第15章「三人」

第15章「三人」


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その日は、朝から空が高かった。


「ハル、今日の修行は?」


「いつも通り。午前中だけ」


ティナと並んで歩きながら、修行場所へ向かう。


あの日——「大事な人」と言った日から、三日が経っていた。


ティナは何も変わらない。いつも通り明るくて、いつも通り俺を待っていて、いつも通り笑っている。


でも、時々。


ほんの時々、俺を見る目が違う。


何かを確かめるような。何かを待っているような。


「どうしたの? ぼーっとして」


「いや、何でもない」


「嘘。最近、よくそうやって考え事してる」


「……そうか?」


「そうだよ。あたしのこと、見てないもん」


ティナが、少しだけ頬を膨らませた。


「見てるよ」


「見てない。顔、こっち向いてるのに、目はどっか遠くにあるの」


「……そんなことない」


「あるの!」


いつものやり取り。でも、その奥に——何かがある。


俺には、それが分かっていた。


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修行場所に着いた。


準備運動を始めようとした時だった。


「あれ」


ティナが、声を上げた。


「誰か来る」


視線の先を見る。


森の小道から、二つの人影が歩いてくるのが見えた。


一人は、四十過ぎの男。がっしりした体格。右腕に、古い傷跡がある。


そして、もう一人は——


「……サヤ」


黒髪。高い位置で結んだポニーテール。灰色の瞳。


背中に、木の槍を背負っている。


——心臓が跳ねた。理屈より先に、体が反応していた。


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「よう」


サヤが、無愛想に片手を上げた。


「なんでここに」


「親父の用事。たまたま通りかかっただけだ」


「たまたま……」


嘘だ。修行場所は、村の外れにある。「たまたま通りかかる」ような場所じゃない。


——でも、その嘘が嬉しかった。会いに来てくれた、と思いたい自分がいた。


「久しぶりだな」


「……ああ」


サヤが、視線を逸らした。


その横顔が、前に会った時より——少しだけ柔らかく見えた。耳の先が、僅かに赤い。


「サヤ」


ティナが、前に出た。


「また来てくれたんだ」


「……別に、お前に会いに来たわけじゃねえよ」


「分かってる。でも、嬉しい」


ティナが、にっこり笑った。


サヤが、一瞬だけ戸惑ったような顔をした。灰色の瞳が、ティナとを俺を行き来する。


「……変な奴」


「よく言われる」


二人のやり取りを見ながら、俺は胸の奥がざわつくのを感じていた。


嬉しい。二人がこうして話しているのが。


でも、同時に——どこかが軋んでいる。名前のつかない感情が、静かに渦を巻いていた。


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サヤの父親——名前は聞いていない——は、村の商人に用があるらしい。


