第2話 十年後のオンボロ船

十年は、長いようで、終わってみれば一瞬だ。


 ――少なくとも、銃声と爆発音の中で生きていれば、なおさら。


「くそっ、右舷のシールド出力が落ちてる! ラド、何やってんだ!」


『やかましいわ若造! このポンコツ船でこれ以上の出力を期待するな!』


 がなり立てる声が艦内通信に響く。

 小型戦艦〈レクイエム〉は、いままさに宇宙空間で追撃を受けていた。


 視界の外縁をかすめるビームの光。

 衝撃で軋む船体。

 アレクは操舵席で歯を食いしばりながら、舵を切る。


「ノクターン、敵艦の軌道予測!」


『三隻。うち一隻は推進機関に損傷。追尾しきれないと推定。

 残る二隻は本船レクイエムより火力・装甲ともに二ランク上。

 このままでは平均二分三七秒後に撃沈コース』


「平均はいらない。生き残るコースだけ出せ!」


『了解。生存確率一一パーセントのルートを提示する』


 ホログラム上に、細い青い線が描かれる。

 アレクはそれを見て、思わず苦笑した。


「……おいおい、本気か」


 そのルートは、目の前で渦を巻く小惑星帯のど真ん中を突っ切るものだった。


 岩塊と氷塊が入り混じり、互いにぶつかり合いながら回転している天然のミンチ機械。

 普通の船長なら、まず避ける。


『他に生存確率一〇パーセント以上のルートは存在しない』


「いいね。じゃあ一一パーセントに賭けよう」


 アレクは舵を大きく切った。

 レクイエムの船体がきしみ、エンジンが悲鳴を上げる。


『ちょ、ちょっと待て艦長!? 本当に行く気か!?』


 通信の向こうで、ラドが怒鳴った。


「行くに決まってるだろ。向こうは三隻、こっちは一隻だ。

 まともに撃ち合ったら死ぬ。だったら、まともじゃない選択をするしかない」


『だからって毎回こんな無茶なコースを――』


「ラド、黙ってエンジンを保たせろ。落ちたら死ぬのは俺たち全員だ」


 言いながら、アレクはふと笑ってしまう。

 こんな状況で笑える自分の神経は、もうだいぶ壊れているのかもしれない。


「ジェイス、外部ドローンの状況は?」


『え、えっと……! 一番機と二番機はもう撃墜されました! 三番機だけ、まだ生きてます!』


 通信越しに若い声が震える。

 艦内のメカニックブースで、ジェイスは必死に端末を操作しているはずだ。


「三番機を前方に回せ。岩塊の軌道をスキャンしてリアルタイムでノクターンに送れ。

 ――ノクターン、そのデータを元にルート補正」


『了解。生存確率、一一パーセントから一三パーセントに上昇』


「よし、二パーセントも稼げりゃ上等だ」


 レクイエムは渦巻く小惑星の中へ突入した。

 追ってくる帝国の巡洋艦二隻も、その後を追う。


『帝国艦、回避行動開始。砲撃精度、著しく低下』


「そりゃそうだろ。こんなとこでまともに砲撃したら自分で自分を撃ち抜く」


 目の前を、巨大な岩塊が横切った。

 船体すれすれをかすめる冷たい影。

 少しでも操舵を誤れば、こちらの船体も同じように砕ける。


 心臓が、喉の位置まで競り上がってきそうだった。

 だがアレクは、驚くほど冷静だった。


 昔のことを思い出す。

 アルメシアの空。

 父が操る小型艇の操縦席に座り、初めてスラスターレバーに触れたときの感触。


 指は、自然と正しい位置に動いていた。


『艦長、敵艦の一隻が岩塊と衝突! ――大破した模様!』


 ジェイスの叫びが聞こえる。

 同時に、センサー上から熱源の一つが消えた。


「一隻ダウン。残り一隻」


『残りの一隻、追撃を継続。砲撃……来ます!』


 小さな岩塊が砲撃で砕かれ、その破片が装甲を叩く。

 船体が揺れ、警告灯が赤く点滅する。


『右舷副推進器、損傷率四三パーセント! これ以上は――』


「耐えろ。ここを抜けたら、逆にこっちのターンだ」


 アレクは、敵艦の位置を視界の片隅で捉える。

 小惑星帯の出口近く。

 そこには比較的広い空間があり、船体を旋回させる余裕がある。


「ノクターン、小惑星帯を抜けた瞬間、三秒だけ最大出力でブレーキをかける。

 敵艦は慣性で前に出る。――そこを狙い撃つ」


『理解。しかし最大ブレーキは船体崩壊のリスクを伴う』


「それでもやる。やらなきゃ、どうせ撃ち抜かれて死ぬ」


 コクピットの壁には、小さなホログラム写真が貼り付けてある。

 写っているのは、まだ幼い頃の自分と、父と母と、弟。


 アレクはそれをちらりと見た。

 十年経っても、あの日の記憶は、少しも色褪せていない。


「――ここで死ぬのは、まだ早い」


 呟いて、操舵桿を握りしめる。


 レクイエムが小惑星帯の出口へ躍り出た。

 虚空の黒が急に開ける。

 ほぼ同時に、その後ろから帝国艦が飛び出してくる。


『今だ――最大逆推進!』


「やれ!」


 エンジンが悲鳴を上げ、船体が悲鳴を上げ、ラドが悲鳴を上げる。


『ぎゃああああああああああああああ!! こんな負荷かけるなっていつも言ってるだろおおおおお!!』


 レクイエムの速度が急激に落ちる。

 そのすぐ横を、追ってきた帝国艦が慣性のまま突き抜けた。


 狙いどおり、ほぼ真正面を横切る形になる。


「エクレール、主砲チャージ!」


『ラジャ、艦長。照準補正完了。――撃つ?』


「撃て」


 レクイエムの艦首から、白い閃光が放たれた。

 至近距離で捉えたビームが、帝国艦の推進炉を貫く。


 光の花が咲いた。


 爆発の余波がレクイエムの船体を揺らす。

 やがてセンサー上から、敵艦の反応が消えた。


『……敵艦の熱源消失。戦闘継続の兆候なし。

 生存確率、現在時点で九四パーセントに上昇』


 AIの冷たい声を聞きながら、アレクは大きく息を吐いた。


「――ふぅ。勝ったな」


『勝ってから言えやあああああ……!』


 まだ悲鳴を上げているラドの声が、艦内通信に響く。

 ジェイスの笑い声もかぶさった。


『すごいです艦長! 今の、完っ全に読んでましたよね!?』


「まあな。十年前から、星の落ち方には詳しいんだ」


 自分で言って、少しだけ口の中が苦くなる。


 アルメシアが落ちた時も、あんな光だった。

 もっと巨大で、もっとすべてを焼き尽くす光だったが。


 アレクはその記憶を押し込めるように、立ち上がった。


「とりあえず離脱だ。ノクターン、近くのスリップラインを開け。

 ラド、エンジンはいつ爆発してもおかしくないって顔するな。もう少しだけ保たせろ」


『分かってらあ……! ったく、お前の無茶に付き合って何年経つと思ってんだ……』


「十年だ」


 アレクは短く答える。


「ちょうど、十年だよ」


 アルメシアが燃えた日から、今日まで。

 その十年を、彼はずっと、この瞬間のために生きてきた。


「――そろそろだ。

 そろそろ、“あの日の光”の名前を取りにいく頃合いだ」


 アレクの瞳に、冷たい炎が宿る。


 ヴォルフガング=シュタウフェン。

 あの名を、ただの記録から、血と肉のある“標的”に変える時が来たのだ。

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