第3話 今や日本はグローバル社会のきざし

 落胆のなか、裕子氏は芸能界を引退した岡一郎の介護をしていたが、それでもアルコール依存から解放されることはなかった。

 岡一郎は人気座長だった現役時代、裕子氏に「あんな汚い世界、女のくるところではない」が口癖だったが、裕子氏にしてみたら、なにが汚いのかその意味さえわからなかった。

 スター男性のなかには、新人女性を夜通し連れまわしたりするケースもあったらしい。その誘いを断ると、セリフを減らされたりすることもあったらしい。


 裕子氏は小学校のとき、教師から「あなたのお父さんは面白くていいわね」と言われたことがある。

 多分、教師は家でも家族を笑わせてくれるサービス精神の持ち主だとでも思っていたのだろう。

 しかしそれとは正反対で、家での父は面白いどころか、短気で酒に溺れていたという。

 お笑いの世界は、舞台の観客が笑わなかったらそれで終わり、役目交替でクビになり、かわりにひしめいている新人達が活躍のチャンスを狙っている。

 岡座長はそのプレッシャーからだろうか、いつも本番前には酔っているという有様だった。いや、本番前に飲酒をしないときがなかったという。

 引退してからもいったん脳にしみついたアルコール依存から解放されることはなく、入院中まで看護師に隠れて缶の酒を飲む始末だったという。


 それでも裕子氏は、身を削ってたった一人の身内である実父である岡一郎の面倒をみていた。

 胃がんに見舞われた岡一郎が退院するとき、マスコミには「まるで性転換するような心細さやったね」とジョークを飛ばしていたが、お腹はぺっしゃんこだったという。

 しかし、それでも一向に酒を辞めようとはしない一郎に、とうとう裕子氏は、絶望を感じ、単独でアメリカに旅行に行った。

 そのとき、キリスト教の黒人ゴスペルグループとめぐり合い、考えが変わったという。

「裕子、依存症というのは好き嫌いの問題ではなく、脳の病気なの。

 ダメだとわかっていながらも、やめられない。

 周りだけじゃなくて、本人も苦しんでるのよ」

 なんだか目からウロコが取れた思いだったという。

「裕子、人を変えようとしてもダメ。自分が変わっていかなきゃ。

 差別は笑い飛ばして生きるの。

「自然は神が創ったものだけど、私達は自然を見落としているわ。

 人を変えようとしてもダメ。小さなことに、感謝して生きるの。

 たとえば、道端の白い花が咲いたわとかね。

 差別は笑い飛ばして生きなきゃね」

 ブラックミュージックはソウルも含め、魂に響くものがあるが、とりわけゴスペルを聞くと、心に癒し以上の平安が生まれ、アドレナリン以上の勇気が湧いてくるようだった。

 裕子氏は黒人女性に混じり、ゴスペル隊の一員となっていた。

 アメリカでは日本では信じられないほどのひどい差別の歴史があったが、裕子氏はそれにこだわることなく、喜劇人特有の心の広さでフランクに接していった。


 ある日、裕子はゴスペル隊のある女性に聞いてみた。

「現代はどうか知らないが、昔は大学でも白人と肌の色が違うというだけで、教室や食堂まで別々だったというわね。

 今から数十年昔、ある黒人女性が白人の教会に行くと、やんわりと断られたので、涙を流しながら帰っていった。

 すると翌日、その教会の屋根の上に掲げられていた白い十字架が、なんと黒い十字架に変わっていたという話を新聞で読んだことがあるわ」

 しかし、裕子氏自身も黒人の肌の黒さには、とまどうものがあったが、ゴスペル隊の大きな愛に包まれ、肌の黒さは気にならなくなっていた。

 のちに、裕子氏はゴスペル歌手となり、黒人男性と結婚したという。

 ゴスペル隊の女性は、許すことを知っている女性で、神の愛で差別に対抗したのだろう。


 旧約聖書のなかに「バベルの塔」という実話がある(創世記11:1-9)

