第一部 リュミア裁判編~神意と論理の法廷闘争

リュミア裁判編01

第2話 灰尾族の少女(初回接見)

 目を開けた瞬間、湿った空気が肌に張りついた。

 重い石壁。鉄格子。

 耳をつんざくような金属臭。

 ユマは、そこがどこか一瞬分からなかった。


(……留置場? いや、違う……)


 見慣れた蛍光灯の白ではなく、天井には蒼い光の珠が浮かんでいる。

 光が一定のリズムで揺れ、まるで心臓の鼓動みたいに周囲の影を震わせていた。

 壁には魔法陣のような紋が刻まれている。

 それが呼吸するように淡く光るたび、どこからか低い祈りの声が聞こえた。


「おい、起きたか。」


 声の主は、鉄の鎧に身を包んだ男だった。

 留置官。だがその腰の剣と胸章は、警察ではなく――宗教組織のもの。

 ユマの視線に気づくと、男は眉をひそめた。


「おまえ、今日から神意庁司法院の任命魔法士だろ。

 早いな、眠ってる間に召喚されたか?」


「……え?」


 自分の体を見下ろす。

 スーツでも法衣でもなく、黒いローブ。

 肩章には“在野魔法士”の紋章が縫い込まれていた。


(転生……? どこかで聞いた。“はじめにロゴスありき”――あの声……)


 夢の断片が、頭の奥でくすぶっている。

 だが思い出そうとするほど霧が濃くなる。


「おまえ、初任で灰尾の女か。ついてねぇな。」

 留置官がため息をつく。


「灰尾……?」


「ああ。神意庁の門外不出、“聖糧庫”から供物を盗んだって女だ。

 神意に逆らう重罪人。弁護なんざ形ばかりだ。

 義務とはいえ……不運だな。」


 “聖糧庫”。

 神への供物を保管する、神意庁最奥の施設――と、直感が告げた。

 門外不出の“神意の糧”。

 その名だけで、ただの窃盗では済まないとわかる。


「……弁護の任命制があるのか。国選みたいなもんか。」


 ユマがぼそりと言うと、留置官は首を傾げた。


「コクセン? 知らんが、神意庁は“神の声”に背くことは許されん。

 魔法士が弁護をするのも、“神の御心”を形式的に確認するためだ。

 おまえらの理屈なんぞ、結界の中じゃ煙みてぇなもんだ。」


(……理屈が煙、か。俺にとっては、それこそが呼吸だ。)


 ユマは立ち上がり、鉄扉の前に進む。

 留置官が鍵を回すと、金属音が響いた。

 奥の部屋には、鉄格子と粗末な机が置かれている。

 その向こう――フードを被った少女が、膝を抱えていた。


接見


「リュミア・グレイテイル、で合ってるか?」


 小さな肩がびくりと震えた。

 顔を上げた少女の瞳は、灰色に近い青。

 光を受けるたび、まるで夜明け前の霧みたいに色を変えた。


「……あなたが、“弁護の魔法士”なの?」


「ああ。ユマって呼んでくれ。ここでは、君の味方だ。」


 椅子に腰を下ろすと、鉄格子の外で留置官が腕を組む。

 “監視のもとでの接見”――それも、神意庁の規則らしい。


「どうして捕まったのか、話せるか?」


「……盗んでなんか、ない。」

 少女の声は細く震えていた。

 「でも、神意庁の“白い人”が来て、“神が見た”って言ったの。

  だから、みんな信じたの。

  盗んだのはわたしだって。」


「“白い人”?」


「神意魔法士。

 裁判でも、あの人たちが“光”を出して、

 “罪の光”って言うの。

 それで、終わり。」


(神意魔法……この世界の“証明”か。)


 ユマは目を閉じた。

 弁護人としての思考が、自動的に回り始める。

 神意魔法=直接証明。

 弁護魔法=反対仮説の提示。


「どこで捕まった? 盗まれたって言われてる“供物”は?」


「神殿の外、通りの角。

 袋が落ちてて、拾ったの。

 でも、走ってきた人が“こいつが盗んだ”って。」


「拾った時、袋には何が?」


「パンみたいな……乾いた白いもの。

 袋に“聖糧”って書いてあった。」


(現場近く、袋を所持していた――“近接所持”。

 だがそれだけじゃ、有罪は導けない。

 合理的反対仮説を示せば、疑いは残る。

 それが“理の魔法”の出発点だ。)


 ユマは指で机を叩く。

 前世で何百回と行った“事実の積み上げ”の癖。

 ――誰も知らないこの世界で、唯一、彼の武器となるもの。


少女の記憶


「誰か、君を見てた?」


「……見てた、かもしれない。

 でも、“灰の人”なんて、誰も信じない。

 見た人がいても、怖くて言えないの。」


「灰尾族だからか。」


 少女はうつむき、小さく頷いた。

 フードの隙間から、灰色の毛がのぞく。

 ほんの一瞬、尻尾の先が揺れた。


「みんな言うの。灰尾は神に嫌われた民だって。

 だから、神意の光が出たら、もう終わり。

 “神さまが見た”んだから、反対できないって。」


 ユマは、言葉を失った。

 ――論理のない信仰は、暴力と変わらない。

 どんなに白く見えても、裁く光が無謬である保証などない。


制度の影


「裁判は、神意庁司法院で?」


「うん。

 “裁判官様”も“白い人”も、同じ庁の人。

 “神意庁”っていう大きなところで、全部決まるの。

 魔法士は……たまに呼ばれるけど、すぐ終わっちゃう。

 光が出たら、もう判決なの。」


 神意庁司法院=裁判所。

 神意庁魔法士=検察官兼庁代理人。

 在野魔法士=弁護人。

 ――つまり、すべてが神意庁の下にあり、分立は存在しない。


 ユマは息を吐く。

(“法”ではなく“信仰”による裁き。

 それで弁護が成立するのか?

 だが、この子の命は俺の手にかかっている。)


【リュミアの覚悟】


「……先生、お願いがあるの。」


「何だ?」


「無罪になったら、わたし……先生のとこで、お手伝いしたい。

 掃除でも、書きものでも、なんでも。

 “理の魔法”を見てたら、きっと誰かを助けられるって思うから。」


 ユマは目を細めた。

 “理の魔法”――そう言ったのは、彼女が初めてだった。

 彼の世界では当たり前すぎて、誰もそんな言葉を使わなかった。


「ありがとう。……君が無罪になるかどうかは、神じゃなく“理”が決める。」


別れ際


 留置官が扉を叩く。

「時間だ、魔法士。」


 ユマは立ち上がる。

 リュミアがフードを直しながら、小さく言った。


「……あの、“白い人”。

 神意庁の魔法士で、“セレスティア”って名前だった。

 すごく綺麗で、冷たそうで……でも、嫌な感じじゃなかった。」


 ユマは目を細める。

 その名を、まだこの時、彼は知らなかった。

 後に何度も、その名を呼ぶことになることも。


「弁護人ですら、時間制限付きか……。

 “理”の弁護も、神意庁の時計で測られるらしい。」


 扉が閉じ、錠が回る。

 ユマは一度だけ立ち止まり、振り返った。

 灰の光の中、リュミアの小さな影が祈るように両手を握っていた。


 ――その祈りが、“神意の白”ではなく、“理の青”を呼ぶことになるとは、

 まだ誰も知らなかった。

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