「一刻ほどで戻る。サヤ、ここで待ってろ」


「分かった」


父親が去っていく。


残されたのは、俺とティナとサヤ。


三人。


「……で」


サヤが、俺を見た。


「修行してたのか」


「ああ」


「どれくらい強くなった」


「どうだろう。前よりはマシだと思うけど」


「見せろ」


サヤの目が、鋭くなった。


「手合わせしろ。この前みたいに」


「俺と?」


「他に誰がいる」


ティナが、俺の袖を引いた。


「ハル、やってみなよ」


「いいのか?」


「うん。あたしも見たい。ハルがどれくらい強くなったか」


ティナの目が、真剣だった。


試されている——そう感じた。サヤの実力に、俺が追いついているか。並んで立てるようになっているか。


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修行場の中央で、サヤと向かい合った。


「ルールは?」


「なし。本気で来い」


「……分かった」


俺は、構えた。


魔法を使うか。剣術を使うか。それとも——


考える前に、サヤが動いた。


「遅い」


木槍が、俺の顔面に迫る。風を切る音。殺気。


「っ!」


咄嗟に横に跳んだ。槍の先端が頬を掠める。冷たい風圧が、皮膚を撫でた。


「避けるだけか」


「《火球》!」


反撃。火球を放つ。


サヤが、槍の柄で弾いた。火の粉が散る。


「軽い」


「くっ」


距離を取ろうとする。でも、サヤは追ってくる。


槍の間合いは、俺の魔法より長い。近づかれたら不利だ。


「《風刃》!」


風の刃を放つ。サヤの足元を狙った。


「ちっ」


サヤが跳んで避けた。


その隙に、俺は後ろに下がった。


「逃げるな」


「逃げてねえ。距離を取ってんだ」


「同じだろ」


サヤが、槍を構え直した。


その目が——笑っている。


楽しんでいる。戦うことを、心の底から。その表情を見て、俺の中で何かが熱くなった。


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三度目の突進。


サヤの槍が、弧を描いて振り下ろされる。


《土壁》で受ける。衝撃。土が砕け散った。


「まだ甘い」


間髪入れず、突きが来る。


避けきれない——横に跳びながら、腕で受けた。木の槍が、皮膚を擦る。熱い。


「っ……!」


「怯むな」


サヤが、追撃を仕掛けてくる。


《火球》《風刃》を連続で放つ。でも、サヤは紙一重で躱していく。


足の運び。槍の角度。全てが計算されている。


——強い。


この前会った時より、さらに。


「前よりはマシだな」


サヤが、息を整えながら言った。距離を取って、互いに睨み合う形になっていた。


「でも、まだ足りねえ」


「分かってる」


「分かってるなら、もっと本気で来い」


「……本気だよ」


「嘘つけ」


サヤの目が、鋭くなった。


「お前、手加減してるだろ」


「してない」


「してる。あの時——森で魔獣と戦った時、もっと必死だった」


「……」


「今のお前は、どこか余裕がある。それが気に入らねえ」


サヤが、槍を下ろした。


「もういい。つまんねえ」


「待て」


「何だよ」


「……もう一回」


俺は、サヤを見た。


その目を、真っ直ぐに。


「本気で、やる」


サヤの瞳が、光った。唇の端が、僅かに上がる。


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二回目。


俺は、最初から全力で動いた。


《火球》《風刃》《土壁》——複数の魔法を組み合わせて、サヤの動きを制限する。


火球で退路を塞ぎ、風刃で足を止め、土壁で視界を遮る。


「っ、やるじゃねえか!」


サヤが、笑った。


本当に楽しそうに、歯を見せて笑った。


「こっちだって!」


槍が回転する。俺の作った土壁を、一撃で粉砕した。


破片が飛び散る中、サヤが突っ込んでくる。


「くっ」


避けきれない。槍の柄が、脇腹を掠めた。鈍い痛み。


でも、止まれない。


サヤの攻撃を避けながら、魔力を練り上げる。


この三日間、ずっと考えていた。あの時失敗した魔法。火と風を組み合わせた、貫通力のある——


「《炎槍》!」


——複合魔法。


俺の手から、炎の槍が射出された。


「なっ」


サヤの目が、見開かれた。


炎の槍が、サヤの木槍を弾き飛ばした。


そして、そのまま——


「危ねえ!」


サヤが、横に跳んだ。


炎の槍は、背後の木に突き刺さり——爆発した。


熱風が、吹き荒れた。


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煙が晴れた。


サヤが、地面に尻餅をついていた。


俺も、膝をついていた。


魔力を使いすぎた。頭がくらくらする。視界がぼやける。


「……なんだ、今の」


サヤが、呆然と言った。声が掠れている。


