板が、

 新しい時代の扉を、静かに叩いていた。


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