「BC(紀元前)当時、人間は一つの言葉を使っていた。

 その頃、人々は東の方から移動してきて、シヌアルの地に見つけた平野に移り住んだ。

 そして、彼らは互いにこんなことを言っていた。

「さあ、われわれが作り出したこのレンガを、どんどん造ろう。

 こうして、彼らは今まで使っていた石の代わりに新しい建築材料としてレンガを使い、粘土の代わりにタールを使った。

 そのうちに彼らはこう言い始めた。

「さあ、われわれは団結して町を作り、天にまで届く塔を作って名をあげよう。

 こうしてやれば何でもできる。神なんか恐ろしくない」

 そのとき、主は人間の造った町と塔をご覧になって、こう仰せられた。

「彼らは一つの民で、一つの言葉を使っている。

 そして、自分たちが団結さえすれば何でもできると思っている。

 そこで、私は罰として彼らの精神生活の元になっている言葉を乱し、お互いに通じないようにしてしまおう。

 こうして、主は彼らを罰し、彼らはお互いに意志が通じなくなり、それぞれ別々の所へ移住し、その町の建設はやんでしまった。

 そこで、その町の名前をバベルと呼ぶようになった。

 主がそこで、全世界の人々の言葉を乱されたからである。

 主は彼らを全世界に散らされた」(創世記11:1-9現代訳聖書)


 キリスト教は、西洋からフランシスコザビエルによって、日本に渡来してきたのであるが、日本は仏教国であり、神はひとつではなく、よろずの神があるので、もちろん受け入れられず、迫害も受けた。

 よろずの神というのは、人間の欲望のかたまりであり、それを偶像に見立てて拝んでいるだけにすぎない。

 太陽の神、山の神、交通安全、安産の神、受験の神、果てはダイエットの神まであるくらいである。

 もちろんそれらをいくら拝んでも、気休めになるだけである。

 

 拝む対象は、全地万物をつくられた神のみである。

 神は人間を愛しておられるので、別のものを拝まれると嫉妬される。

 

 英語は世界共通語であるが、音楽も楽譜も世界共通である。

 もちろんキリスト教も世界共通である。

 キリスト教は愛だというが、最大の愛は赦すことである。

 だから赦しの精神で、いろんな人を受け入れていけば、トラブルも少なくなるのではないか?!


 ふと我に帰ると、インフォーがなんとさかなまるの包みを持ってきた。

「このさかなまる、昔のお詫びのしるしです。

 あのときは『もっとはっきり言え、しばくぞ』とか『○より遅いじゃないか』なっどと失礼なことを申し上げました。

 しかしこのこと、あまり公けにしないでね。営業妨害になっちゃうから」

 私は思わず答えた。

「そのことは、すでにいろんな人に言ってしまったし、噂にもなってたわ。

もちろん、それを聞いた人は、呆れ顔からしかめ面になったけどね。

 しばくぞなんて、どこで覚えたの?

 もしかしてベトナムと同じ海外実習生だったりして」

 インフォーは答えた。

「実は私は中国残留孤児だったの。五歳まで母親と日本にいたけどね、それ以降は中国の親戚に引き取られたわ。

 そして二十歳のとき、日本語も話せないまま、実習生として日本に来日したの」

 フーン、苦労したんだなあ。だから、あんなきつい目つきになるんだなあ。

「もうご存知だと思うけど、実習生のとき、影では人身売買と言われるくらいに、ひどい扱いを受けたの。ベトナムの実習生と同じよ。

 安い賃金でこき使われ、ケガしても労災もでない、火傷の跡を見せると、バーベキューをしているときにケガをしたということにしておけといった具合よ」

 そういえば、二年ほど前、NHKの報道番組で取り上げてたなあ。

 それに加えてインフォーは日本語が9割方話せないので、余計に反感を買われたのであろう。

 もしかして、当時同棲していたチーフは、そんなインフォーに同情したのかもしれない。


 

 

 


 

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