「複合魔法……《炎槍》」


「お前、そんなの使えたのか」


「今、初めて成功した」


嘘じゃない。


あの時——森で魔獣に囲まれた時、失敗した魔法だ。


今、初めて形になった。サヤと本気でぶつかったから。


「……馬鹿か」


サヤが、立ち上がった。


足が、少し震えている。


「初めて成功する魔法を、手合わせで使うな。死んでたかもしれねえだろ」


「ごめん」


「謝んな。……ったく」


サヤが、落ちた槍を拾った。


その顔が、少しだけ赤い。怒りなのか、別の何かなのか。


「認めてやる」


「え?」


「お前、強くなった」


——その言葉が、胸に染み込んできた。


嬉しいのに、泣きそうだった。何でこんな気持ちになるのか、自分でも分からない。ただ、認められたことが、たまらなく嬉しかった。


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「すごい!」


ティナが、駆け寄ってきた。


「ハル、すごかった! あの魔法、初めて見た!」


「ああ、俺も初めて成功した」


「危なかったけど……でも、すごい!」


ティナが、俺の手を握った。


小さくて、温かい手。汗ばんでいる。


「怪我、してない?」


「大丈夫。腕を少し掠めただけ」


「見せて」


ティナが、俺の腕を取った。


袖をめくって、傷を確認する。指先が、傷口の周りを丁寧になぞった。


「血が出てる……」


「大したことない」


「大したことあるよ。待って、手当てする」


ティナが、懐から布を取り出した。


俺の腕に、丁寧に巻いていく。真剣な横顔。睫毛が長い。


「……痛い?」


「痛くない」


「嘘。顔、強張ってる」


「強張ってねえよ」


「強張ってるの。無理しないで」


ティナが、少しだけ笑った。


その笑顔を見ていたら——なぜか喉の奥が詰まった。


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「……」


サヤが、黙って俺たちを見ていた。


その目が、複雑な色をしている。


見ていられないような。でも目を逸らせないような。


「サヤ」


俺は、サヤを見た。


「ありがとう。手合わせしてくれて」


「……別に。暇だっただけだ」


「でも、おかげで《炎槍》が成功した」


「……」


サヤが、視線を逸らした。


「……お前ら、仲いいな」


その声が、低かった。いつものぶっきらぼうとは違う。どこか、乾いた響きがあった。


「え?」


「何でもねえ」


サヤが、背を向けた。


「親父、もうすぐ戻ってくる。私は行く」


「待て」


俺は、立ち上がった。足がふらついた。でも、止まれなかった。


「また、来るか?」


サヤの足が、止まった。


「……なんで」


「また、手合わせしたい」


「……」


サヤが、振り返った。


灰色の瞳が、俺を見つめている。


——その目に、何かがあった。怒りなのか、悲しみなのか、それとも——名前のつかない何か。


「……気が向いたらな」


それだけ言って、サヤは歩き出した。


その背中が、森の向こうに消えていく。


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「ハル」


ティナの声が聞こえた。


振り返ると、ティナが立っていた。


「追いかけなくていいの?」


「え?」


「サヤ。まだ間に合うよ」


ティナの目が、穏やかだった。


でも、その奥に——何かを堪えているような色がある。唇が、僅かに震えていた。


「……いいのか」


「何が?」


「お前は……」


「あたしは、ここにいるよ」


ティナが、笑った。


「だから、行ってきなよ。二人で話してきなよ」


「ティナ……」


「早く。行っちゃうよ」


俺は、ティナを見た。


ティナは、笑っている。


——でも。


その笑顔の下に、寂しさがあるのが分かった。堪えているのが分かった。俺のために、無理をしているのが。


「……ありがとう」


言葉が、それしか出なかった。


俺は、走り出した。


サヤの背中を追いかけて。


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走りながら、胸の奥が軋んでいた。


ティナを置いていくことの罪悪感。サヤを追いかけたいという衝動。二つの感情が、ぐちゃぐちゃに混ざっている。


——俺は、最低だ。


分かっている。分かっているのに、足が止まらない。


背後で、ティナの声が聞こえた気がした。


「……ずるいな、あたし」


聞こえなかったふりをして、俺は走り続けた。


聞こえなかったふりをしないと、戻ってしまいそうだったから。


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【第15章 終】

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